前回に続き、老舎は当時の政府の文芸政策を暗に批判しています。その最後に出てくるのが毛沢東の詩で、毛沢東の詩を取り上げたところに、作者一流の痛烈な皮肉があると思います。
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■ 缺少含蓄的第二個原因,恐怕是我們以為人民的語言必是直言無隠,一泄無余的。不錯,人民的語言若是和学生腔比一比,的確是干脆嘹亮,不別別扭扭。可是,我們還没忘記在五八年大躍進中,人民写的那些民歌吧?那也是人民的語言,可并不只是干脆直爽。那些語言里有很高的想象与詩情画意。那些民歌使我們的一些詩人吓了一大跳,而且願意向它們学習。可惜,戯劇語言却似乎没有受到多少影響;即使受了些影響,也只在干脆痛快這一方面,而没有充分注意到人民的想象力与詩才如何豊富,従而使戯劇語言提高一歩,不只紀録人民的語言,而且要創造性地運用。
・直言 zhi2yan2 ありのままに言う。
・学生腔 xue2sheng1qiang1 学生口調。この場合、“学生”の“生”は軽声ではなく、一声で発音する。
・嘹亮 liao2liang4 高らかに響き渡る。
・別扭 bie4niu ひねくれている。さっぱりしていない。
□ 含蓄が欠けている二番目の原因は、おそらく私たちが人民の言葉というのはありのままで隠し事が無く、余すところがないと思っていることにあります。そう、人民の言葉は、学生の言葉に比べると、確かにはっきりとしていて、ひねくれたところがありません。けれども、私たちは1958年の大躍進の時に、人民が歌ったあの民謡をまだ忘れていません。あれも人民の言葉ですが、単にはっきりして率直であるだけではありません。その言葉には高い想像力と詩情豊かな絵心があります。あの民謡に我々何人かの詩人はびっくりし、それらを学ぼうと願ったのです。残念ながら、芝居の言葉は何ら影響を受けなかったようです。たとえ多少影響を受けたとしても、はっきり率直にという面だけで、人民の想像力と詩の才能が如何に豊かであるかに注目し、そこから芝居の言葉を一歩高め、人民の言葉を単に記録するのではなく、創造的に運用するということがありませんでした。
■ 所謂鋒芒,即是顕露才華。在我們的劇本中,我們似乎只求平平妥妥,不敢出奇制勝。我們只求説的対,而不要求説的既正確又精彩。這若是因為我們的本領不够gou4,我們就応該下苦功夫,使自己得心応手,能够gou4以精辟的語言道出深湛的思想和真摯深厚的感情。
・平妥 ping2tuo3 穏やかで当を得ている。当たり障りがない。
・出奇制勝 chu1qi2 zhi4sheng4 [成語]相手の意表を突いて勝ちを制する。
・本領 ben3ling 技能。腕前。学習や訓練によって得られる高度な技術のこと。
・得心応手 de2xin1 ying4shou3 [成語]思い通りの結果が現れる。事がすらすら運ぶ。
・精辟 jing1pi4 見識や理論が深く鋭い。透徹している。
・深湛 shen1zhan4 深くて詳しい
・真摯 zhen1zhi4 真摯(しんし)な。誠実な。
□ いわゆる“鋒芒”(矛先)というのは、才気が表に現れることです。私たちの芝居では、ただ当たり障りの無いことを求め、意表を突いて勝ちを制しようとする勇気が欠けているように思えます。私たちは正しいことだけを言うようにし、正確でしかも素晴らしいことを言おうとしていません。これがもし私たちの技能が不足しているためなら、私たちはしっかり修業し、思い通りの結果が出せるようにし、深く鋭い言葉で深遠な思想と、誠実で温かい感情を表現できるようにするべきです。
■ 若是因為有什麼顧慮呢,我們便該去多読毛主席的詩詞与散文。看,毛主席的文筆何等光彩,何等豪邁,真是光芒万丈,横掃千軍!我們為什麼不向毛主席学呢?怕有人説我們鋒芒太外露嗎?我們応当告訴他:劇本是文学作品,它的語言応当鏗鏘作金石声。写劇本不是打報告。
・顧慮 gu4lv4 心配(する)。懸念(する)。気懸り。考えの中で、まだどこかすっきりしないところがあり、心配なこと。主に名詞として使われるが、動詞としても使われる。
・文筆 wen2bi3 文章の語句の風格。文章のスタイル。
・豪邁 hao2mai4 豪胆である。勇壮である。
・光芒万丈 guang1mang2 wan4zhang4 [成語]光がきらきらとあたり一面に輝く。
・横掃千軍 heng2sao3 qian1jun1 [成語]多くの敵に囲まれる中、地を掃くように短時間で一気に敵を掃討してしまうこと。
・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音。
・金石声 jin1shi2 sheng1 文章が珠玉のように美しいさま。“金石”は金属や石、或いは堅固なものの喩えだが、転じて、文字や文章が優美である喩えとして用いられる。
□ もし何か気懸りがあるなら、私たちは毛主席の詩や散文をもっとたくさん読むべきです。ご覧なさい、毛主席の文章のなんときらきらとして、勇壮なことか。本当に、光が一面に輝き、一気に全てをひれ伏させるかのようです。私たちはどうして毛主席に学ばないのでしょうか。ひょっとすると、私たちの言葉の矛先(“鋒芒”)があまりに外に露出してしまうのが心配だという人がいるかもしれません。その人にこう言わなければなりません。芝居の脚本は文学作品で、その言葉はリズミカルで、珠玉のような音色がしなければなりません。芝居を書くのは報告書を書くことではありません。
■ 毛主席説:“数風流人物,還看今朝。”風流人物怎可以語言乏味,不見才華与智慧呢?是的,的確有人対我説過:“老哥,你的語言太誇張了,一般人不那様説話。”是呀,一般人可也并不写喜劇!劇本的語言応是語言的精華,不是日常生活中你一言我一語的録音。一点不錯,我們応当学習人民的語言,没有一位語言藝術大師是脱離群衆的。但是,我們知道,也没有一位這様的大師只紀録人民語言,而不給它加工的。
・数風流人物,還看今朝: 毛沢東の詩《沁園春・雪》の一節。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。[用例]~人物(傑出した人物)
・乏味 fa2wei4 味気ない。おもしろみがない。
□ 毛主席はこう言われました。「英雄を指折り数えてみて、今の世の中を見てみたまえ(今の世の中にはそうした英雄が見当たらない)。」功績も文才もある英雄が、どうして言葉におもしろみがなく、才気も智慧も見られないということがあるでしょうか。そうです、確かにある人が私に言ったことがあります。「兄さん、あなたの言葉は大げさ過ぎる、普通の人はこうは言わないよ。」そうです、普通の人は決して喜劇は書きません。芝居の言葉は言葉の粋でなければならず、日常生活の一言一句の録音ではないのです。私たちは人民の言葉を学ばなければならず、如何なる文芸界の巨匠も群衆から離れることはできないというのは、少しも間違っていません。けれども、人民の言葉を記録するだけで、それに手を加えない巨匠は一人もいないということを私たちは知っています。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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【付録】
毛沢東《沁園春・雪》(1936年2月)
北国風光,千里冰封,万里雪飄。
望長城内外,惟余莽莽;大江上下,頓失滔滔。
山舞銀蛇,原馳蜡象,欲与天公試比高。
須晴日,看紅装素裹,分外妖嬈。
江山如此多嬌,引無数英雄競折腰。
惜秦皇漢武,略輸文彩;唐宗宋祖,稍遜風騒。
一代天驕,成吉思汗,只識穹弓射大雕。
俱往矣,数風流人物,還看今朝。
【注釈】
・沁園春 qin4yuan2chun1 “詞”を節に乗せて歌うメロディーの一つで、初唐に始まる。“沁園”とは、東漢(後漢)の沁水公主の園苑(庭園)のことで、有史以来、中国第一の皇室庭園と言われたが、当時、外戚として権勢を誇った竇憲に奪われるが、後に皇帝の知るところとなり、沁水公主に戻される。この話が後に唐代、詩に詠まれるようになり、それにメロディーをつけたのが“沁園春”で、その後、同じ韻律の形式の詩も、“沁園春”と呼ばれるようになった。《沁園春・雪》は、毛沢東が雄大な雪景色から着想を得た詩に“沁園春”の韻律を用いたもの。
・惟余 wei2yu2 ただ……だけが残っている。
・莽莽 mang3mang3 広々として果てしがないさま。
・大河 da4he2 黄河を指す。
・頓失滔滔 dun4shi1 tao1tao1 黄河が氷結して、あっという間に波涛の渦巻く勢いが失われてしまうことを指す。“滔滔”は水が盛んに流れるさま。
・山舞銀蛇 shan1 wu3 yin2she2 山並が銀色の蛇のようにくねくねとしている。雪を被った山並の形容。
・原馳蜡象 yuan2 chi2 la4xiang4 高原を白い象が駆け回っている。“原”は毛沢東自身の注釈によれば、秦晋高原のこと。“蜡象”は白い象。
・天公 tian1gong1 天、天を司る神様のこと。
・須 xu1 待つ。
・紅装素裹 hong2zhuang1 su4guo3 “紅装”とは、真っ赤な女性の服装で、ここでは真っ赤な太陽を指す。“素裹”は女性の白い下着で、雪に覆われた大地を指す。
・分外 fen4wai4 非常に。ことのほか。
・妖嬈 yao1rao2 なまめかしい
・.折腰 zhe2yao1 腰をかがめて、お辞儀をする。
・秦皇漢武 qin2huang2 han4wu3 秦の始皇帝と漢の武帝。
・文彩 wen2cai3 文才。文学的才能。
・輸 shu1 負ける。劣る。
・唐宗宋祖 tang2zong1 song4zu3 唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤。
・遜 xun4 劣る。
・風騒 feng1zao1 文学、詩文。《詩経》の《国風》と、《楚辞》の《離騒》から作られたことば。ここでは、文学や詩文の才能。
・一代天驕 yi1dai4 tian1jiao1 “天驕”は、漢代、匈奴xiong1nu2の単于chan2yu2に対して用いた呼称で、“天之驕子”(天の寵児)の略。その後、歴史上の北方の遊牧騎馬民族の君主のことを指すようになった。
・射雕 she4 diao1“雕”はワシのことで、容易に射落とすことができないことから、武芸に秀でた人のことを“射雕者”という。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。英雄。
・今朝 jin1zhao1 今。現在。
【訳文】
北国の風景の中、あたり千里は氷で閉ざされ、万里にわたって雪がひらひら舞っている。
万里の長城の内側と外側を望めば、ただ果てしない大地だけが広がっている。
大河の流れは、氷結のため、しばしその滔々とした流れを止めている。
山並は銀色の蛇がくねくねと舞うようで、高原を白い象が駆けていく。この高地と天と、どちらが高いか比べたいと思う。
天気が晴れたら、女性の真っ赤な服のような太陽と真っ白な薄絹の下着のような雪の原の対比が、ことのほか艶めかしい。
この大河と山々はこんなにも愛らしいが、これまで数え切れない英雄が腰をかがめ、拱手の礼をして、雌雄を決する舞台となった。
惜しむべきは、秦の始皇帝、漢の武帝は、やや文才に欠けた。
唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤は、やや詩文の才が劣った。
一代の寵児、ジンギスカンは、ただ大空に向け弓を引き、大鷲を射ることしか知らなかった。
しかし、彼らは皆この世を去ってしまった。これら英雄たちを指折り数え、今の世を見たらどうだろう。英雄は(私を除き)一人もいないではないか。
【詩の背景】
長征の後期の1936年2月、毛沢東と朱徳率いる紅軍は、陝北高原で黄河渡河の準備をしていた。地形の偵察のため、海抜1000メートルの雪山に登った毛沢東は、眼前に広がる風景に感激し、この詩を作った。この詩が発表されたのは1945年8月、日本が降伏し、戦後処理で国民党と話し合うため、毛沢東は重慶へ赴いた。重慶での国民党との話し合いは43日に及んだが、その間、詩人、柳亜子との交流があり、柳亜子は何度か詩を毛沢東に贈ったが、その返礼として、毛沢東が同年10月、この詩を柳亜子に贈り、併せて《新華日報》に発表した。
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