中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

沈宏非のグルメエッセイ: 【対訳】蛇を食する者の言い分(2)

2010年12月20日 | 中国グルメ(美食)
 今回は、蛇を食べる話の後半です。

                        食蛇者説(下)

■ 吃蛇的風俗雖越千年,但是,此期間大概除把生食改了熟食、従蛇胆吃到了蛇鞭之外,烹蛇之術却長期地不思進取,直到九十年代初“蛇窩”(即蛇肉火鍋)問世。

 蛇を食べる風習は千年を超えると言いながら、この間、生で食べるのを加熱調理に改め、蛇の胆から蛇のペニスまで食べるようになった他は、蛇を調理する術は長期間新たな発展を志す意思が無く、90年代初頭になってようやく“蛇窩”(蛇肉の火鍋)を世に出した。

■ “蛇窩”之前,蛇饌一直以“蛇羹”為重。宋朱沃《萍州可談》即有“広南食蛇,市中売蛇羹”之記載,江孔殷先生的“太史五蛇羹”則把它推上了頂峰。到目前為止,香港的蛇饌仍以蛇羹為主,依然是満足于那一碗飄満菊花的黏稠之物再加一小碗潤腸蝋味飯的可怜享受。

・潤腸 run4chang2 便通をよくする

 “蛇窩”が出る前は、蛇料理はずっと“蛇羹”(蛇のスープ)に重きを置いてきた。宋の朱沃《萍州可談》には「広東南部では蛇を食べ、市中では蛇羹を売る」との記述があり、江孔殷先生の“太史五蛇羹”はその最上のものと位置づけられた。現在に至るまで、香港の蛇料理は相変わらず蛇羹が中心で、一碗の菊の花をいっぱいに散らしたどろどろとしたスープに、小さな茶碗一杯の便通をよくする蝋味飯(中華風のソーセージやベーコンの薄切りを入れて炊き込んだご飯)を添えた貧相なもので依然として満足しているのである。

■ 当然,蛇胆永遠是蛇的最精華部分,也是伝統食蛇者的最愛。在這種“補”字当頭的錯誤思想指導下,伝統的吃法,蓋以蛇胆為主,在香港和台北,至今仍行此“得一胆而棄全身”之古風。蛇肉既淪為棄之可惜之物,一定要弄来吃的話,厨房里面的下手之重,竟毫不吝惜佐料――“蛇王満”生前就最長于此道。

・淪 lun2 沈む。没落する。(悪い状況に)落ちる
・吝惜 lin4xi1 (金、物、力を)出すのを惜しむ
・佐料 zuo3liao4 調味料。

 薬味 もちろん、蛇胆は永遠に蛇の最も精緻な部分であり、伝統的な蛇食者の最も愛するものである。こうした“補”の字を最も重んじるという間違った考え方により、伝統的な食べ方は、蛇胆を主とすることに席巻され、香港や台湾では、今でもこの「胆を得たれば全身を棄つる」という古い風習が行われている。蛇肉は捨てられてしまうには惜しく、なんとかこれを食べるようにするには、厨房での調理が重要で、調味料を少しでもけちってはならない――“蛇王満”は最盛期にはこのやり方が最も長けていた。

■ 伝統蛇饌中的“龍虎鳳大会”(其実是一種豪華版的蛇羹),曾経是粤菜大系之殿堂級力作,同時也正在変成伝説。

 伝統的な蛇料理の中の“龍虎鳳大会”(実は豪華版の蛇スープなのだが)は、嘗ては広東料理大系の殿堂級の力作であったのだが、同時に今まさに伝説に変わろうとしている。

■ 一九八八年秋,重新装修的槳欄路“蛇王満”――几乎是当時全国唯一的蛇餐館――隆重復業時,留在菜単上的主打蛇饌,依然不離炒蛇柳、煎蛇脯以及蛇羹之類。能与新潮装修配称的,無非多了一道蛇串焼,吃起来好像偸工減料的羊肉串。

・偸工減料 [成語]仕事の手を抜き材料をごまかす

 1988年秋、新装なった槳欄路の“蛇王満”――当時は全国で唯一の蛇料理レストランであった――が盛大に営業を再開した際、メニューに載った主力の蛇料理は、相変わらず蛇肉の細切りの炒め物、蛇の干し肉を焼いたもの、蛇のスープの類から離れることはなかった。新装に合わせて加わったのは、蛇の串焼きだけで、食べてみると手を抜いていいかげんに作った羊の串焼きのようであった。

■ 更要命的是,它依然以“治好了多少風湿病患者”為標榜。

 更に致命的だったのは、相変わらず「どんなリューマチ患者でも治る」ことを標榜していることだった。

■ “蛇王満”曾于装修后開業首日大宴賓客,我是座上客之一。十一年后,這家享誉全中国的百年老店,終于在国慶節前夕因経営無力、周転困難而拖欠員工工資,被広州市荔湾区人民法院査封。其実,這家百年老店黯然結業,除了不思進取及不肯専注于本業之外,基本是被蛇肉火鍋打死的。

  “蛇王満”は新装開業の初日は賓客を招待しての大宴会があり、私はその客の一人であった。十一年後、この中国全土で百年続く老舗と称えられた店は、遂に国慶節前夜に経営不振で、資金繰りがつかず、従業員の給与支払いが遅滞し、広州市荔湾区人民法院に差し押さえられた。実は、この百年続いた老舗が暗然と店を閉めたのは、進取の意思が無く本業に専心しようとしなかったことの他、主に蛇肉の火鍋に客を取られてしまったことによる。

■ 蛇肉火窩之所以能够gou4成為“蛇王満”及其代表的伝統蛇饌的終結者,技術上是因了火鍋這種簡便到近乎自助的方式,其次,它也標志着真実的感性最終戦勝了那様一種似是而非的理性,是味覚的勝利。

・似是而非 [成語]似て非である。正しいようだが実は正しくない

 蛇肉の火鍋が“蛇王満”やその代表的な伝統蛇料理を終結させることができたのは、技術的には火鍋という簡便でほとんどセルフサービスのビュッフェスタイルと言ってよい方式であるからで、次いで、それは、真実の感性があのもっともらしい理性に最後には勝利したこと、つまり味覚の勝利であることを表している。

■ 把蛇放在火鍋里涮shuan4,広東人称為“打蛇窩”。打辺炉有多種形式,我喜歓的吃法,是首先起一個火鍋,完全是打辺炉的家常方式,在店家事先做好的大鍋湯底里,照例是加入了川芎、枸杞和紅棗等広府人常用的中薬材,我不慣薬材,因而只要清湯(比較講究的食肆,会把蛇骨拆出熬成湯底)。然后,再斬上一只或半只鶏(非本地土鶏不可,洋鶏与土蛇溝通不来),一只約莫一斤重的甲魚,斬件上桌。待鍋里的湯開始沸騰,可以先把鶏炖上,然后再放進甲魚。甲魚和鶏共冶一炉,安坐在火炉上慢慢煨wei1着。那廂辺,一条条蓁蓁大蛇己告屠畢,現在輪到主角登場:可以是斬成手指長短的、晶瑩剔透的蛇碌(段),也可以是切成生魚那様不厚不薄的蛇片。甲魚和鶏被煨出的最初的香気四溢之際,正是将蛇赴湯的大好時机。

・川芎 chuang1xiong1 センキュウ。漢方薬の一種。せり科の植物の根茎で、活血剤、強精剤に用いられる。四川産のものが最も品質がよいので“川芎”と呼ばれる。
・蓁蓁 zhen1zhen1 草木が生い茂るさま。イバラが群がり生えるさま。
・晶瑩 jing1ying2 きらきらして透明である
・剔 ti1 (骨から肉を)削り取る。そぎ取る。(隙間から)ほじくり出す。
 [参考]玲瓏剔透:(透かし彫りなどの)細工が巧みで、みごとに彫られているさま。

 蛇を火鍋の中に入れ湯にくぐらすことを、広東人は“打蛇窩”(蛇鍋をやる)と言う。鍋を囲むのは様々な方式があるが、私が好きな食べ方は、先ず鍋に火を点けたら、後は皆で鍋を囲む家でやるやり方と全く同じである。店では事前に準備してある鍋のスープのベース(“湯底”と言う)に、通常は川芎、クコ、棗の実など、広州の人々がよく用いる漢方の薬材を入れるが、私は薬材に慣れていないので、清湯(よく研究している店では、蛇の骨を砕いたものを煮出してスープのベースにしている)だけにする。その後、鶏を一羽ないしは半羽(地元産の鶏でなければだめで、輸入ものでは地元産の蛇と合わない)と、一匹がおおよそ一斤のスッポンを切って、切り身を食卓に並べる。鍋のスープが沸騰し出したら、先ず鶏を入れて煮込み、次いでスッポンを入れる。スッポンと鶏は一つの“炉”の中で“製錬”され、鍋の中に鎮座しゆっくりと煮られている。部屋のあちらの方では、一匹一匹荊のように絡み合った大蛇を既に殺し終って、さあ主役の登場である。手の指の長さほどに切って、きらきら透明で皮の模様の美しい筒切りにしても良いし、魚の刺身のように厚くも薄くもない切り身にしても良い。スッポンと鶏が煮込まれて醸し出される最初の香気があたりに溢れたら、蛇をスープに入れるタイミングの到来である。

■ 蛇肉的真味,非常微妙,介乎于鶏肉和魚肉之間,也就是説,在鶏和甲魚的渲染之下,蛇肉的美味得到了最大程度的還原,其鮮甜至此方被演繹至空前絶后、淋漓尽致的境界。

・介 jie4 中間にある。またがる
・渲染 xuan1ran3 (中国画の技法で)雰囲気を出すために色や輪郭をぼかす、ぼかし。
・還原 huan2yuan2 還元。原状に復する
・淋漓尽致 lin2li2jin4zhi4 [成語](文章や話が)詳しく徹底しているさま。

 蛇肉の真の味は、たいへん微妙で、ちょうど鶏肉と魚肉の中間であり、つまり、鶏とスッポンによるぼかしが入って、蛇肉の美味は最大限還元され、その旨み甘みはここに至って空前絶後、徹底した境地にまで演繹されている。

■ 我估計,首創此種吃法之人大概也是個懐着一顆吃心読《聊斎》的。類似的吃法,相近的味道,見之于《豢huan4蛇》:有客中州者,寄居蛇佛寺。寺中僧人具晩餐,肉湯甚美,而段段皆圓,類鶏項。疑問寺僧:“殺鶏何乃得多項?”僧日:“此蛇段耳。”

・吃心 気を回す。疑う

 私はおそらく、最初にこの食べ方を考えた人は、気を回して《聊斎志異》を詠んだのではないかと思う。これと似た食べ方、近い味の料理が、《豢蛇》に見られる:客の中州という者が、蛇佛寺に寄寓した。寺の僧が晩飯を用意してくれたが、肉もスープもたいへん美味で、肉は一個一個が丸く、鶏の首のようである。寺の僧に「鶏からどうしてこんなに首が取れるのかね?」と聞いたところ、僧は「これは蛇のぶつ切りです」と答えた。

■ 芥川龍之介《羅生門》里面的那個抜死屍頭髪的老嫗,在自辯中也指責説“我剛才抜着那頭髪的女人,(生前)是将蛇切成四寸長,晒干了,説是干魚,到帯刀的営里去出売的。倘tang3使没有遭瘟,現在怕還売去罷。這人也是的,這女人去売的干魚,説是口味好,帯刀們当作缺不得的菜料買。”

・老嫗 lao3yu4 おばあさん。
・遭瘟 zao1wen1 疫病にかかる

 芥川龍之介の《羅生門》の中で、死体から頭髪を抜いているばあさんは、非難がましくこう言った。「私がさっき髪の毛を抜いた女は、生前、蛇を四寸の長さで切っては、日に干し、魚の干物だと言って、お侍の兵営に行って売っていた。もし疫病でくたばらなかったら、今でも売りに行っていただろう。こいつもだ、この女が売りに行った干物を、美味しいと言うものだから、お侍達は欠かせない食料として買っていた。」

■ 《山海経》里説的“以虫為蛇,以蛇為魚”,据考証是因“蓋蛇古字作它,与訛声相近;訛声転為魚,故蛇復号魚矣。”可是,就味覚而言,蛇跟魚的関係可能不僅僅只存在于語音的変遷吧。

 《山海経》の中で、「“虫”を以て“蛇”と為し、“蛇”を以て“魚”と為す」と言っている。考証によれば、「確かに“蛇”の古字は“它”であり、その訛った発音が近かったので、転じて“魚”となった。ゆえに“蛇”をまた“魚”と呼んだのである。」しかし、蛇と魚の関係は単にことばの発音の変遷だけではないように思う。

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 蛇の食べ方も変化しているのですね。でも、蛇肉火鍋(“蛇窩”ということばは一般的ではないようです。なんせ「蛇の巣」ですから)は鶏やスッポンをたっぷり使うし、蛇も捌き立てを持ってくるのですから、結構な高級料理なのでしょうね。新しい発見をしました。


【出典】沈宏非《写食主義》四川文藝出版社 2000年9月

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