今回は、「水滴石穿」shuǐ dī shí chuānの話です。
小水滴,它是多么柔软,又是多么微不足道;而石头却是那样坚硬,不易摧毁。可是累月地滴下去,水滴真的能把石头滴穿。
xiǎo shuǐ dī, tā shì duōme róuruǎn, yòushì duōme wēi bù zú dào; ér shítou quèshì nàyang jiānyìng, bùyì cuīhuǐ. Kěshì lěi yuè de dī xiàqu, shuǐ dī zhēn de néng bǎ shítou dī chuān.
小さな水滴は、たいへんしなやかで柔らかで、また取るに足らないものだ。一方、石は硬くて、簡単には叩き割ることができない。けれども、長い年月の間、水が垂れ続けると、水滴が本当に石に穴を開けることができる。
南宋の羅大経(らたいけい)の著した『鶴林玉露』という随筆集の中に、この「水滴石穿」の話が出てきます。
宋朝的张乖崖,在他当崇阳县令的时候,有一次,他发现一个管理仓库的小官,在耳朵旁边的头巾下压着一个铜钱。张乖崖就问那个小官:“你刚从仓库出来,头巾下的铜钱,是怎么来的?”那个小官毫不在乎地说:“在仓库里拿的。”张乖崖一听大怒起来,他想:”掌管财政的人偷钱,这还了得!”于是,马上叫人把那小官抓起来,将他打了一顿板子,并追查他盗窃了多少钱。
Sòngcháo de zhāng guāiyá, zài tā dāng chóngyáng xiàn lìng de shíhou, yǒu yī cì, tā fāxiàn yī ge guǎnlǐ cāngkù de xiǎoguān, zài ěrduo pángbiān de tóujīn xià yā zhe yī ge tóngqián. Zhāng guāiyá jiù wèn nà ge xiǎoguān: “nǐ gāngcái cóng cāngkù chūlái, tóujīn xià de tóngqián, shì zěnme lái de?” nà ge xiǎoguān háo bùzàihu de shuō: “zài cāngkù li ná de.” Zhāng guāiyá yī tīng dànù qǐlái, tā xiǎng: “zhǎngguǎn cáizhèng de rén tōu qián, zhè hái liǎode!” yúshì, mǎshàng jiào rén bǎ nà xiǎoguān zhuā qǐlái, jiāng tā dǎ le yī dùn bǎnzi, bìng zhuīchá tā dàoqiè le duōshao qián.
宋の時代、張乖崖が崇陽県令であった時、ある時、彼は倉庫を管理している小役人が、耳の傍の頭巾の下に銅銭を一枚挟んでいるのを見つけた。張乖崖はその小役人に、「おまえはたった今倉庫から出てきたばかりだが、頭巾の下の銅銭は、どうしたのか」と尋ねた。その小役人は、少しも気に留めず、「倉庫の中から持ってきました」と答えた。張乖崖はそれを聞くとかんかんに怒って、「財政を管理する人間が金を盗むなんて、なんということだ」と思った。それで、すぐに人を呼んでその小役人を捕えさせ、小役人を、責め具を使ってひとわたり打たせ、更に彼が金をいくら盗んだか調べさせた。
那个小官很不服气,大声争辩道:”小小一个铜钱算得了什么!这样就要打我的板子?”张乖崖不理睬他,而且脸色越来越严厉。那小官就又骂道:“我只不过是拿了一个铜钱,有什么了不起的罪过?你最多只能打我几下罢了,还能把我怎么样!”态度非常嚣张。
Nà ge xiǎoguān hěn bù dúqì, dàshēng zhēngbiàn dào: “xiǎoxiao yī ge tóngqián suàn de liǎo shénme! Zhèyang jiù yào dǎ wǒ de bǎnzi?” zhāng guāiyá bù lǐcǎi tā, érqiě liǎnsè yuè lái yuè yánlì. Nà xiǎoguān jiù yòu màdào: “wǒ zhǐbuguò shì ná le yī ge tóngqián, yǒu shénme liǎobuqǐ de zuìguo? Nǐ zuì duō zhǐ néng dǎ wǒ jǐxià bàle, hái néng bǎ wǒ zěnme yang!” tàidù fēicháng xiāozhāng.
その小役人はたいへん納得できない様子で、大声で「わずかばかりの銅銭がそんなに大変なことなのですか。このように私を責め具で叩くなんて。」と訴えた。張乖崖はそれを相手にしなかったが、顔色はますます険しくなった。その小役人は更に、「私は銅銭を一枚持ってきただけなのに、どんな重大な罪を犯したと言うのですか。あなたはせいぜい私を何回か叩けるぐらいのもので、それ以上私をどうかできるのですか。」と罵り、態度はきわめて高慢だった。
张乖崖见他顽固不化,觉得不重重地惩办他是煞不住这股歪风的,于是就拿起笔来,在判决书上写道:“一日一钱,千日千钱;绳锯木断,水滴石穿!”然后,下令把这个小官押出去斩首示众。张乖崖又向上级报告了这件事,检讨了自己用人不当的错误,要求上级给予处分。
Zhāng guāiyá jiàn tā wángù bù huà, jué de bù zhòngzhòng de chéngbàn tā shì shā buzhù zhè gǔ wāifēng de, yúshì jiù ná qǐ bǐ lái, zài pànjué shū shàng xiě dào: “yī rì yī qián, qiān rì qiān qián; shéng jù mù duàn, shuǐ dī shí chuān!” ránhòu, xià lìng bǎ zhè ge xiǎoguān yā chūqù zhǎn shǒu shì zhòng. Zhāng guāiyá yòu xiàng shàngjí bàogào le zhè jiàn shì, jiǎntǎo le zìjǐ yòng rén bù dàng de cuòwù, yāoqiú shàngjí jǐyǔ chǔfèn.
張乖崖は小役人がかたくなで態度を改める様子も見えないので、彼を厳格に処罰しなければ、こうしたよこしまな風紀を改めさせることはできないと感じ、筆を持つと、判決文の上に、「一日に銭一枚であれば、千日だと銭一千枚となる。縄でできたのこぎりでも木を切断することができ、水滴でも石を穿つことができるのだ。」と書いた。その後、この小役人を引っ立て、首を刎ねて人々の見せしめにするよう命じた。張乖崖は更に上役にこの事件を報告し、自分が人を使うのが不適切であったと自己批判し、上役に自分を処罰するよう求めた。
ここで幾つか注意点があります。「检讨」jiǎntǎoというのは、反省する、とか自己批判する、という意味です。検討する、ではありません。「用人不当」の「不当」はbùdàngと発音します。適当でない、妥当でない、という意味です。「给予」はjǐyǔと発音します。
後に、人々は張乖崖が判決文に書いた「水滴石穿」の話を、根気よくたゆまず行えば、たとえ小さな力でも、困難な目標をも達成することができるという意味の成語として使うようになりました。
張乖崖は、本名を張咏と言い、北宋時代、10世紀から11世紀にかけ活躍した人で、科挙の試験に合格し、最高位は礼部尚書と、中央省庁のトップにまで昇進しています。この話は、彼が若い時、崇陽県令(県の長官)に着任した時のエピソードです。崇陽県は湖北省の武漢市の南方、湖南省、江西省との省境に近いところに位置します。
崇陽県令着任時、末端の役人にはびこっていた、僅かな不正は構わないという悪い風紀を、「一日一钱,千日千钱;绳锯木断,水滴石穿」と言って、当事者を見せしめに首を刎ねてまで正しました。ここでは、「水滴石穿」というのは、蟻の穴から堤も崩れるように、小さなことが積み重なると、取り返しのつかない大事に至るという戒めですが、これが後に成語になると、小さな一歩も積み重ねると、大きな成果につながると、肯定的な励ましの意味が強くなっています。尚、「绳锯木断」も、「水滴石穿」とほぼ同じ意味の成語として使われています。
張乖崖は崇陽県令時代、こうした綱紀粛正だけでなく、崇陽の人々の利益を考えた政策も実施しており、当時、茶の栽培が、利益率が高く、広く行われていたが、張乖崖は近い将来、必ず国が茶を専売するようになると予測し、崇陽の生産者に茶から桑への転作を進めさせました。やがて張乖崖の予想通り、北宋は茶の専売を発令し、茶を生産していた地域では経済が大混乱に陥りましたが、崇陽では桑で蚕を育てて絹を生産したので、人々は大きな利益を得ることができたというエピソードが残っています。
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