中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

【対訳】老舎《出口成章》を読む: 人、物、語言

2011年01月26日 | 中国文学
 出口成章chu1kou3cheng2zhang1 は成語で、言うことがそのまま文章になる、つまり文才がたいへん優れていることを言います。作家、老舎が創作について語った講演や文章をまとめたのがこの本で、文章の書き方をわかりやすく書いています。この文を読んでみましょう。

■ 在文学修養中,語言学習是很重要的。没有運用語言的本事,即無従表達思想、感情;即使敷演成篇,也不会有多少説服力。

・無従 wu2cong2 ~する方法がない。~しようがない  

 文学の修養の中で、ことばの学習はたいへん重要である。ことばの本質を活かせず、思想、感情を表現できなければ、たとえそれを展開して文章にしても、なんら説得力がない。

■ 語言的学習是従事写作的基本功夫。

 ことばの学習は創作に従事する者の基本的な技量である。

■ 学習語言須連人帯話一斉来、連東西帯話一斉来。這怎麼講呢?這是説,孤立地去記下来一些名詞与話語,語言便是死的,没有多大用処。鸚鵡学舌就是那様,只会死記,不会霊活運用。孤立地記住些什麼“這不結啦”、“説干脆的”、“包了圓儿”……并不就能生動地描絵出一個北京来。

・鸚鵡学舌 ying1wu3xue2she2 [成語]オウムの口まね。人が言ったことの受け売りをする譬えとして用いられる。貶義語として用いられる。
・結 jie2 終わる。しめくくる/這不結啦:これでいいじゃないか。
・包圓儿 bao1yuan2r [口語](責任をもって)全部引き受ける

 ことばを学習するには人と共に話もいっしょに持ってこなければならず、物と共に話もいっしょに持ってこなければならない。これはどういうことか。これはつまり、いくつかの名詞や会話をひたすら憶えても、そんなことばは死に体で、たいして役に立たない。オウムが人の言葉の真似をするのがそういうことで、ただ憶えただけでは、自由に活用することができない。「これでいいじゃないか」、「はっきり言いなさい」、「全部引き受けた」……といったことばをひたすら憶えたところで、北京の様子を生き生きと描くことなどできない。

■ 我們記住語言,還須注意它的思想感情,注意説話人的性格、階級、文化程度,和説話時的神情与音調等等。這就是説,必須注意一個人為什麼説那句話,和他怎麼説那句話的。通過一些話,我們可以看出他的生活与性格来。這就叫連人帯話一斉来。這様,我們在写作時,才会由人物的生活与性格出発,什麼人説什麼話,張三与李四的話是不大一様的。即使他倆説同一件事,用同様字句,也各有各的説法。

・張三李四 不特定の一般の人を指す。

 私たちはことばを憶える時、その思想や感情にも注意し、話をする人の性格、身分、教養、話をする時の気持ち、音の調子などに注意しなければならない。これはつまり、ある人がどうしてそういう話をするのか、そのことをどのように話すのかに注意しなければならないということである。話を通じて、私たちはその人の生活や性格を理解することができる。このことがつまり人と共に話もいっしょに持ってくるということである。こうすれば、私たちは文章を書く時、人物の生活と性格から出発することができ、人それぞれ話の内容が異なり、八つぁんと熊さんの話は同じではないのである。たとえ彼ら二人とも同じ事を同じ字句を使って話しても、それぞれの言い方は異なるのである。

■ 語言是与人物的生活、性格等等分不開的。光記住一些話,而不注意説話的人,便摸不到根儿。我們必須摸到那个根儿 ―― 為什麼這個人説這様的話,那個人説那様的話,這個人這麼説,那個人那麼説,必須随時留心,仔細観察,并加以揣摩。先由話知人,而后才能用話表現人,使語言性格化。

・揣摩 chuai3mo2 (意味を)かみしめる。推察する

 ことばは人物の生活、性格などと切り離すことはできない。ある話をひたすら憶えるだけで、話をした人に注意を払わなければ、根本を理解することができない。私たちは根本を理解しなければならない――どうしてこの人はこのような話をしたのか、あの人はそんなことを言ったのか。この人がこう言った、あの人がああ言ったら、その都度注意して、仔細に観察し、その意味を推察しなければならない。先ず話から人を知り、そうして後はじめて話で人を表現でき、ことばを性格化することができる。

■ 不僅対人物如此,就是対不会説話的草木泉石等等,我們也要抓住它們的特点特質,精辟地描写出来。它們不会説話,我們用自己的語言替它們説話。杜甫写過這麼一句:“塞水不成河”。這確是塞外的水,不是江南的水。塞外荒沙野水,往往流不成河。這是経過詩人仔細観察,提出特点,成為詩句的。

・精辟 jing1pi4 (見識や理論が)鋭い。深い

 人物に対してそのようにするだけでなく、話をすることのできない草木や泉の水や石ころなどに対しても、私たちはそれらの特徴や特質を把握して、的確に描写してやらなければならない。それらは話をすることができないので、私たちが自分のことばでそれらに代わって話をしてやる。杜甫は次のような句を書いたことがある。「塞水は河と成らず」。これは確かに塞外の地の水の流れであり、江南の水ではない。塞外の砂漠や荒野の水は、しばしば流れても川にはならない。これは詩人が細かく観察を行い、特徴を見つけ出し、詩の文句にしたのである。

■ 塞水没有自己的語言。“塞水不成河”這几個字是詩人自己的語言。這几個字都很普通。不過,経過詩人這麼一運用,便成為一景,非常鮮明。可見只要仔細観察,抓到不説話的東西的特点特質,就可以替它們説話。没有見過塞水的,写不出這句詩来。我們対一草一木,一泉一石,都須下功夫観察。找到了它們的特点特質,我們就可以用普通的話写出詩来。光記住一些柳暗花明、桃江柳緑等汎汎的話,是没有多大用処的。汎汎的詞藻総是人云亦云,見不出創造本領来。用我們自己的話道出東西的特質,便出語驚人,富有詩意。這就是連東西帯話一斉来的意思。

・汎汎 fan4fan4 うわべだけの
・詞藻 ci2zao3 ことばのあや、修飾。
・人云亦云 ren2yun2yi4yun2 [成語]他人の言ったことを受け売りにする。定見のないことの譬え
・本領 ben3ling3 腕前。才能。能力。技量。

 塞水は自分のことばを持たない。「塞水は河と成らず」といういくつかの文字は、詩人自身のことばである。このいくつかの文字はごくありふれたものである。しかし、詩人がこのように使うことによって、一つの風景となり、たいへん鮮明である。ここから分かるのは、細かく観察し、話のできない物の特徴・特質を把握しさえすれば、それらに代わって話をすることができるのである。塞水を見たことがなければ、この詩は描けない。私たちは一草一木、一泉一石に対しても、時間をかけて観察しなければならない。それらの特徴・特質を探し出せれば、私たちは普通のことばを使って詩に書き出すことができる。“柳暗花明”だとか“桃江柳緑”だとかいったうわべだけのことばを憶えても、たいした役には立たない。うわべだけのことばの飾り付けは他人の受け売りに過ぎず、創造の技能を見出すことができない。自分自身のことばで物の特質を述べてこそ、読む人を驚かせ、詩の味わいを豊かにすることができる。これが物と共に話もいっしょに持ってくるという意味である。

■ 杜甫還有這麼一句:“月是故郷明”。[①] 這并不是月的特質。月不会特意照顧詩人的故郷,分外明亮一些。這是詩人見景生情,因懐念故郷,而把這個特点加給了月亮。我們并不因此而反対這句詩。不,我們反倒覚得它頗有些感染力。這是另一種連人帯話一斉来。“塞水不成河”是客観的観察,“月是故郷明”是主観的情感。詩人不直接説出思郷之苦,而説故郷的月色更明,更親切,更可愛。我們若不去揣摩詩人的感情,而専看字面儿,這句詩便有些不通了。

・見景生情 jian4jing3sheng1qing2 目にふれた情景に心を動かされる

 杜甫はまた次のような一句を詠んだ。「月はこれ故郷に明るからん」。[①] これは決して月の特質ではない。月は特別に詩人の故郷に配慮して、殊更に明るくすることなどあり得ない。これは詩人が目に触れた情景に心を動かされ、故郷を懐かしく思ったことから、この気持ちを月に込めたのである。私たちは決してこのことでこの詩に反対はしない。いや、私たちは却ってそれが頗る影響力を持つように思う。これはもうひとつの人と共に話を持ってくることである。「塞水は河と成らず」は客観的な観察であり、「月はこれ故郷に明るからん」は主観的な情感である。詩人は直接は故郷を恋しく思う苦しみを言わず、故郷の月がより明るく、心がこもっていて、かわいいと言う。私たちは詩人の感情をかみしめることなく、ただ字面だけ見ていては、この詩は意味が通じない。

■ 是的,我們学習語言,不要忘了観察人,観察事物。有時候,見景生情,還可以把自己的感情加到東西上去。我們了解了人,才能了解他的話,従而学会以性格化的話去表現人。我們了解了事物,找出特点与本質,便可以一針見血地状物絵景,生動精到。人与話,須一斉学習,一斉創造。

・一針見血 yi1zhen1jian4xie3 [成語]短いことばで急所をずばりと言い当てる
・精到 jing1dao4 綿密である。周到である

 そうだ、私たちはことばを学習する時、人を観察し、事物を観察することを忘れてはならない。時には、目にした情景に心を動かされ、自分の感情を物の上に込めることもできる。私たちは人を理解して、はじめてその人の話を理解することができ、そこから性格化した話でもって人を表現することができるようになる。私たちは事物を理解し、特徴と特質を見つけることで、短い言葉でずばりと急所を突くように物や情景を描くことができ、それは生き生きとして緻密である。人と話は、いっしょに学ばなければならず、いっしょに創造しなければならない。


注①: 杜甫《月夜憶舎弟》の一句。この詩の全文は以下:

      戍鼓断人行,    戍鼓、人行断え、
      秋辺一雁声。    秋辺、一雁の声。
      露従今夜白,    露は今夜より白く、
      月是故郷明。    月はこれ故郷に明るからん。
      有弟皆分散,    弟有れども皆分散し、
      無家問死生。    家の死生を問うべき無し。
      寄書長不達,    書を寄せども長く達せず、
      况乃未休兵。    況や乃ち兵を休めざるをや。

・戍 shu4 守る。守備する。ここは辺境の守備隊の砦。

   辺境の守備隊の砦から太鼓の音が聞こえ、道を行く人の姿も途絶えた。
  秋空に、一羽の雁の鳴き声が響く。
  今夜から白露の季節、
  月は私の故郷をも明るく照らしていることだろう。
  弟達は皆ばらばらに暮らしており、
  その安否を問う術も無い。
  手紙を書いても、もう長い間届いていない。
  ましてや今は戦争が続いているのだから。


【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月


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