中国語学習者のブログ

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月餅の歴史、地域性について

2010年08月15日 | 中国グルメ(美食)
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 今年は9月22日が中秋節、お月見である。中国で中秋節と言えば、月餅が頭に浮かぶ。今回は、月餅について、調べてみた。《追憶甜蜜時光―中国糕点話旧》(由国慶編著、百花文藝出版社 2005年)という本があり、これは中国のお菓子の歴史をまとめたものだが、その中で、月餅に関する記述がある。以下に、その内容をご紹介する。

           月はまん丸、月餅は甘い(“月儿圓圓月餅甜”)

 小さい時から今まで、二種類のお菓子が最も印象深い。一つは薩其馬(サチマ。小麦粉を練って細く伸ばして油で揚げたものを型に入れて蜜で固めて四角く切ったもの)、もう一つが月餅である。こんなに何年も食べてきて、思い返してみると、やはり子供の時に食べた提漿月餅(皮に砂糖を溶かした蜜を混ぜた月餅)、百果月餅(木の実や干した果物などを餡にした月餅)の方が、現在の蛋黄月餅(広東式の餡の中に卵の黄身の塩漬けを入れ、月に見立てた月餅)よりももっとおいしく、人々をうっとりさせる。

  中秋節に月餅を食べる習慣は古くは周代に遡る。それは先人たちが月を祭り、月を拝む時の儀礼用の菓子で、自然崇拝とたいへん深い関係がある。嫦娥奔月(嫦娥が夫の后羿が西王母からもらった不老不死の薬を飲んだところ、体が軽くなり、月に昇っていき、帰れなくなってしまった)、呉剛折桂(呉剛が天帝の怒りを買い、月にある大きな月桂樹を切り倒すよう命じられた)、玉兔搗薬(月にいる白い兎が薬草を搗いて仙薬を作っているという)のうるわしい神話が私たちの輝かしい農耕文明の中で演繹され、言い伝えられた。

 言い伝えによると、唐代になったばかりの頃、月餅は“胡餅”と呼ばれていた。楊貴妃が中秋の名月の下で味わっていたのは胡餅で、月光の下の景色に感動し、彼女はこれを月餅と呼んだという。これはもちろん民間の情緒的な説話の一つに過ぎない。歴史上、中秋節に月餅を食べるという民俗的な起源については、一致した結論に達していない(“莫衷一是”)。或いは言う、唐の高祖の時(618年-626年)、匈奴が長年辺境を侵犯するため、高祖は大将軍・李靖を出征させると、勝利の知らせが次々と伝わってきた。敵の血を浴び奮戦した李靖が凱旋すると、その日はちょうど8月15日であり、勝利の喜びで高祖はたいへん興奮し、長安城の内外で音楽を奏で号砲を打ち鳴らさせ、夜を徹して祝った。当時、長安に常駐していた吐蕃人(チベット系の人々)が、高祖に戦勝祝いの菓子(“捷餅”)を献上したので、高祖はすぐに菓子を李靖や群臣に分け与え、共に祝った。中秋節に月餅を食べるのは、これより広まったと。

 月餅の文字が最初に出現するのは、北宋の蘇東坡の詩句の中である。“小餅如嚼月,中有酥和飴。”(小さな菓子は月を食べるかのよう。中にバターと飴が入っている)宋代以来、月餅は次第に民間に広まり、まん丸い月餅は甘くておいしく、家族団欒と無病息災の最も良い象徴となった。月餅が食品の名称として初めて見られるのは《武林旧事》の中で、話の中で取り上げられた各種の菓子の中に“月餅”の名がある。

 月餅を食べることの起源については、宋、元両朝でも異なった説があった。北宋の都、開封では、毎年中秋節に、人々は皆古い風習を守り高い所に登り、名月が夜空に高く懸かると、祭祀礼拝を行った。祭祀の時にお供えするのが、月餅、果物の類の食品で、これが中秋節に月餅を食べる習慣に発展した。もうひとつの説は、元の世祖フビライは領土を統一したが、一般大衆に対する圧迫をやめなかったので、人々の恨みの声が至る所にあふれていた(“怨声載道”)。それから何年も経ってから、朱元璋と劉伯温が知り合い、如何にして元王朝を打倒するか謀議をした。当時の朝廷は謀叛を防ぐため、鉄器に対し厳格な管理を行っていた。これに対し、朱元璋と劉伯温は一計を案じ、月餅の中に文字を書いた紙を挟み込み、民衆が互いに月餅を贈る時、情報が伝えられ、8月15日の夜、蜂起することが決められた。後に、明の太祖、朱元璋はこの日を記念し、毎年中秋節の日に全国で月餅を食べることを提唱した。“月餅”ということばが中秋と関連づけていっしょに記載されるのは明朝に始まった。《宛署雑記》に言う。毎年中秋になると、民間では多く小麦粉の菓子が作られ、互いに贈り合った。「大きさは様々だが、月餅と呼ぶ。」

 満人が入関後(満州族の清が居庸関を超え北京に都を置いて後)、清の宮中の生活は多くは明の制度を踏襲し、中秋節には月餅を作り、月餅を食べた。満州族の食習慣、味覚に合わせ、清の宮中の月餅にはバターの成分が多く加えられ、“敖尓布哈”(満州語で、奶餅子、つまりミルクビスケットの意味)、桃頂月餅、捶手月餅、供尖月餅、攅盤月餅など二十種類以上の特色ある品種が出現した。月餅は、小さいものは一寸余り(4-5センチ)、大きなものは30センチ余り、軽いもので50-100グラム、重いものは10キロぐらいに達した。

 ラストエンペラー・溥儀は内務府を主管する大臣、紹英に恩賞として大きな月餅を与えた。この月餅は直径60センチ、重さ10キロ、宮中の料理を司る御膳房の点心師が自ら製作した。歴史文献によれば、この月餅の表面の図案はたいへん精緻で美しく、図柄が多彩(“豊富多彩”)で、細工が巧み(“巧奪天工”)で、見る人は感嘆してやまなかった(“嘆為観止”)。図案は外から内に3層に分かれ、花草果実、良田沃土、月宮図などが、秩序立って配置された。特に月宮の中の亭台殿閣は本物と見紛うばかり、月桂樹の木陰の白兔は更に生き生きと真に迫っていた(“栩栩如生”)。

  “紅白翻毛制造精、中秋送礼遍都城。”(紅餡のものも白餡のものも、パイ皮のものも、精緻に作られている。この中秋に贈り物をする習慣は街中で広く普及している。)この清代の“竹枝詞”(七言絶句に似た漢詩の一体で、主にその土地の風俗、人情を詠んだもの)は、月餅を贈る習慣が、当時既に相当普及していたことを表している。楊光輔は《淞南採府》の中でこう書いている。「月餅には桃の果肉餡がたっぷり詰められ、雪糕(アイスクリーム)の甘いことといったら、甘蔗糖が霜のように真っ白に積み上げられている。」これからみると、清代の月餅の味は、現代のものに既に相当接近していたことがわかる。

 辛亥革命後、月餅は一年を通して生産される伝統的な菓子となっただけでなく、その作り方、風味の上で、土地土地に合った作り方がなされるようになった(“因地而宜”、“因地制宜”とも)。各々長い歴史を経た(“各具千秋”)京式(北京風)、広式(広東風)、蘇式(蘇州風)の三大月餅は、おおよそ提漿(皮に砂糖を溶かした蜜を混ぜたもの)、酥皮(パイ皮)、硬皮の三種類に分けられる。

 京式月餅は、前文でもかなり述べたが、伝統的月餅で、植物性の油を多用し、餡は精進もので、有名なものは自来紅(初めから赤い、生まれた時から革命的ということで、特に文革期に用いられた)月餅(小豆餡の月餅)、自来白(逆に初めから白い、生まれた時から反動的という意味になってしまうが)月餅(白餡の月餅)、提漿月餅、翻毛月餅(パイ皮の月餅)など、すっきりした甘さで、ふわふわやわらかく、おいしい。

 提漿月餅、漿酥月餅等は、京式糕点の中でも極めて特徴を備えた伝統的な製品で、提漿糕点は先ず糖漿、つまり蜜を作らなければならない。糖蜜を濾して不純物を取り除いて(“提純”)後、小麦粉と混ぜ合わせ、皮(“漿皮”)を作る。これは見たところ専門的な問題のように見えるが、実際に食べてみるとよくわかる。専門家に聞いたところでは、蜜を作る時には定量の水と砂糖を(普通は5:2で)とろ火で煮詰める。絶えず攪拌して砂糖を充分に溶かし、その後濾過して糖蜜中の不純物を取り除くので、提漿は俗に清漿と呼ばれる。濾過した糖蜜の中に適量の麦芽糖を加え、引き続き煮詰める。麦芽糖は穀物を原材料とし、澱粉の酵素を利用し、澱粉をデキストリン、麦芽糖と、少量の葡萄糖に加水分解する。淡黄色で透き通った麦芽糖の甘味はさっぱりとしている。麦芽糖を加えて、糖蜜の温度が105℃前後になると、糊状になるので、小麦粉と合わせるまで置いておく。糖蜜が42℃前後で小麦粉と混ぜ合わせて作った月餅が、口当たりが最も良く、やわらかさと堅さが適当で、見かけも美しく仕上がる。

 広東式月餅の餡は殊のほか凝っていて、蓮餡、椰子餡、肉餡は最も特色を備えた伝統的な風味である。蓮餡の月餅は香りが清々しくしっとりして、肉餡の月餅は風味があって美味しい。特に有名な加頭鳳凰焼鶏月餅の中身は、砂糖漬けの豚の脂身、鶏肉のロースト、塩漬けの卵の黄身、シイタケ、橘餅(蜜柑の実を砂糖漬けして乾燥させたもの)、胡麻、胡椒、及び各種の木の実であり、肉の風味、甘味、辛味が混じり合い、味わいが尽きない(“回味無窮”)。広東の月餅の型は模様がはっきりとしていて美しく、形は円形、楕円形、四角形、鼓形等があり、種類がたいへん多い。

 蘇州式月餅は、酥皮月餅とも呼ばれ、油、砂糖を多く使い、パイ皮が何層にも重なり、外観は北方の白皮点心のようで、甘いの、塩味のもの、生臭もの、精進と品種も多い。その味は、玫瑰(マイカイ。ハマナシ)、百果(木の実や干した果物)、椒塩(山椒塩)、豆沙(小豆餡)、薄荷(ハッカ)、中華ハム、豚肉、ネギ油などがあり、甘く柔らかく、油でしっとり滑らかな食感は、涎が垂れそうになる。蘇州の老舗、稲香村の清水玫瑰月餅はその代表と言うに値し、歴史は古く、評判は中国全土に鳴り響いている。伝統的な蘇州式月餅は一般に四個が一箱に入っていて、油を多く含むので、月餅を包んだ包装紙はすぐに油が染み通り、油の香りがほんのりと漂う。

 上海の月餅も生臭と精進の二種類がある。初期の上海月餅は小豆餡、白砂糖、玫瑰(マイカイ)、五仁(数種の木の実の餡)などの味があっただけだが、清末になると、上海の飲食文化の発展に伴い、月餅の品種も豚肉、ハム、鶏肉、海老などの多少塩気のある風味のものが加わり、同時に甘い月餅にも棗をつぶした餡、白餡(豆蓉)、蓮餡などの種類が増え、一部の餡の中には特に卵の黄身が加えられた。上海の月餅は、杏花楼、冠生園、老大房、稲香村など老舗の製品が特に人気があった。

 西北高原の青海省は、多くの民族が共に暮らす土地であり、中秋節を祝うのは、漢族、チベット族、土族などで、彼らは皆、月を崇拝し、月餅を食べる習慣がある。青海の月餅は一般に竈で焼くのでなく、蒸したもので、色彩豊かで美しく(“五彩斑斕”)、他とは異なっている(“与衆不同”)。青海の月餅は発酵させた小麦粉と、色の美しい苦豆粉、紅曲粉(米飯に麹を加えて密封し、発酵させた鮮紅色の粉)、姜黄粉(ウコンの粉)、紅糖(黒砂糖)などを合わせて使った小麦食品である。酵母で膨らせた小麦粉の生地を棒で伸ばして広げ、表面に油を薄く塗り、先ず上記の「色粉」を一面に撒いて広げ、その後、生地を巻いていき、棒で全体を平たく伸ばし、また別の色の粉を一面に撒く。このようにして何層にも異なった色の粉と黒砂糖を加えていき、これにより、何層にも色の層ができ、見た目がたいへん美しい。この他、手先の器用な人たちは、大きな月餅の上に、小麦粉の生地を使って生き生きとした蛇や桃の形を貼りつけていく。どうしてそんなことをするのか。実は、当地の風俗では、蛇は子や孫がたくさん生まれることの象徴で、桃は幸福や長寿の意味があるからである。したがって、人々は中秋に月を拝み、月餅を食べることを通じ、子孫が増え、子供や孫たちが安全、幸福であることを祈る心理を表しているのである。

 北方の一般の人々が家で焼いた月餅も、なかなか美味しい。自家製の月餅の餡で最も簡単なのは黒砂糖と白砂糖を主に使い、砂糖の中に少量の小麦粉を加える。ちょっと凝った餡の中には、青紅絲(青や赤の色素で色を付けた、蜜柑の皮、大根、パパイヤなどの細切りの砂糖漬け)、キンモクセイの花の砂糖漬けや、胡麻の類が加えられている。多少金持ちの家では、お菓子屋からこの為に蜜餡を買ってくる。小麦粉の生地で餡を包み、丸めて小さな団子状にすると、それを月餅型の中に詰めて押し付け、型をひっくり返して裏向けに伏せると、図案の付いた月餅のタネが出てくるので、それを熱したオーブンの中でゆっくりと焼き上げる。

 中国各地の月餅の品種はたいへん多く、味付けにもそれぞれ特徴がある。例えば、北京、天津の提漿月餅、百果月餅、翻毛月餅、饟子月餅、麻餅月餅、紅月餅、白月餅、香油果餡月餅、奶皮月餅。山西の郭杜林月餅。黒竜江の老鼎豊月餅。蘇州の清水玫瑰月餅。揚州の葷餡月餅、月宮餅、八味月餅、黒麻椒塩月餅。寧波の苔菜月餅。紹興の酒香月餅。上海の葱油月餅、鮮肉月餅。広東の加頭純正蓮蓉月餅、足斤(500g以上ある)五仁甜肉月餅、加頭鳳凰焼鶏月餅、加頭鮮奶椰絲蓮子月餅。福建の桂圓月餅、奶油椰子月餅、閩蝦月餅、橘子月餅、福腿月餅、蓮蓉月餅。海南島の瓊式(“瓊”は海南島の別称)月餅、雲南の雲腿月餅などが、人口に膾炙している。

 時代は変わり、今日になっても、私たちは月餅を食べているが、現代の人々は益々糖分の取り過ぎを恐れるようになっているので、月餅も自然と甘さを控えるようになり、機を見るに敏な商人は様々な(“五花八門”)ツバメの巣、フカヒレ、熊の手入り月餅を作り出し、何でもできないことのない(“無所不能”)完全無欠の滋養補助剤のようである。これで十分でしょうか?いや、“白銀”、“純金”月餅はもはや珍しくもなく、ひょっとすると今度は宇宙神月餅が生み出されるかもしれない。伝統的な食習慣の美しさはこのように世俗的なものに変質させられた。月餅について言えば、伝統は今日の飲食する男女にとって、まだ重要なのだろうか?

【出典】由国慶編著《追憶甜蜜時光―中国糕点話旧》百花文藝出版社 2005年


 我が家は、10年近く香港で暮らしていたので、妻も子供も、月餅というと、蓮の実の白餡で、真中に塩漬けの卵の黄身の入った大ぶりの月餅を切り分けて食べるもの、というイメージがあり、この蛋黄蓮蓉月餅が好きである。
 私が蘇州に単身赴任していた時、国慶節の休みに、家に蘇州式の月餅の箱を持って帰ると、その中に混じっている鮮肉月餅は家族のひんしゅくを買った。食べてみると、ビーフジャーキーを柔らかくしたようなものが中に入っていて、それはそれ、なかなか美味しいと思うのだが。また、蘇州式の鮮肉月餅は、もう一種類、パイ皮で、焼き立てを食べるスタイルがあり、スーパーやケーキ屋の店頭で、その場で焼いたものを売っていた。焼き立ての月餅を並んで買うのは、この季節の蘇州の風物詩である。
 今回、上記の文の中で、青海式の蒸し月餅というのが出てきたが、これはカルチャーショックだった。百度で、青海月餅を調べると、写真も出てくるので、興味のある方はご覧いただきたい。


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