聚宝盆
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日本で言えば、打ち出の小槌、とでも訳するのだろうが、中国の民間説話に出てくる、いくら取っても尽きない、宝物の湧き出す鉢である。
北京大学出版社《高級漢語口語》上冊で、《新春同楽話民族(快板書)》(《北京晩報》1997年2月8日 崔《新春同楽話民族》改編)が載っており、その中で、春節を迎える心浮き立つ作業として、
貼対聯、喜来臨、求吉利画個聚宝盆
[訳]縁起の良いことばを書いた対聯を門の両側に貼り、喜びがやって来る。縁起を求めて聚宝盆の絵を描く、
とあるので、七福神のように、聚宝盆も縁起の良い図柄となっているようだ。
さて、聚宝盆の由来は、というと、江蘇省の水郷古鎮、周庄出身の沈万三の伝説が思い出される。
沈万三、本来の名前は沈富、浙江省南潯の人である。幼少より私塾に上がり、四書五経を学び、機智に富み、聡明に育った。彼の父の沈佑はしんこ細工で生計を立てており、道具を入れた天秤棒を担いで街を売り歩いた。普段から倹約に励み、多少の財産を貯め、南潯で家を何軒かと数畝の土地を買い、半農半商となった。家では人出が不足していたので、沈万三は学校をやめ、父親を助けて店番をし、そろばんをたたいて帳簿をつけ、若くして世に出て、利殖の才に長けた商売人になった。
● 捏粉玩具 nie1fen3wan2ju4 「捏」は指でつまんでこねる動作で、米の粉に色をつけて、それを指先でこねて人形の形にしたおもちゃを作る、つまり、日本でも昔あった、しんこ細工である
ある年、新しい蚕の繭が市場に出たので、沈佑は数十担(「担」は重量の単位で、1担=100斤、1斤は500グラムなので50キロ)の繭を買い、息子の万三に小僧を連れ盛澤の町に行かせてこれを転売し、いくばくかの金儲けをしようと思った。
盛澤は有名な絹の産地であり、人口が多く、市が立ち賑やかであった。町には何軒もの妓楼があり、夜になると提灯を掲げ色絹を飾り付けた画舫(飾りの付いた屋形船)が運河に出て、絹を買いに来た商人たちに夜の楽しみを提供した。船に上ると芸妓をはべらせ酒宴を張り、楽曲に耳を傾け、サイコロを振って酒の余興の遊びに興じ、花の枝を揺らして手まねきする妓女を抱いて、船の中で一夜の契を結んだ。世事に不慣れな沈万三は、たちまちやくざに船に上げられ飲む打つ買うで、一晩のうちに、繭を売った銀子を巻き上げられ、すってんてんになってしまった。
沈万三は一文無しで南潯の町に帰って来た。小僧は沈佑の姿を見るや、事の一部始終を報告した。沈佑は髭が逆立つほど怒り狂い、沈万三を縄で縛り殴るけるの折檻を加えると、家から追い出した。沈万三はこの災難により、あちこち町から町をさすらい、乞食をして暮らした。年の瀬を迎え、彼は昆山千灯鎮にやって来た。この時節、家々はお供えにする鶏や羊を屠り、年越しの準備に忙しくしていた。一軒の家に近づくと、口を開いて食べ物を恵んでほしいと言う前に、突然戸が開いて、中からひと山の鶏の羽根が投げ捨てられ、足元に落ちた。沈万三は一目見るや、食べられないし、売れるものでもないので、ムカッと腹を立てた。しかし、大量の色彩が目の覚めるように美しい雄鶏の羽根が彼を引きつけ、彼は突然、父親がかつて、手先の技を職業にし、雄鶏の羽根からも玩具が作れることを思い出した。そこで彼は鶏の羽根を拾い集めると、粘土を澱粉(グルテンを除き漉し出した小麦粉)の代わりに用い、賢く手先巧みに鶏の泥人形を何体か作り、すぐに子供たちに売り歩いた。
沈万三は命をつなぐ方法を見つけ、千灯で泥人形を作って暮らした。三春(春の3か月。孟春、仲春、季春のこと)の一日、沈万三は町はずれの泥沼で泥を掘っていると、農民が蛙を捕まえているのを見つけた。彼は農民のところに行くと、制止して言った。「蛙は作物を守る守り神だから、勝手に捕まえてはいけない。逃がしてやりなさい」と。
農民は彼を睨みつけて言った。「わかっている。でも今は作物の端境期で、家には食べるものが無い、蛙を捕まえて売って暮らすしかない。」
沈万三は泥人形を売って得た金を取り出すと、農民に渡して言った。「この蛙を私に売ってくれ。」
農民は金を受け取ると、紐でひとつながりにされた蛙を沈万三に渡した。すぐさま彼は蛙を全部池に返してやった。
その日の晩、沈万三は夢の中で何人かの青い衣を着た人に出会った。青衣の人は彼に拱手して言った。「私たちの命を助けてくれてありがとうございます。後で必ずあなたの大恩大徳に報いましょう。」
何日かして、沈万三が湯家浜に行って泥人形を売っていると、老人が四手網を引いているのに出会った。老人が網を引いても引いても、網の中は空っぽであった。沈万三は不思議に思い、進みでて言った。「おじいさん、私がやってみましょう。」彼は手に力を入れて、網を三回引っ張ると、その度に魚が掛かっていた。しかし四回目には素焼きの鉢が引き上げられ、鉢の中には何匹かの蛙がゲロゲロ休まず鳴いていた。彼はもう一度網を引いた。結果はやはり一個の素焼きの鉢と、何匹かの鳴きやまぬ蛙が掛かっていた。
老人は口を開いて言った。「鉢を持って行き、あひるの餌入れにでもしなさい。」
沈万三は素焼きの鉢を手に取ると、老人に渡し、お辞儀をしてその場を離れた。
老人はみすぼらしい漁船で暮らし、傍には十八歳の孫娘、張秀英がいっしょに暮らしていた。孫娘は老人の言いつけに従い、雑穀の穂を何把か掴むと素焼きの鉢に入れ、あひるに食べさせた。すると思いもかけず、あひるがまだ食べないうちに、鉢の中はたちまち雑穀で一杯になり、益々増えて、船尾まで溢れだした。秀英はびっくりして急いでおじいさんを呼んでどうなったのか見てもらった。
老人は雑穀の山の中から素焼きの鉢を取り出すと、しばらくじっと見ていたが、どうしてなのかわからなかった。その時ちょうど、沈万三がおもちゃを売り終わって戻って来た。老人は彼だとわかると、鉢をささげ持ち、岸に上がり、彼をつかまえて言った。「兄さん、不思議なことだ、鉢にものを入れるとどうしてこんなにたくさんになったのだろう?」
● 看不出个子丑寅卯 kan4buchu1gezi3chou3yan2mao3 どうしてそうなったのか、原因や理屈がよくわからない。子丑寅卯は十二支の最初の四つで、物事が順序良く条理にかなうたとえ
沈万三は問い返した。「これは本当ですか?」
老人は鉢を地面に置くと、言った。「もう一度、試してみなされ。」
沈万三は早速、泥人形を売って得た銅銭を何枚か鉢に入れた。すると見る間に、素焼きの鉢は銅銭で一杯になった。沈万三、老人、秀英の三人はしばらく唖然としていたが、異口同音に言った。「神様!これは打ち出の小槌だ。」
聚宝盆を得て、三人は家族になった。老人は、沈万三が眉目秀麗、聡明快活であったので、彼を孫娘の婿にした。一家は皆口が固く、また金、銀を聚宝盆に入れ、増やした金、銀を隠しておく場所が無かった。道理にも言う。家に黄金があり外には秤がある。最初の一日はごまかせても、十五日間ごまかし通すことはできない。噂が広まると、安全ではない。そこで相談して世の中の人の注意の集まらないところを捜し、そこに隠れ住んで幸せに暮らすことにした。
● 守口如瓶 shou3kou3ru2ping2 (瓶の口を封じたように)口が極めて固い。秘密を厳守する
● 家有黄金,外有斗秤jia1you3huang2jin1 wai4you3dou3cheng4 人の家にどれだけの金があるか、外の人は桝を持ってきて量る。財産がどれだけあり、どんな才能があるかを、周りの人は理解しているものだ、という俗語。
考えが決まると、三人は船一杯の金銀を載せて、呉淞江に沿って南へ向って船を走らせ、何度かの選択を経て、周庄鎮東垞村にやって来た。ここは辺鄙で、交通の便が悪く、世の中と隔絶したようであるので、ここを住む場所に定めた。
沈万三の本名は沈富、字は仲華。湖州南潯(現在の浙江省呉興県南潯)の人である。元末明初に実在。人々は巨万の富を築いた人を「万戸」と呼んだが、沈万三は財産の額の序列が三番目であったので、沈の三番目の万戸、沈万三と呼ばれたという。彼は元末の張士誠の蜂起、蘇州支配。次いで朱元璋の明王朝建国を助け、道路や橋の建設、明の最初の都、南京城の建設に資金を出した。しかし、最後は朱元璋に疎まれ、君主を欺いた罪で雲南に流罪、また彼の五人の息子も悉く殺され、子孫を断たれた。
しかし、沈万三の伝説は、この地に長く語り継がれた。周庄の町は湖沼に囲まれ、街道からはずれていたのが幸いし、戦禍や都市化の波を受けず、古い町並みをとどめながら、ひっそり佇んでいたが、近年の水郷古鎮ブームにより、町全体が観光地になっている。
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