中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

同義語の選択(1)

2010年07月11日 | 中国語
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 どの言語もそうであるが、同義語の中から、如何にぴったりするものを選択し、使用するかは重要な問題である。特に、中国語は、表意文字で、修辞的にことばの選択に頼る部分が多いこと、また押韻などを考えても、その重要度合は高い。

                   一、同義語とは何か

(一)同義語の性質と範囲

 言語の中で、異なった語音形式で同じ、或いは類似した意味を表示することが、ことばの同義現象である。一般に意味が同じか類似したことば(詞)は、同義語(同義詞)と呼ばれる。

 例えば:
    第一組:   演講―講演 衣服―衣裳 肥―胰子
            自行車―脚踏車 維他命―維生素
            玉米―包米―包谷―棒子

    第二組:   拿―取 贈―送 叫―喊 吃―食
            企図―打算 繁華―繁栄 優良―優秀
            驕傲―自豪―自満 関心―関懐―関注
            迎合―逢迎―阿諛―奉承―諂媚―阿附

 以上の第一組の同義語は、意味がほぼ完全に同じで、一般の情況下では任意に相互に入れ替えることができ、完全な同義語(或いは“等義詞”と呼ぶ)である。

 第二組の同義語は第一組と異なり、これらは、意味は同様であるが、完全に同じではなく、様々の細かい差異があり、使用上、任意に入れ替えることはできず、一種の不完全な同義語(或いは“近似詞”、“条件同義詞”と呼ぶ)。一般に言う同義語は、上記の二種類を含む。

 上記の二種類の同義語の中で、第一種の同義語は、意味が全く同じで、使用上相互に入れ替えのできる“等義詞”で、数はたいへん少ない。言語の中でたいへん多いのは第二種の同義語である。この種の同義語の存在は、積極的な意義と作用があり、語彙学(“詞滙学”)研究の重要な対象である。

(二)同義語の言語中の作用

 上記の第二種の同義語は、意味が同じか類似していて、細かな差異のある同義語で、人々が仔細に(“細致”)、客観的事物や思想、感情の細かな差異を区別するのを助けることができ、それにより思想表現をより正確、厳密にし、言語をより明朗、明確にしている。これは人々の思考が長期にわたり発展してきた成果であり、言語の発達、語彙の豊かさの重要なしるしである。

 現代漢語の中で、同一の事物、同一の概念は、しばしばいくつもの、十以上の、場合によっては数十もの同義語を用いて表現することができる。

 例えば、「見る」という動作については、数十の同義語が存在する。そのうち、一般的に「見る」ことを表すものは、例えば“看”、“瞧qiao2”、“瞅chou3”がある。既に見たものを表すのは、“見”、“看到”、“看見”、“見到”、“睹du3”、などがある。遠くの方を見ることを表すのは、“望”、“眺tiao4”、“眺望tiao4wang4”、“瞭望liao4wang4”、“矚zhu3”。上を見ることを表すのは、“瞻仰zhan1yang3”、“仰視”、“仰望”。下を見るのを表すのは、“鳥瞰niao3kan4”、“俯視fu3shi4”。振り返って見る(“回頭看”)、四方を見るのは、“顧”、“張”、“張望”。こっそり見る(“偸偸地看”)のは、“窺kui1”。視線を集中させ、注意して見るのは、“盯 ding1”、“瞄miao2”、“注視”。眼を大きく見開き(“張大眼睛”)、怒って見る(“憤怒地看”)のは、“瞪deng4”、“瞠cheng1”。ざっと一瞥する(“略略一看”)ことを表すのは、“瞟piao3”、“瞥pie1”、“望”、“瀏覧liu2lan3”。仔細に見ることを表すのは、“察”、“観察”、“相xiang4”、“察看”。下のクラスの人が上のクラスの人を見ることを表すのは、“覲jin4”、“省xing3”。上のクラスの人が下のクラスの人を見ることを表すのは、“鑑”、“視察”、“検閲”。見る対象や場面が大きいことを表すのは、“観”、“観看”、“閲”。見る対象が文字の類であることを表すのは、“閲”、“閲覧”、“閲読”。自ら見ることができた(“親自看到”)ことを表すのは、“目撃”。などである。

 また、「引っぱる」という動作を表すものも、“拉la1”、“牽qian1”、“拖tuo1”、“拽zhuai4”、“抽chou1”、“扯che3”、“揪jiu1”、“拉扯la1che”、“牽引qian1yin3”、“拖拉tuo1la1”、“曳ye4”、“抜ba2”、など十以上の異なることばがある。

  豊かな同義語の存在は、思想の交流、ことばの表現能力の増強に、相当大きな積極的作用がある。

 第一、同義語は事物の間の細かな(“細微”)差異を精緻に(“精細”)反映することができ、人々の客観的事物に対する異なった感情や態度を表現することができる。したがって、大量の同義語の存在は、最もふさわしいことばを選択し、思想や感情を表現するのを助けてくれる。

 例えば、作家、老舎はこのように語ったことがある:

  例えば、年配の人(“長輩”)が、自分の後輩(“晩輩”)が出世し(“有出息”)、幹部になって故郷に戻ってきた時、彼は後輩の肩を叩いてこう言う。“小伙子,‘搞’gao3的不錯!”(若いの、よくやった!)ここには私は“搞”gao3を用いる。もし信じないなら、試しに“做”や“干”を使ってみなさい。“搞”のように適切で、親しみがこもっていないこと、請け合い(“保准”)である。年配の人が、彼の息子やおい(“子侄”)を褒めて言うなら、“這小伙子,做事真認真。”(この子は、本当に真面目だ。)ここで私は“做”を用いる。“這小伙子,‘搞’事真認真。”とは、普通言わない。もし若者がそこでたいへん一生懸命働いている(“売力気”)のを見たなら、私は、“這小伙子,真認真干。”と表現する。この三つのことば、“搞”、“做”、“干”は何れも元々ある(“現成”)ことばで、誰が誰よりも俗っぽいということは決してなく、それをどこに置くのが最もふさわしいかというだけでのことで、最も適当であればよいのである。
(老舎《関于文学的語言問題》、《題材、人物及びその他》P124参照)

  これと反対に、同義語の理解が少ないと、正確に思想を表現することができず、“語言無味,像個‘癟三’bie1san1”(ことばが味気なく、「ごろつき」のよう(に無教養である))。例えば、ある人の話が、出てくることばが皆“搞”から離れず、“搞工作”、“搞翻訳”、“搞数学”、“搞語言”、“搞文学”、“搞尖端”、“搞労働”、“搞食堂”、“搞副食品”、“搞恋愛”、“搞小家庭”……というように、現代漢語の語彙の中に、動詞は“搞”しかないかのようなことだと、各種の“搞”法、つまりことばの用例の違いを区別することができず、豊な語彙を捨て去り用いなければ、自分の語彙を枯渇(枯竭ku1jie2)させ、ことばを無味乾燥で味気ない(“干癟無味”gan1bie1wu2wei4)ものにするだけである。

  第二、同義語により、ことばを重複して使うことを避けることができ、それにより一篇の作品のことばをより生き生きとし、変化に富ませ、より良い修辞効果を生みだす。

 例えば次のような文章がある。

   我們以我們的祖国有這様英雄而驕傲,我們以生在這個英雄的国度而自豪

 ここで、“驕傲”と“自豪”は同義語の併用であり、もし一律に“驕傲”、或いは “自豪”に改めると、明らかにことばが重複し単調になる。

 もうひとつ、魯迅《故郷》から引用する。

   這只是我的心情改変了,因為我這次回郷,本没有什麼好心緒

  ここで、“心情”と“心緒”も同義語の併用であり、同じことばに改めてしまうと、表現がかなり色あせてしまう。

 第三、同義語は修辞上、忌避(“諱飾”)、婉曲の必要を満足することができ、婉曲語(“委婉語”)、“禁忌語”を構成する。例えば、“落后”と“后進”、“受傷”、と掛彩”、“死”、と去世”、“昇天”、“箸”と“筷”などは同義語で、相手の自尊心を傷つけるのを避けたり、タブーを犯し忌避に触れる(“犯忌触諱”fan4ji4chu4hui4)ことを避けるため、それぞれ後者のことばが婉曲語、或いは禁忌語を構成することができる。これは思想の円満な表現の面で、大いに助けになる。

 第四、同義語の連用は語気を重くし、修辞上の強調の目的を達成し、あるものはそれにより特殊な色彩を備えた成語を構成する。

 例えば、“家喩戸暁”、“東奔西走”、“謹小慎微”、“併駕斉駆”、“軽描淡写”、“流言蜚語”、“摧枯拉朽”、“左顧右盼”、“花言巧語”、などの成語はこのようにして形成されたものである。

・家喩戸暁 jia1yu4hu4xiao3 誰もがよく知っている
・東奔西走 dong1ben1xi1zou3 =“東奔西跑”:東奔西走する
・謹小慎微 jin3xiao3shen4wei1 小心翼々とした。細かいことに気をかけ過ぎて、びくびくする
・併駕斉駆 bing4jia4qi2qu1 くつわを並べて同じ速さで駆ける。両者に優劣がないことの譬え。
・軽描淡写 qing1miao2dan4xie3 ①(文章の)描写が上滑りで、力がこもっていない。②(事件や問題について)当たり障りのないことを言う
・流言蜚語 liu2yan2fei1yu3 流言蜚語。根拠の無いのに言いふらされる、無責任なうわさ。デマ。
・摧枯拉朽 tui1ku1la1xiu3 枯草を粉々に砕き、朽木を引き倒す。腐敗した勢力が容易く粉砕されること。
・左顧右盼 zuo3gu4you4pan4 ①左を見たり右を見たり、きょろきょろ見回す。②右顧左眄(うこさべん)。あたりの情勢をうかがってばかりいて、決断できないこと。
・花言巧語 hua1yan2qiao3yu3 ①巧言、甘言。②甘言を並べる

 同義語の文章中での作用は、上記だけでなく、その他の面でも、異なった語体の風格を構成したり、異なった感情的色彩を構成する、など、積極的な役割を果たしている。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版 上海教育出版社1995年より翻訳