歇后語は、後半のかけことばの解、本来言いたいことを見ると、同じ結論になるものが多い。その中で、今日は見識が狭いことを表すことばをまとめてみた。
● 土地廟里的菩薩---没有見過大香火
土地神を祭った祠(ほこら)の仏様→たくさんの人がお参りに来て線香やロウソクを焚くのを見たことがない
● 井底下的青蛙---只看見簸箕bo4ji大的一塊天
井戸の底のカエル→箕(み)の大きさの空しか見たことがない
● 従門逢里看大街---眼光太窄了
戸の隙間から通りを見る→視線の範囲が狭い→見識が狭い
● 坐井看天---見識太少
井戸に座って天を見る→見識が少なすぎる
● 眉毛上吊鈅匙---開眼
眉毛の上に鍵を吊るす→目の鍵を開ける→見聞を広める
● 螞蟻爬槐huai2誇kua1大国---小見識
エンジュの樹の下の巣に住むアリは、エンジュの樹に上ると、ここが世界で最も大きな場所だと思い、誇りにする→見識が狭い
● 背着八面找九面---没見過十(世)面
八面を背負って九面を捜す→十面を見たことがない→十shi2と世shi4は発音が近い(諧音)→世間を見たことがない、世間知らず
● 眼睛看在鼻尖上---一寸光
目で鼻の頭を見る→わずかな景色しか見えない→見識が狭い
● 老鼠子眼睛---一寸光
ネズミの目→わずかな景色しか見えない→見識が狭い
● 眼睛長在屁股上---只看見自己的一堆屎
目が尻の上にできる→自分の糞しか見えない
● 管中窺豹guan3zhong1kui1bao4---小見識
竹の管から豹(ヒョウ)をのぞく→豹の体の一部しか目に入らない→見識の狭いことのたとえ
しかし、次のように解釈すると、必ずしも悪い意味ではなくなる。
・ 管中窺豹 略(可)見一斑
観察したほんの一部からでも物事の全貌を推し量ることでができる
・ 略見一斑
物事の一部が見える。垣間見える
● 螺螄luo2si1殻里場chang2---地方太狭小了
マキガイの殻に市が立つ→場所がたいへん狭い
「螺螄殻里做道場」とも言う。ここでいう道場とは、梵語の曼陀羅の意訳であり、或いは「壇」とも訳し、菩薩像をお祭りし、一定の要求に基づき配置をし、法要を行う宗教的な場所のことである。
西暦1142年、奸臣の秦桧が「でっちあげ(莫須有)*」の罪で抗金の名将、岳飛親子と、娘婿の張憲を風波亭で殺害しようとした。獄卒の隗順は忠臣が一心に国を思いながら、無実の罪で殺されようとしていることに同情し、岳飛等の遺体を早くどこかへ埋めようとした。どこに埋めようか悩んでいて、ふとマキガイの殻が堆積したところに埋める考えが浮かんだ。もともと、銭塘門外、銭塘江のほとりでは、多くの貧しい人がマキガイを採って生計を立てていた。川のそばで貝を茹で、曲った針で中の身を取り出し、それを干して売った。残った貝殻は川辺に捨てられ、それがうず高く積っていた。ある日の晩、隗順はこっそり岳飛等の遺体を背負い城外へ出ると、彼らの遺体を貝殻の山の中に埋めた。このことは誰にも知られずに行われたので、すぐに方々が調べられたが、遂に発見されなかった。隗順は毎年清明節になると、ここで祭拝をした。 20年の月日が経ち、宋の孝宗が即位した。主戦派の張浚を任用し、抗金戦争を発動した。張浚等は上書し、岳飛のため雪辱を期すことを求め、孝宗は人心を得るため再び岳飛の遺体を捜した。既に隗順は亡くなっていたが、彼の子供が岳飛の遺体の在り処を求める高札を見て、こっそりその横に張り紙をし、忠臣の骨を捜すなら、マキガイの殻の中を捜せ、と書いた。これは孝宗の知るところとなり、貝殻の山を捜したところ、果たして岳飛等の遺体が出てきたので、黄道吉日を選び、遺骨を栖霞嶺に改葬した。また亡骸を済度するため、120人の僧侶が元々遺体を埋めた貝殻の山のところに行き、道場を開き、法要を営んだ。南宋の首都・臨安の人々は忠臣・岳飛を慕い、岳飛の為に道場が開かれたと聞くと、皆原葬の地へ行き、祭拝をした。そこへ向う途中、人々は互いに「今日はどこで道場が行われるのか?」と聞くと、知っている者は「マキガイの殻のところで道場が行われる(螺螄殻里做道場)」と答えた。そしてこのことばが後に伝わり広まったという。
* 莫須有 =也許有。あるかもしれない。でっちあげの。
【解説】宋代の奸臣、秦桧が、将軍の岳飛が謀反を企んでいるとして罪に陥れようとした。そのとき、韓世忠が納得せず、根拠があるかと秦桧に詰問したところ、秦桧は「其事体莫須有」(そういう事柄があるかもしれない)と答えた。それから、莫須有で、でっちあげの罪名を意味するようになった。
● 土地廟里的菩薩---没有見過大香火
土地神を祭った祠(ほこら)の仏様→たくさんの人がお参りに来て線香やロウソクを焚くのを見たことがない
● 井底下的青蛙---只看見簸箕bo4ji大的一塊天
井戸の底のカエル→箕(み)の大きさの空しか見たことがない
● 従門逢里看大街---眼光太窄了
戸の隙間から通りを見る→視線の範囲が狭い→見識が狭い
● 坐井看天---見識太少
井戸に座って天を見る→見識が少なすぎる
● 眉毛上吊鈅匙---開眼
眉毛の上に鍵を吊るす→目の鍵を開ける→見聞を広める
● 螞蟻爬槐huai2誇kua1大国---小見識
エンジュの樹の下の巣に住むアリは、エンジュの樹に上ると、ここが世界で最も大きな場所だと思い、誇りにする→見識が狭い
● 背着八面找九面---没見過十(世)面
八面を背負って九面を捜す→十面を見たことがない→十shi2と世shi4は発音が近い(諧音)→世間を見たことがない、世間知らず
● 眼睛看在鼻尖上---一寸光
目で鼻の頭を見る→わずかな景色しか見えない→見識が狭い
● 老鼠子眼睛---一寸光
ネズミの目→わずかな景色しか見えない→見識が狭い
● 眼睛長在屁股上---只看見自己的一堆屎
目が尻の上にできる→自分の糞しか見えない
● 管中窺豹guan3zhong1kui1bao4---小見識
竹の管から豹(ヒョウ)をのぞく→豹の体の一部しか目に入らない→見識の狭いことのたとえ
しかし、次のように解釈すると、必ずしも悪い意味ではなくなる。
・ 管中窺豹 略(可)見一斑
観察したほんの一部からでも物事の全貌を推し量ることでができる
・ 略見一斑
物事の一部が見える。垣間見える
● 螺螄luo2si1殻里場chang2---地方太狭小了
マキガイの殻に市が立つ→場所がたいへん狭い
「螺螄殻里做道場」とも言う。ここでいう道場とは、梵語の曼陀羅の意訳であり、或いは「壇」とも訳し、菩薩像をお祭りし、一定の要求に基づき配置をし、法要を行う宗教的な場所のことである。
西暦1142年、奸臣の秦桧が「でっちあげ(莫須有)*」の罪で抗金の名将、岳飛親子と、娘婿の張憲を風波亭で殺害しようとした。獄卒の隗順は忠臣が一心に国を思いながら、無実の罪で殺されようとしていることに同情し、岳飛等の遺体を早くどこかへ埋めようとした。どこに埋めようか悩んでいて、ふとマキガイの殻が堆積したところに埋める考えが浮かんだ。もともと、銭塘門外、銭塘江のほとりでは、多くの貧しい人がマキガイを採って生計を立てていた。川のそばで貝を茹で、曲った針で中の身を取り出し、それを干して売った。残った貝殻は川辺に捨てられ、それがうず高く積っていた。ある日の晩、隗順はこっそり岳飛等の遺体を背負い城外へ出ると、彼らの遺体を貝殻の山の中に埋めた。このことは誰にも知られずに行われたので、すぐに方々が調べられたが、遂に発見されなかった。隗順は毎年清明節になると、ここで祭拝をした。 20年の月日が経ち、宋の孝宗が即位した。主戦派の張浚を任用し、抗金戦争を発動した。張浚等は上書し、岳飛のため雪辱を期すことを求め、孝宗は人心を得るため再び岳飛の遺体を捜した。既に隗順は亡くなっていたが、彼の子供が岳飛の遺体の在り処を求める高札を見て、こっそりその横に張り紙をし、忠臣の骨を捜すなら、マキガイの殻の中を捜せ、と書いた。これは孝宗の知るところとなり、貝殻の山を捜したところ、果たして岳飛等の遺体が出てきたので、黄道吉日を選び、遺骨を栖霞嶺に改葬した。また亡骸を済度するため、120人の僧侶が元々遺体を埋めた貝殻の山のところに行き、道場を開き、法要を営んだ。南宋の首都・臨安の人々は忠臣・岳飛を慕い、岳飛の為に道場が開かれたと聞くと、皆原葬の地へ行き、祭拝をした。そこへ向う途中、人々は互いに「今日はどこで道場が行われるのか?」と聞くと、知っている者は「マキガイの殻のところで道場が行われる(螺螄殻里做道場)」と答えた。そしてこのことばが後に伝わり広まったという。
* 莫須有 =也許有。あるかもしれない。でっちあげの。
【解説】宋代の奸臣、秦桧が、将軍の岳飛が謀反を企んでいるとして罪に陥れようとした。そのとき、韓世忠が納得せず、根拠があるかと秦桧に詰問したところ、秦桧は「其事体莫須有」(そういう事柄があるかもしれない)と答えた。それから、莫須有で、でっちあげの罪名を意味するようになった。
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