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もし「最も代表的な中国食品」というテーマで投票を行ったら、私は餃子がトップになる可能性が極めて高いと信じている。なぜなら、餃子は北方でも南方でも中国人の共通の好きな食べ物であるだけでなく、同時に中国人の普遍的生活理念を高度に集中的に体現しているからである。
もし本当にこのような投票を行ったら、米の飯と麺がおそらく最大の競争相手になるだろう。しかし、一回の激烈な競り合い(“角逐”jue2zhu2)を経て、餃子が最後の勝者になるだろと私は堅く信じている。かの二つの競争相手ももちろんたいへん中国的だが、以下の二つの理由で彼らは負けを心の底から認めざるを得ない(“口服心服”)。第一、米飯と麺は基本的に“主食”に分類される。つまり、これだけでは喉を通り(“下咽”)にくい。麺は情況が多少ましだが、それでも餃子のように飯でもあり、おかずでもあり、主食でもあり、副食でもあるという「飯とおかずの一体化」(“集飯菜于一体”)の優勢は常には備えていない。第二、米飯と麺はたいへん中国的だが、日本にも有り、長年いろいろ工夫がされ(“経営有年”)、しかもそれがすこぶる適切であり(“甚為得法”)、したがってその“代表性”では重大な影響を受けるだろう。つまり、ホームゲームでは勝っても(“贏了主場”)、アウェーでは負け(“輸了客場”)、遂には優勝したような感じがしない。
イタリア人も餃子を食べるが、流行の程度から言えば、日本の米飯や麺にはかなわない。
この他、イタリアの餃子(ラビオリ)は形態上、その実、中国の餃子と大きな隔たりがある(“大相径庭”)。両者の間の差異は、中国式の麺といわゆる「スパゲッティー」(“意粉”)よりも大きい。価格、及び日本の餃子が実際は中国の“鍋貼”(guo1tie1。焼き餃子)に過ぎないことを除き、日本の餃子と中国の餃子は内包(“内涵”)から外延に到る区別があまり大きくないが、餃子が日本で流行している時間があまり長くなく、身は外国からの助っ人(“外援”)であり、餃子が日本の飲食の中での地位はまだ米飯や麺に及ばず、これはさておく(“按下不表”)。
然るに米飯や麺と比べ、餃子の歴史はそれほど長くなく、最長でも1000年余りである。(キャリア(“資歴”)は包子、つまり肉まんと似たり寄ったり(“相若”)である。)それと比べると、麺の歴史は2000年余りの長きに達し、米は言うまでもない。中国人と四十歳以上の日本人が見た感じがよく似ているのは、おそらく両国の類人猿(“古猿”)が何れも米を食べることを好み、その結果このようになったのだろう。もちろん、いわゆる「同じ米からでも百様の人が育つ」(“一様米養百様人”)で、中日両国の人民は同じように米の飯を食べても、彼らの性格は天と地ほどの差がある(“天壌之別”)。
餃子は食べて美味しいが、餃子を作る(包む。“包餃子”)のはもっとおもしろい。なぜなら、このことはお金と関係があるからである。
餃子は富の象徴である。或いは、餃子を包む行為は、私たち中国人の富に対する渇望と憧憬を象徴していると言われている。《明宮史・史集》の記載によれば、大晦日の子の刻(夜中の12時)、すなわち正月初一の始まりに於いて、「五更に起き……椒柏酒を飲み、“水点心”を喫す、すなわち餃子(“扁食”bian3shi2)也。或いは暗に銀銭を一、二、内に包み、之を得し者は、以て一歳之吉と卜す。」
いわゆる“扁食”とは、餃子の古代の別称であり、この他、嘗て用いられた名前には、“牢丸”、“角子”、“交子”(“更歳交子”の意味。“子”は“子時”(子の刻)の意味)、“角儿”、“粉角”、“煮角”、“嬌耳”、“水点心”、“水包子”、“煮饽饽”zhu3bo1bo(満州人の呼び方)、更には“馄飩”hun2tunというのまである。方言の中で、多くの中原の古音を残している厦門では、“馄飩”は今日に至るまでなお“扁食”と呼ばれている。“扁食”は元代には“匾食”と書かれ、蒙古語から来た可能性がある。
餃子の中に硬貨を隠すのは、富に対する渇望であるとともに、口の中でクジ引きをする遊びである。老舎先生は、《正紅旗下》の中でこのように描写している。「大晦日の年越(“守歳”)で、一晩眠らないのが、何代にもわたって守らないといけない古い習わしであった。父親が……うん、と一声発すると、例年通り餃子を包み、小銭を捜すと、きれいに拭いて、一個の餃子の中に入れる。それにより誰が運が良いか試すのである――この餃子を取った者は、間違って小銭を飲み込んでしまわなければ、その一年が順調なのである。」
この他、餃子は金(銭)が有ることの内包であるだけでなく、更に銭の外形有り、蓋し(その理由は)その形が“元宝”(馬蹄銀のこと)の如くなれば也。元宝は固より「銭の大なる者」であるが、餃子が外観上代表する“銭”に対して、中国の異なった地方の人は異なった理解をしている。江西の鄱陽地区の人々は春節の最初の食事にも餃子を食べるが、異なっているのは、餃子の他、魚を食べることで、ちょうど広東人のように、「金儲けをする(“發財”)だけでなく、それが毎年余りを生じ(“年年有余”)てこそ良い」という隠喩となっている。(“魚”と“余”は発音が何れも“yu2”である)保守主義の財テク(“理財”)の道は甚だ大したものだ(“了得”)。一方、豫南(河南省南部)一帯では餃子を麺と一つの鍋でいっしょに煮るのが流行っている。餃子の象徴は依然として銭であり、麺は“銭串子”、つまり穴あきの銅銭を通す紐であり、本当によく気が配られていて、至れり尽くせり(“無微不至”)である。
元宝を食べれば(“吃進”)、自然に家に「福の神が舞い込む」(“招財進宝”)。それで一家で老若男女にぎやかにテーブルを囲みいっしょに餃子を包む。つまり、「皆がいっしょに力を合わせ(“斉心合力”)、元宝を作る」という意味がある。したがって、大晦日の夜、家々で餃子を包む場面は、「円満で仲睦まじい」(“美満和睦”)民族の伝統であるというより、むしろ、どの餃子を包む家の軒下も、全てが、一人一人の気持ちが激昂した、財テク・フォーラムであると言った方がふさわしい。
心に考えがある(心里有数)
餃子のあだ名(諢名)がたいへん多いのに比べ、その変身形式は明らかに気の毒なほど少ない。一に水餃子、二に蒸餃子、三に焼餃子(“煎餃子”)。しかもこの三種類の形式の間にはそれぞれ作り方の違いがあり(“各行其是”)、互いに融通を利かし合う(“変通”)ことができない。先に煮てから焼いたり、焼いてから蒸したりする可能性は全く存在しない。したがって、調理の技術を発揮する余地はあまり見込めない。たいへん有名な「西安の餃子宴」には、二百品種近くあるが、大半が蒸したものである。(目的は、元の造型の保持で、お湯で煮ると餃子は型が崩れ(“走様”)易い。)
したがって、餃子に変化を求めるには、「餡を変える」途しか無い。餡の材料により、餃子はおおよそ「肉餡」、「野菜餡」、或いは「肉と野菜を混ぜた餡」の三種類に分けられる。しかし、この三分類の中で、数多くの変化を実現することができる。材料について言えば、包丁で細かく刻んで、餃子の皮の中に包むことのできるものであれば、何でも持ってきて餡にすることができる。(ちょっと考えてみたまえ。銅銭でも包み込むことのできる餃子が、他に何か包むことのできないものがあろうか。)味の上では、塩辛いの、甘いの、痺れる辛さ、唐がらしの辛さ、辛さ、素材の美味しさ、全てが揃っていて(“一応倶全”)、ほしいものは何でもある。西安の餃子宴を例にすると、餡の材料は、「南方の人が好きな鶏、アヒル、魚、エビを持ってきたら、北方人が重んじる牛、羊、豚、ロバは入れないようにするだけでなく、犬、ウサギ、蟹、貝、野菜、キノコ、果実、何でも餡に入れることができる。」
“餃子宴”はその実、広州沙河飯店のいわゆる「酸っぱく、甘く、苦く、辛い“沙河粉”(きしめんのような幅広麺)」と同様、極端に走っていて、商売上の小細工(“噱頭”)に過ぎない。実際、日常食べる餃子の餡の材料は十種類を超えず、生臭は豚肉と羊肉、精進は、白菜、芹、ニラであり、上記五種類の材料を混ぜて使うと、“菜肉餃子”になる。もちろん、これは季節、地域、風俗とも関係がある。どの種類が天下第一の美味しい餃子かは、私はこれは自然と“唖巴吃餃子、心里有数”、「唖(おし)が餃子を食べる、心に考えがある(餃子のように腹の中に一物ある)が、口に出して言えない」(歇后語)、に帰することだと思う。以下は美食家、唐魯孫先生推薦の個人的好みである。「餃子の餡は、筆者個人の好みで言うと、生臭餡は竹の子(“冬筍”)と豚肉の餡が最も美味しい。竹の子は細かく切り刻んで、挽き肉といっしょに炒めて餡にする。味は多少薄味が良い。刻んだ竹の子の粒は細かければ細かい方が餃子の皮を突き破る(“戳破”chuo1po4)ことがない。これは冬の餃子の中の妙品である。精進餡ではほうれん草、青梗菜(“小白菜”)各半量と卵を細かく刻み、上等な(“上好”)干しエビ(“蝦米”)も細かく刻む。干しエビは多めでも構わない、そのうま味、塩辛さを使い、調味料は少なめにする。韮やニンジンのある時はそれぞれ少量加えて味や色合いを引き立てる。これは一般の料理屋の豆腐粉条とキンシンサイ(“金針菜”)、キクラゲのように、本当に食べているのは韮でも、味は清らかで味わいがある。」
餡が漏れる
餃子は、作る時の核心となる技術は二つである。一つは餡を捏ねる(“掐餡”)こと、二つ目は皮に包む(“包裹”)ことである。だから、当然のことながら(“順理成章”)、「餡が漏れる」ことは餃子の調理過程で遭遇する可能性のある最大の心配事(“隠憂”)である。
その実、北方人が餃子を食べる時、最も気をつけるのは、「元々の茹で汁でそのまま食べる」(“原湯化原食”)であり、もし一二個の餡の漏れたものが一鍋の餃子にまぎれ込むと、二つの不完全な餃子を余分に食べた代価が一鍋全体の餃子のスープの美味に取って換わられることに他ならない。もちろん、半分以上の餃子がスープの中で身が破れていると、餃子を包むことも、その初志(“初衷”)を挫かれ、直接鍋で白菜と豚肉のスープを煮た方がましである。
この他、神話的な意味の上で、餃子の餡が漏れることは、味の良し悪しよりもっと縁起の悪い(“不祥”)現象である。“漏財”は言うまでもなく(“自不待言”)、別のいざこざを引き起こす(“招惹是非”)危険もある。唐魯孫先生の言によれば、「三十日の晩、餃子を包み、福の神(“財神”)をお迎えする時、老若男女に限らず、皆三両(150グラム)の餃子を包み、餃子をいくつ包んだかを言う。そうすると小人の口をつぐませ(“捏住”)、小人がでまかせを言って(“胡説八道”)、いざこざを引き起こすのを防ぐことができる。“財神餃子”を食べるには小銭を包まねばならないが、餃子の口がちゃんとくっついていない(“捏不老”)と、破れて財が漏れてしまう。それで“財神餃子”は合わせ目をひねってひだにしてある(“捏上花辺”)。作るのが多少手間だが、餃子の口が裂けて餡が飛び散り財が露出することは決してない。」
餃子の餡が漏れたかどうかは、鍋の湯を沸かした時、蓋を開け一望すると知ることができる。防水機能が功を奏し(“奏効”)、体中(“渾身上下”)が完全で欠陥の無いのが、この時一個一個我先にと争い(“争先恐后”)水面に浮き出てくる。餡の漏れたのは、一艘の水を腹一杯呑み込んだ潜水艦のように、正義のため何のためらいもなく(“義無反顧”)迅速に沈んでいく――餡が漏れ、味と神話上の不愉快さを別にすれば(“撇開”)、このことで、楽しい、にぎやかで、生気に満ちあふれた(“生意盎然”)光景が失われることはない。
以前、三亜(海南島南部のリゾート地)のビーチがまだ現在のように開発されておらず、或いは正確に言うと、大東海(三亜近郊の海岸)の優良な海水浴場が基本的に江青、或いは江青のような人物に独占されていた時代、毎年夏、青島の各公共海水浴場は水泳客(当地の人は「海につかる」(“洗海澡”)と呼んだ(“洗澡”は入浴すること))で一杯で、「ダンケルクの大撤退」(第二次世界大戦での英仏軍の史上最大の撤退作戦)のように悲惨であった。当地の人々の他、押し寄せてきた(“蜂擁而至”)外地の旅行者も含まれ、その中にはまた多くの騒がしい(“吵吵閙閙”)、肌の白い(“白白浄浄”)、船でやって来た上海人も含まれていた。この時、心の中が全く愉快でない青島の当地の人は、人で埋まってしまっている(“人満為患”)海岸を指して言った。「ご覧、餃子を茹でているみたいだ(“餃子開鍋了”)。」
今思い返してみると、彼らがこのように言った時、これらの海水の中で押し合いへし合いしている“人肉餃子”たちにも「餡が漏れる」現象が現れないかと心配することはなかっただろうか。
皮は薄く餡はたっぷり
餃子が美味しいのは、餡があるからである。不幸なことに、この世では、およそ包まれたものは、必ず漏れ出す可能性がある。正にいわゆる「隠すより現るるはなし」(“欲蓋弥彰”)である。
餡が漏れる原因はたいへん多い。例えば、小麦粉が発酵して柔らかくなっていない、皮が均等に伸ばされていない、口がきっちり閉っていない、それから一度にたくさん茹で過ぎている、鍋がきれいに洗われていずネバネバしている、等である。しかし、つまるところ(“帰根結底”)、「皮は薄く餡は多く」という餃子(包子を含む)の一般に通用する評価基準が、往々にして面倒を引き起こす(“肇事”)元凶である。餡がたくさん入っていて、また皮も薄くしたら、漏れない方がおかしい。
女流作家の馬瑞霞は一篇の短編小説を書いたことがあり、題は《餃子を作る女》である。三十五歳の女主人公、翁芳はいつも夢の中で餃子、及び餃子が爆発する情景を見、たいへん思い悩んだ。彼女は夢の世界で、皮が薄く餡の多い、大きな水餃子を食べる男性に嫁いだ。翁芳が作る餃子は先端が尖っていないが、小さくてかわいらしかった(“小巧玲瓏”普通は女性が小柄でかわいらしいことをいう)が、夫は餃子が小さくボリュームに乏しく(“缺乏口感”)、大きな水餃子のように豊満で満腹感が得られ(“豊厚飽満”)ないことを嫌った。最後に、夫は大きな水餃子を食べて、喉に詰まらせて死にそうになった。翁芳の形容によれば、夢の中の大きな水餃子は一艘の船のように大きかった。
別の夢はこうであった。翁芳はある“挺得高”(とっても高い)という名の料理教室にやって来て、大きな水餃子を作る技術を学んだ。卒業の時、「文句のつけようがない」(“無可挑剔”)完璧な水餃子賞を獲得した。誇り高く卒業した彼女が、家に帰って先ず最初にしたことは、大きな水餃子を作って夫に食べさせることであった。ところが、夫は彼女の作った水餃子を見て、吐き気を催した。怒り心頭に達した彼女は、ただ一言、こう言った。「私は全てあなたのためにやっているのよ!」
女権主義を多少でも理解している読者は、きっと物語の結末を想像できるだろう。精神治療を経て、翁芳は遂に「大きいことはすばらしい」という男性の覇権の暗い影から脱することができた。この物語は、世の中で餃子が好きで、「皮が薄く餡の多い」のを熱愛する男性は、決して独断専行(“一意孤行”)して、ひたすら“大”を求めてはならない。挙句の果て(“到頭来”)、自分を傷つけることになってしまう。6月中旬、一つのニュースがあった。東北のある県で、一組の夫婦が長年ひどく不和であった。遂に妻は120錠の睡眠薬を肉餡に入れ、餃子を作った。彼女の夫はそれを食べ、ぐっすり眠ってしまった。女はその機に料理包丁と斧で夫を切り殺し、死体を分解した。翌朝、公安に自首した。
私がざっと見積もったところ、全部で20個の餃子を、120錠の睡眠薬を平均して分配すると、それぞれの餃子に6錠ずつ割り当てられる。この毒餃子が、皮が薄かったかどうかは知らないが、餡はきっと相当大きかっただろう。
眠って餃子を食べる(“睡覚吃餃子”)
もしこれを“対聯”(対句を書いた掛け物)の前の句(“上聯”)とするなら、下の句(“下聯”)は「夢に嫁を娶る」(“做夢娶媳婦”)であろう。対になっていない(“不搭界”)が、北方の人は確かに似たような言い方をする。彼らは言う。「この上なく気持ちよく横になっていると、餃子がこのうえなく美味しい。」(“舒服不過倒着、好吃不過餃子”)
「五更に起き……椒柏酒を飲み、水点心を喫す、即ち扁食也。或いは暗に銀銭を一二内に包み、之を得し者は一歳の吉と卜す。」この時、眠いし空腹であり、餃子はもちろん殊のほか美味しい。食べたら体を洗って眠る、当然この上なく気持ちが良いだろう。
美食家、唐魯孫先生は言う。「以前、北方人は餃子を主食とし、南方人は餃子を点心(おやつ)とした。」主食であろうと点心であろうと、南方人も餃子を食べるし、眠りもする。しかし、この話は南方人が聞くと、多少野暮ったく、やや俗っぽい感じがする。しかし、餃子自身がこのように野暮ったく俗なものであり、私たちの毎晩の睡眠も、おおよそ、その右に出る者はいない(“無出其右”)。
実際、北方の飲食は粗野といえば粗野であるが、一食の餃子を食べるのを見ても「快楽」が「この上ない」ところまではいかない。ここから推断されるのは、ベッドの上に横になって餃子を食べても、それは人生が至高の境地に至ったというに値しないのではないか。ちょうど「横になって」も、直立歩行が人類の進化史上の画期的意義(“劃時代意義”)であることを否定することができないのと同じである。餃子も中国美食の極致を代表することはできない。私たち中国人の哲学の中で、餃子は色白で太っちょ(“白白胖胖”)の象徴であり、正月の一日、それは夢の中の富を象徴し、通常は、それは天下の最も日常的で、最も簡単で、かつ最も自然な幸福、つまり睡眠のようなものを代表している。飯が来たら口を開け、服が来たら手を伸ばす、これは正しくない。正確には、餓えれば食し(“飢来則食”)、飽きれば眠る(“倦来則睡”)。Simply the best。
身体の享受するスタイルは様変わりし(“花様翻新”)、漢方薬や香料が、枕や、脚を洗う水(“洗脚水”:足裏マッサージで、マッサージの前に脚を温めるため足浴する桶に入ったお湯)に入れられ、フカヒレやアワビが包子(バオズ)や餃子の餡に入れられる。しかし、身体は私たちの要求に対し、ただ空間を埋め、柔らかいものを平たく広げるだけで、実際、優れているとは見做せない。後者について、私は身をもって体験した(“切身的体会”)。学生時代、毎年広州と上海の間を二回往復した。硬座の車輛の中で、窓側の座席の前に、便器の蓋(“馬桶蓋”)くらいの大きさの木製のテーブルがあり、対面に座っている六人の乗客が使用した。昼間は湯呑み(ホーロー製の大ぶりの湯呑みで、以前は旅行者の必需品だった)が並べられ、別に何も感じなかったが、夜になると、窓側の座席の位置は世界で最も幸福な人に昇格した。なぜなら、倦んでくると、彼らは眠るのだが、比較的正常な体位で自分の高貴な、そして疲れた頭の正面をその平面の上に置くことができるからである。それは二人の体格が正常な人の頭であれば、中間に座っている二人も四分の一の位置を割拠することができ、多少、地政学のおかげを被ることができた(“沾点地縁政治的光”:“沾光”/おかげを被る、“地縁政治”/地政学)。最も悲惨なのは通路側に座っている二人の「童僕」(“竪子”)で、この時、切実な願望は、首を伸ばし、身分は卑しいが同様に疲れた頭を木のテーブルの一角に到達させるか、せめて触れさせることであった。自分を徹底的に公平に扱う(“擺平”)ことは、不可能な任務であったけれども、かりそめにでも(“苟且”)一種の「横になっている」(“倒着”)という姿勢が保持できさえすればよく、気持ちがよかった。
飢えと寒さがこもごも迫る(“飢寒交迫”)のは、人生の二大苦痛だが、一人の飢えと寒さに同時に迫られた人に残されたことは、しばしば「横になる」(“倒着”)ことだけであり、もしこの権利さえ剥奪されてしまったら、彼には「立ち上がる」(“起来”)という道しか残されていない。
もちろん、人がこのようなほとんど非人間的な状態に置かれながら、また人間性について討論することは、これまで私たちの悪い習慣であった。更に言えば餃子と「横になる」ことの間にはよく似た(“神似”)ところがあるが、結局のところ、いっしょに論じることはできない。その重大な違いは:餃子を毎日食べていると、うんざりして食欲がすぐになくなる(“胃口很快就倒了”)。気持ち良い云々など問題外である(“更談不上舒服”)。一方、毎日眠るのに、それで不平を言う人がいるなどあまり聞いたことがない。不平を言うのは、あまり眠れず、一晩じゅう寝返りを打った(“一夜折騰”)というようなことで、終始自分を置き換えることはできない。また、餃子は悪くないが、それが与えられた特定の文化的な意味合いを鑑みると、一人で食べるのは、ふと(“冷不丁”)出身の世のもの寂しいよくない感覚を覚える。「横になっている」時にも餃子を食べるように一人以上の参加者がいてはじめて気持ちよく感じることができる。実際、同じ事でも各人見方が異なる(“見仁見智”)。ひとり枕で眠るのは固よりやりきれない(“委屈”)。しかしベッドの横で、他人が熟睡しているのをどうして許せようか。
【原文】沈宏非《飲食男女》南京・江蘇文藝出版社2004年8月から翻訳