当局に対する痛烈な批判を口にした老舎でしたが、心の底では中国の演劇界の今後の発展、特に中国の喜劇の将来を深く憂いていました。次に、この講演のメイン・テーマである、芝居、特に喜劇での言葉の使い方について、持論を展開していきます。
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■ 朋友們,我們多麼幸福,能够gou4作毛澤東時代的劇作家!我們有責任提高語言,以今日的関漢卿、王実甫自許,精騖八極,心游万仞,使語言藝術発出異彩!
・王実甫 wang2 shi2fu3 元代の戯曲作家。
・自許 zi4xu3 自ら任じる。自負する。[用例]以当代華陀~(当代の華陀と自負する)
・精騖八極,心游万仞 jing1wu4 ba1ji2, xin1you2 wan4 ren4 [出典]西晋の文学者、陸机《文賦》より。“精”は精神。“騖”wu4は馳せる。“万仞”は距離が極めて長いこと。“仞” ren4 長さの単位。1仞(じん)は8尺、または7尺に相当。全体の意味は、詩人が創作をする時は、思いは縦横無尽に駆け回り、時空の制限を受けない、ということ。
□ 皆さん、私たちはなんて幸せなのでしょう、毛沢東時代の劇作家になることができて!私たちは言葉を向上させる責任があり、今日の関漢卿、王実甫を以て自負し、気持は四方八方を駆け回り、千尋の山に遊び、文芸作品が異彩を放つようにさせましょう!
■ 我們缺乏喜劇。也和別種劇作一様,喜劇并不専靠着語言支持。可也不能想象,没有精彩的語言,而能成為優秀的喜劇。据我個人的体会,逗笑的語言已不易写,既逗笑而又“有味儿”就更難了。
□ 私たちには喜劇が欠けています。その他の演劇と同様、喜劇は決して専ら言葉に支えられている訳ではありません。しかし、素晴らしい言葉無しに、優秀な喜劇が作れることも、想像できません。私個人の体得したところでは、人を笑わせる言葉自体、書くのは容易ではありませんが、可笑しくて且つ「味わいのある」ものを書くのはもっと困難です。
■ 親切充実会使語言有些味道。在適当的地方利用一二歇后語或諺語,能够gou4発生親切之感。但是,這是利用現成的話,用的過多就反而可厭。我們応当向評書与相声学習,不是学習它們的現成的話,而是学習它們的深入生活,無所不知的辧法。在評書和相声里,状物絵声無不力求細致。芸人們知道的事情真多。多知多懂,語滙自然豊富,説起来便絲絲入扣,使人感到親切充実。
・親切 qin1qie4 心がこもっていること。親しみを感じること。
・充実 chong1shi2 からっぽでなく、十分な内容や力が備わっていること。
・現成 xian4cheng2 できあいの。既成の。
・無所不知 wu2 suo3 bu4zhi1 [成語]知らないものはない。何でも知っている。
・状物絵声 zhuang4wu4 hui4sheng1 事物に対する描写。普通は、“絵声状物”という。
・力求 li4qiu2 できるだけ……するようにする。追い求める。
・細致 xi4zhi4 緻密である。細心の注意が払われ、念がいっていること。
・絲絲入扣 si1si1 ru4kou4 [成語]機織りの糸が1本1本きちんと筬(おさ)の目に通っている、というのが原義。そこから、文章が一言一句急所を突いていること。踊りや演技の調子がぴったり決まっていること、をいう。
□ 親しみがあって内容が十分であれば、言葉に味わいが出てきます。適当なところで歇后語(掛け言葉)やことわざを一つ二つ使うと、親しみが生まれてきます。けれども、これは出来合いの言葉を利用するので、使いすぎると、却って鼻につきます。私たちは評書や相声に学ばねばなりませんが、それらの既成の話を学ぶのではなく、それらが深く生活に入り込み、知らないものはない、そのやり方を学ばなければなりません。評書や相声では、物の描写に細心の注意が払われていないところはありません。芸人達が知っている事は本当にたくさんあります。多くを知り多くを理解しているので、語彙は自然と豊かになり、口を開けば、一言一句がぴったり決まっていて、聞く者に親しみと充実感を感じさせるのです。
■ 我們写的喜劇,往往是搭起個不錯的架子,而没有足够gou4的語言把它充実起来,叫人一看就看出我們的生活知識不多,語滙貧乏。別人没看到的,我們看到了,一説就会引人入勝。可是,事実上,我們看到的実在太少。于是,我們就不能不以泛泛的語言,勉強逗笑,效果定難圓満。我們必須拡大生活体験的範囲,三教九流,五行八作,無所不知,像評書及相声演員那様,我們才能够gou4応付裕如,有什麼情節,就有什麼語言来支持。
・搭 da1 架け渡す。組み立てる。
・架子 jia4zi 骨組み。
・引人入勝 yin3ren2 ru4sheng4 景色や文章などが、人をうっとりさせる。“入勝”は「佳境に入る」の意味。
・泛泛 fan4fan4 うわべだけの。皮相的な。
・三教九流 san1jiao1 jiu3liu2 [成語]儒教、仏教、道教の三教と儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家の九家のこと。広く、様々な職業の人、雑多な人のことをいう。
・五行八作 wu3hang2 ba1zuo4 [成語]様々な職業。様々な商売のこと。“五……八”の組合せで数の多いことを表すので、数字そのものには具体的な内容、意味は無い。
・応付裕如ying4fu yu4ru2 対応が余裕綽綽(しゃくしゃく)である。“裕如”は、ゆったりしているさま。
□ 私たちが書く喜劇は、しばしばまずまずの骨組みが用意されているのですが、十分な言葉で話を展開することができなので、聴衆はひと目で私たちの生活の知識が十分でなく、語彙が貧弱なことを見抜いてしまいます。他の人が知らないことを、私たちが知っているのであれば、口を開いた途端、人々を夢中にさせることができます。しかし、実際は、私たちが知っていることはあまりに少ない。それで、私たちはうわべだけの言葉で、無理やり笑わせようとするので、その効果たるや満足できるものであるはずがありません。私たちは生活体験の範囲を拡大しなければならず、様々な商売、様々な人々のことを、知らないものは無いようにすれば、評書や相声の芸人達のように、余裕しゃくしゃくで受け応えし、どんな状況でも、それに相応しい言葉で対応できるようになります。
■ 没有一套現成的喜劇語言在図書館里存放着,等待我們去借閲。喜劇作者自己須有極其渊博的生活知識,創造自己的喜劇語言。我們写的是一時一地的一件事,我們的語言資料却須従各方面得来,上至綢緞,下至葱蒜,包羅万象。当然,写別的戯也須有此准備,不過喜劇特別要如此。
・渊博 yuan1bo2 学識が深くて広い。
・綢緞 chou2duan4 繻子(しゅす)と緞子(どんす)。広く絹織物のことをいう。
・包羅万象 bao1luo2 wan4xiang4 [成語]内容が豊富で、あらゆるものを網羅していること。
□ 一式の既成の喜劇用語集が図書館に置かれ、借りて閲覧されるのを待っている訳ではありません。喜劇作家は自分で極めて奥深い生活知識を身につけ、自分の喜劇用語を創造しなければなりません。私たちが書くのはその時その場限りの出来事ですが、私たちの用語資料は様々なところから採取し、上は絹織物から、下はネギ、ニンニクに至るまで、あらゆるものを網羅していなければなりません。もちろん、他の芝居でもこのような準備が必要ですが、喜劇は特にそうしなければなりません。
■ 假若別種劇的語言像単響的爆竹,喜劇的語言就必須是双響的“二踢脚”,地上響過,又飛起来響入云霄。作者的想象必須能将山南聯系到海北,才能出語驚人。生活知識不豊富,便很難運用想象。没有想象,語言都爬伏在地,老老実実,死死板板,恐怕難以発生喜劇效果。
・二踢脚 er4ti1jiao3 爆竹の一種。別名、“双響”ともいう。引火後、地面で一度炸裂し、さらに空中に昇って爆発する。
・云霄 yun2xiao1 空。高空。
・山南……海北 shan1nan2 …… hai3bei3 山の果て、海の極み。遠隔の地まで、至るところ。
□ もし別の芝居を単発の爆竹とするなら、喜劇の言葉は二度鳴る“二踢脚”で、地面で鳴り響いた後、更に空に上がり、鳴り響いて空高く消えていきます。作者の想像力は山の極みのことを海の極みと結びつけられなければならず、そうしてはじめて、言葉を繰り出すや聴衆をびっくりさせることができます。生活の知識が豊かでないと、想像力を働かせることができません。想像力が無いと、言葉は地面の上を這いつくばるだけで、おとなしく、単調で、おそらく喜劇の効果を発揮させることは難しいでしょう。
■ 喜劇的語言必須有味道,令人越咂za1摸越有意思,越有趣。這様的語言在我們的喜劇中似乎還不很多。我們須再加一把力!怎麼才能有味道呢?我回答不出。我自己就還没写出這様的語言来。我只能在這里説説我的一些想法,不知有用処没有。
・咂摸 za1mo 味をみる。吟味する。
・加一把力 jia1 yi1ba3 li4 もっとがんばる。“把”は量詞で、本来は、手に関係があり、取っ手のついたものを数えたり、ひとつかみのものを数えるのに使う。そこから派生し、“一把”で力の量を指す。
□ 喜劇の言葉は味わいがあり、人が面白いかどうか吟味すればするほど、面白くならなければなりません。このような言葉は、私たちの喜劇の中ではまだあまり多くないようです。私たちはもっとがんばらなければならない。どうやったら味わいが出るのか。私は答えられません。私自身、まだこのような言葉を書いたことがないのです。私はここでは私の若干の考え方を言ってみることしかできませんが、役に立つかどうか分かりません。
■ 我們応当設想自己是個哲学家,尽我們的思想水平之所能及,去思索我們的話語。聡明俏皮的話不是俯拾即是的,我們要苦心焦思把它們想出来。得到一句有些道理的話,而不俏皮漂亮,就須従新想過,如何使之深入浅出。作到了深入浅出,才能够gou4既容易得到笑的效果,而又耐人尋味。喜劇語言之難,就難在這里。
・設想 she4xiang3 想定する。
・話語 hua4yu3 言葉。話。
・俏皮 qiao4pi おもしろおかしい。
・俯拾即是 fu3shi2 ji2shi4 [成語]うつむいて拾えば、至る所にある。いくらでもある。どこにでもある。[用例]這種例子~。(こういう例はざらにある)
・深入浅出 shen1ru4 qian3chu1 [成語]文章や言葉の内容は奥深いが、表現はごく分かりやすいこと。
□ 私たちは、自分が哲学者であると想定し、私たちの思想レベルの及ぶ限りで、私たちの言葉について考えてみます。教養があって面白い話はどこにでもあるものではなく、私たちは苦心惨憺してそれを考え出さなければなりません。なるほどと思える話があっても、面白くてきれいでなければ、もう一回考え直し、どうやったら内容は深いが表現は分かりやすくなるか考えないといけません。内容が深くて表現が分かりやすくできれば、容易に笑いの効果を得られますし、人の吟味にも耐えられます。喜劇の言葉の難しさは、ここにあります。
■ 我們先設想自己是哲学家,而后還得変成幽默的語言藝術家,我們才能够gou4找到有味道的喜劇語言 ―― 想的深而説得俏。想的不深,則語言泛泛,可有可無。想的深而説得不俏,則語言笨拙,無従得到幽默与諷刺的效果。喜劇的語言若是鋼,這個鋼便是由含有哲理、幽默与諷刺的才能等等的鉄提煉出来的。
・可有可無 ke3you3 ke3wu2 [成語]あっても無くてもよい。
・笨拙 ben4zhuo1 下手である。
□ 私たちは最初に自分が哲学者であると想定しましたが、次にユーモア作家に変身しなければならず、ここでようやく味わいのある喜劇の言葉――思いが深く、しかも面白い、そうした言葉を見つけ出すことができるのです。思いが深くないと、言葉がうわべだけで、あっても無くてもよいものに過ぎません。思いは深いが面白くなければ、それは言葉遣いが下手で、そこからはユーモアと風刺の効果は得られません。喜劇の言葉を鋼(はがね)とするなら、この鋼は哲理、ユーモア、風刺の才能などを含んだ鉄から抽出されたものなのです。
■ 在京戯里,有不少丑角的小戯。其中有一部分只能叫作閙戯,不能算作喜劇。這些閙戯里的語言往往是起哄瞎吵,分明是為招笑而招笑。因此,這些戯能够gou4引起哄堂大笑,可是笑完就完,没有回味。在我自己写的喜劇里,雖然在語言上也許比那些閙戯文明一些,可是也常常犯為招笑而招笑的毛病。
・丑角 chou3jue2 道化。
・閙戯 nao4xi4 道化芝居。社会の暗い面を風刺するものを指す。
・起哄 qi3hong4 多くの人がいっしょになって、一人、或いは少数の人を冷やかすこと。
・瞎吵 xia1chao3 とりとめなく騒ぐこと。
・分明 fen1ming2 明らかに。
・招笑 zhao1xiao4 笑わせる
・哄堂 hong1tang2 一座の者がどっと笑うさま。“~大笑”で、どっと沸き立つ、の意味。
□ 京劇には、道化の出てくる芝居がたくさんあります。その中の一部分は“閙戯”、「道化芝居」と呼ばれますが、喜劇とは見做せません。これら「道化芝居」の言葉はしばしば冷やかしやとりとめのない話で、明らかに笑いを取るために笑わせています。だから、こうした劇は、一座の者をどっと笑わせることができますが、笑ったらおしまいで、余韻も何もありません。私自身が書く喜劇でも、言葉の上ではこうした「道化芝居」よりは文化程度が高いですが、しばしば笑いを取るために笑わせるという過ちを犯してしまいます。
■ 我知道滑稽幽默不応是目的,可是因為思想的貧乏,不能不乱耍貧嘴,往往使人生厭。我們要避免為招笑而招笑,而以幽默的哲人与藝術家自期,在談笑之中,道出深刻的道理,叫幽默的語言発出智慧与真理的火花来。這很不容易作到,但是取法乎上,還怕僅得其中,難道我們還該甘居下游嗎?
・貧嘴 pin2zui3 口数が多くていやらしい。むだ話が多い。“耍shua3~”で、くだらないことをぺらぺらしゃべること。
・生厭 sheng1yan4 嫌悪の情がわく。厭になる。
・取法乎上 qu3fa3 hu1 shang4 “取法”は、手本とする。見習う。“乎”は、接尾語で、動詞の後につく。……から、……に。“上”は、最上、最高のもの。次の節を受けて、“取法乎上,僅得其中”の形で、「最上のものを手本にしても、中くらいのものしか得られない」と続く。
・甘居 gan1ju1 低いポストに甘んじる。“~下游”で、「人の風下に立つことに甘んじる、それを良しとする」の意味。
□ 滑稽やユーモアは目的ではないと分かっていても、思想が貧困であると、くだらないことをぺらぺらしゃべらざるを得ず、しばしば人に嫌がられてしまいます。私たちは、笑いを取るために笑わせることを避け、ユーモアの哲人、芸術家を自負し、談笑の中で、深刻な道理を持ち出し、ユーモアのある言葉で智慧と真理の火花を発せさせるようにすべきです。これは、容易には成し遂げられないことですが、それでは、最上のものを手本にしても、中くらいのものしか得られないと恐れ、人の風下に立つことを良しとするのでしょうか。
■ 語言,特別在喜劇里,是不大容易調動的。語言的来歴不同,就給我們帯来不少麻煩。従地域上説,一句山東的俏皮話,山西人聴了也許根本不懂。従時間上説,二十年前的一段相声,今天已経不那麼招笑了,因為那些曾経流行一時的話已経死去。従行業上説,某一句話会叫木匠師傅哈哈大笑,而厨師傅聴了莫名其妙。
・俏皮話 qiao4pi2hua4 しゃれことば。
・木匠 mu4jiang4 大工
□ 言葉は、特に喜劇では、扱いの難しいものです。言葉の来歴は異なり、そのことは私たちに多くの煩わしさをもたらします。地域の上から言うと、山東のしゃれことばを、山西人が聞いても、恐らく理解できないでしょう。時間の上から言うと、二十年前の漫才を、今日聞いても、可笑しいとは感じられません。なぜなら、その当時に流行した話はもう死滅しているからです。職業の上から言うと、ある話は、大工の棟梁を大笑いさせることができても、レストランのシェフが聞いても、ちんぷんかんぷんでしょう。
■ 我是北京人。六十年来,北京話有很大很大的変化。老的詞儿不断死去,新的詞儿不断産生。最近,小学生們很喜歓用“根本”。問他們什麼,他們光答以“根本”,不知是根本肯定,還是根本否定。這類的例子恐怕到処都有,過些日子就又被放棄,另発明新的。我們怎麼辧呢?
・光 guang1 [副詞]範囲を限定する。ただ……だけ。
□ 私は北京人です。この60年、北京語は大きく変化しました。古い言葉が次々死滅し、新しい言葉が次々生まれてきています。最近、小学生たちが“根本”という言葉を好んで使っています。彼らにどういう意味なの?と聞いても、ただ“根本”と答えるだけで、“根本”的に肯定しているのか、“根本”的に否定しているのか分かりません。こうした例は、恐らく至る所にあるでしょう。過去の日々は捨て去られ、それとは別に新たなものが生み出されます。私たちは、どうすればよいのでしょうか。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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