中国語学習者のブログ

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老舎《出口成章》を読む: 戯劇語言(6)

2011年04月11日 | 中国文学

 老舎は喜劇の本質につき、頭を思い悩ましています。一時の流行に惑わされない、歳月が経ても、万人が理解でき、ユーモアが感じられて、しかも聞く者にとって有益である。そのようなことは果たして可能なのでしょうか。
 ここで、一つヒントとして挙げられているのが、当時、普通話(標準語)普及運動の一環で、普通話による相声(掛け合い漫才)が盛んに行われるようになったことです。老舎は、普通話の相声から、喜劇で使う言葉のヒントを得たものと思われます。

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■ 据我看,為了使喜劇的語言生動活潑,我們几乎無法完全不用具有地方性与時間性限制的語滙与説法。不過,更要緊的是我們怎様作語言的主人。這有両層意思:一是假若具有地方性或時間性限制的語言而確能幇助我們,使我們的筆下加一些色彩与味道,我們就不妨采用一些;二是最有味道的詞句応是由我們自己創造出来的。

□ 私の見るところ、喜劇の言葉を生き生きとして活発なものにするには、私たちは地域や時間の制約のある語彙や言い方を完全に用いない訳にはいかないと思います。けれども、もっと大切なことは、私たちがどうやって言葉の主体者になるかです。これには二重の意味があります。一つは、もし地域や時間の制約のある言葉が確かに私たちの助けになり、私たちの書いたものに色彩や風味を付け足してくれるなら、私たちはそれを使うのを妨げるものではないということ。もう一つは、最も味わいのある語句は、私たち自身で作り出すべきだということです。

■ 這種創造可以用普通話作為基礎。普通話是大家都知道的,用它来創造出最精采的詞句,便具有更多的光彩,不受地方与時間的限制。我是喜用地方土語的,但在推広普通話運動展開之后,我就開始尽量少用土語,而以普通話去写喜劇。這個嘗試并没有因為不用土語而減少了幽默感与表現力。

□ こうした創作は、“普通話”(標準語)を使うことを基礎にすべきです。普通話は誰もが知っていて、これを使って素晴らしい語句を生み出せば、もっと多くの色や艶を備えることができますし、場所や時間の制約を受けません。私は地方の方言が好きですが、普通話を広める運動が展開されてからは、できるだけ方言は使わないようにし、普通話で喜劇を書くようにしています。この試みは、決して、方言を用いないことでユーモアのセンスや表現力が減少したということではありません。

■ 我覚得,具有創造性的語言,帯着智慧与藝術的光彩,是要比借用些一時一地一行的俏皮話儿高超的多的。

看看
     “李白斗酒詩百篇,長安市上酒家眠,
     天子呼来不上船,自称臣是酒中仙”

 這几句吧,里辺没有用任何土語与当時流行的俏皮話,而全是到今天還人人能懂的普通話,可是多麼幽默,多麼生動,多麼簡練!只是這麼四句,便刻画出一位詩仙来了。這叫創造,這叫語言的主人!不借助于典故,也不倚頼土語、行話,而只凭那麼一些人人都懂的俗字,経過錘煉琢磨,便成為精金美玉。這雖然是詩,可是頗足以使我們明白些創造喜劇語言的道理。

・倚頼 yi3lai4 依存する。
・行話 hang2hua4 業界仲間の専門語。符丁。“行業語”とも言う。
・高超 gao1chao1 ずば抜けている。飛び抜けて優れている。

□ 創造性を備えた言葉は、智慧と芸術の光沢を備えていて、その時その場のしゃれ言葉を借りてくるのに比べて遥かに優れていると思います。

 これを見てください:

     李白斗酒詩百篇,長安市上酒家眠,
     天子呼来不上船,自称臣是酒中仙

   (李白は一斗の酒で詩を百篇書くことができる。
   長安の街の飲み屋で酒に酔って寝ている。
   天子が呼びに来ても、天子が船遊びをしている屋形船に上らない。
   そして、自らを酒の中の仙人と称している。)

 これらの語句には、方言も、当時流行っていたしゃれ言葉も一切無く、全てが今日でも人々が理解できる標準語で書かれていますが、なんとユーモアに満ち、生き生きとして、簡潔でいて言葉がよく練れていることでしょうか。わずかこの四句で、一人の詩仙を描き出しています。これこそ創造、言葉の主(あるじ)と呼ぶことができます。典拠、故事に頼らず、方言や業界用語に頼らず、これらの人々が皆知っている通俗的な文字だけを使って、それを鍛え、磨くことで、精緻で美しい宝石に仕上げています。これは詩ではありますが、私たちに喜劇で使う言葉を創造するということの道理を明らかにするのに甚だ十分です。

■ 所謂語言的創造并不是自己閉門造車,硬造出只有自己能懂的一套語言,而是用普通的話,経過千錘百煉,使語言得到新的生命,新的光芒。就像人造絲那様,用的是極為平常的材料,而出来的是光澤柔美的絲。我們応当有点石成金的願望,叫語言一経過我們的手就変了様儿,誰都能懂,誰又都感到驚異,拍案叫絶。特別是喜劇語言,它必須深刻,同時又要軽松明快,使大家容易明白,而又不忍忘掉,聴的時候発笑,日后還咂za1着滋味発笑。喜劇的語言万不可成為聴衆的負担,有的地方聴不懂,有的地方雖然聴懂,而覚得別扭。聴完喜劇而閙肚子別扭,才不上算!喜劇語言必須餡儿多而皮薄,一咬即破,而味道無窮。相声演員懂得這個道理,応当跟他們多討教。

・閉門造車 bi4men2 zao4che1 [成語]家に閉じこもって車を造る。客観的情況を考慮せず、主観だけに頼って物事を行う喩え。
・千錘百煉 qian1chui2 bai3lian4 [成語]鍛えに鍛える。詩文などで使う時は、推敲に推敲を重ねる喩え。
・光芒 guang1mang2 光。
・人造絲 ren2zao4si1 人造絹糸。人絹。レーヨン。
・拍案叫絶 pai1an4 jiao4jue2 机をたたいて、すばらしいとほめる。“拍案”は机をたたくことで、激しい怒り、驚き、賞賛、などの感情を表すこと。
・咂 za1 味をみる。吟味する。
・閙肚子 nao4 du4zi “腹瀉”fu4xie4のことで、腹をくだす、下痢をする、の意味。
・上算 shang4suan4 採算が取れる、そろばんが合う。
・討教 tao3jiao4 教えを請う。

□ いわゆる言葉の創造というのは、決して自分の殻に閉じこもって考え、頑なに自分しか理解できない言葉を作り出すことではなく、普通の言葉を使って、それを磨きに磨き、言葉に新たな生命、新たな光を与えてやることです。人造絹糸のように、用いているのはごくありふれた材料でも、出来上がってくるのは、光沢のある、軟らかで美しい糸です。私たちは多少なりとも石ころを金に変えてやろうとの思いを持ち、言葉を私たちの手を経ることで姿を変えてやり、誰もが理解でき、誰もが驚きを感じ、机を叩いて「すばらしい!」と絶賛してくれるようにすべきです。特に喜劇の言葉は、深刻でなければならず、同時に軽やかで明快で、誰もが容易に理解でき、しかも忘れてしまうに忍びなく、聞いた当座は可笑しく、日が経つと、今度は味わいが染み出て可笑しいという風であるべきです。喜劇の言葉は決して聴衆の負担になってはなりません。ある地方では聞いてもちんぷんかんぷんで、またある地方では聞いて理解はできますが、煩わしい感じがする。喜劇を聞いて、腹をくだして気分が悪くなるようでは、どうして割が合うでしょう!喜劇の言葉は、餡がたっぷりで皮が薄く、噛めばさっと皮が割れて、味わいは無限です。相声の芸人はこの道理が分かっているので、彼らにもっと教えを請うべきです。

■ 附帯着説,相声演員在近几年来,也抛棄了不少地方土語,而力求以普通話逗哏gen2。這不僅使更多的人能够gou4欣賞相声,而且使演員不再専倚頼土語。這就使他們非多想不可,用尽方法使普通話成為可笑可愛的語言,給一般的語言加多思想性与藝術性。

・逗哏(儿) dou4gen2r こっけいなことを言って、笑わせる。相声、掛け合い漫才の「つっこみ」役を指す。「ぼけ」の方は、捧哏(儿)peng3gen2rという。

□ 付け足して言うと、相声の芸人達はここ数年、少なからず地方の方言を捨て、普通話で笑いを取るよう努めています。このことでより多くの人が相声を楽しめるようになっただけでなく、芸人も専ら方言に頼るということがなくなりました。このことで、彼らは前より多くのことを考えなければならなくなり、手を尽くして普通話を可笑しくて愛すべき言葉にし、普通の言葉に思想性と芸術性を付け加えるようになりました。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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