中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

同義語の選択(1)

2010年07月11日 | 中国語
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 どの言語もそうであるが、同義語の中から、如何にぴったりするものを選択し、使用するかは重要な問題である。特に、中国語は、表意文字で、修辞的にことばの選択に頼る部分が多いこと、また押韻などを考えても、その重要度合は高い。

                   一、同義語とは何か

(一)同義語の性質と範囲

 言語の中で、異なった語音形式で同じ、或いは類似した意味を表示することが、ことばの同義現象である。一般に意味が同じか類似したことば(詞)は、同義語(同義詞)と呼ばれる。

 例えば:
    第一組:   演講―講演 衣服―衣裳 肥―胰子
            自行車―脚踏車 維他命―維生素
            玉米―包米―包谷―棒子

    第二組:   拿―取 贈―送 叫―喊 吃―食
            企図―打算 繁華―繁栄 優良―優秀
            驕傲―自豪―自満 関心―関懐―関注
            迎合―逢迎―阿諛―奉承―諂媚―阿附

 以上の第一組の同義語は、意味がほぼ完全に同じで、一般の情況下では任意に相互に入れ替えることができ、完全な同義語(或いは“等義詞”と呼ぶ)である。

 第二組の同義語は第一組と異なり、これらは、意味は同様であるが、完全に同じではなく、様々の細かい差異があり、使用上、任意に入れ替えることはできず、一種の不完全な同義語(或いは“近似詞”、“条件同義詞”と呼ぶ)。一般に言う同義語は、上記の二種類を含む。

 上記の二種類の同義語の中で、第一種の同義語は、意味が全く同じで、使用上相互に入れ替えのできる“等義詞”で、数はたいへん少ない。言語の中でたいへん多いのは第二種の同義語である。この種の同義語の存在は、積極的な意義と作用があり、語彙学(“詞滙学”)研究の重要な対象である。

(二)同義語の言語中の作用

 上記の第二種の同義語は、意味が同じか類似していて、細かな差異のある同義語で、人々が仔細に(“細致”)、客観的事物や思想、感情の細かな差異を区別するのを助けることができ、それにより思想表現をより正確、厳密にし、言語をより明朗、明確にしている。これは人々の思考が長期にわたり発展してきた成果であり、言語の発達、語彙の豊かさの重要なしるしである。

 現代漢語の中で、同一の事物、同一の概念は、しばしばいくつもの、十以上の、場合によっては数十もの同義語を用いて表現することができる。

 例えば、「見る」という動作については、数十の同義語が存在する。そのうち、一般的に「見る」ことを表すものは、例えば“看”、“瞧qiao2”、“瞅chou3”がある。既に見たものを表すのは、“見”、“看到”、“看見”、“見到”、“睹du3”、などがある。遠くの方を見ることを表すのは、“望”、“眺tiao4”、“眺望tiao4wang4”、“瞭望liao4wang4”、“矚zhu3”。上を見ることを表すのは、“瞻仰zhan1yang3”、“仰視”、“仰望”。下を見るのを表すのは、“鳥瞰niao3kan4”、“俯視fu3shi4”。振り返って見る(“回頭看”)、四方を見るのは、“顧”、“張”、“張望”。こっそり見る(“偸偸地看”)のは、“窺kui1”。視線を集中させ、注意して見るのは、“盯 ding1”、“瞄miao2”、“注視”。眼を大きく見開き(“張大眼睛”)、怒って見る(“憤怒地看”)のは、“瞪deng4”、“瞠cheng1”。ざっと一瞥する(“略略一看”)ことを表すのは、“瞟piao3”、“瞥pie1”、“望”、“瀏覧liu2lan3”。仔細に見ることを表すのは、“察”、“観察”、“相xiang4”、“察看”。下のクラスの人が上のクラスの人を見ることを表すのは、“覲jin4”、“省xing3”。上のクラスの人が下のクラスの人を見ることを表すのは、“鑑”、“視察”、“検閲”。見る対象や場面が大きいことを表すのは、“観”、“観看”、“閲”。見る対象が文字の類であることを表すのは、“閲”、“閲覧”、“閲読”。自ら見ることができた(“親自看到”)ことを表すのは、“目撃”。などである。

 また、「引っぱる」という動作を表すものも、“拉la1”、“牽qian1”、“拖tuo1”、“拽zhuai4”、“抽chou1”、“扯che3”、“揪jiu1”、“拉扯la1che”、“牽引qian1yin3”、“拖拉tuo1la1”、“曳ye4”、“抜ba2”、など十以上の異なることばがある。

  豊かな同義語の存在は、思想の交流、ことばの表現能力の増強に、相当大きな積極的作用がある。

 第一、同義語は事物の間の細かな(“細微”)差異を精緻に(“精細”)反映することができ、人々の客観的事物に対する異なった感情や態度を表現することができる。したがって、大量の同義語の存在は、最もふさわしいことばを選択し、思想や感情を表現するのを助けてくれる。

 例えば、作家、老舎はこのように語ったことがある:

  例えば、年配の人(“長輩”)が、自分の後輩(“晩輩”)が出世し(“有出息”)、幹部になって故郷に戻ってきた時、彼は後輩の肩を叩いてこう言う。“小伙子,‘搞’gao3的不錯!”(若いの、よくやった!)ここには私は“搞”gao3を用いる。もし信じないなら、試しに“做”や“干”を使ってみなさい。“搞”のように適切で、親しみがこもっていないこと、請け合い(“保准”)である。年配の人が、彼の息子やおい(“子侄”)を褒めて言うなら、“這小伙子,做事真認真。”(この子は、本当に真面目だ。)ここで私は“做”を用いる。“這小伙子,‘搞’事真認真。”とは、普通言わない。もし若者がそこでたいへん一生懸命働いている(“売力気”)のを見たなら、私は、“這小伙子,真認真干。”と表現する。この三つのことば、“搞”、“做”、“干”は何れも元々ある(“現成”)ことばで、誰が誰よりも俗っぽいということは決してなく、それをどこに置くのが最もふさわしいかというだけでのことで、最も適当であればよいのである。
(老舎《関于文学的語言問題》、《題材、人物及びその他》P124参照)

  これと反対に、同義語の理解が少ないと、正確に思想を表現することができず、“語言無味,像個‘癟三’bie1san1”(ことばが味気なく、「ごろつき」のよう(に無教養である))。例えば、ある人の話が、出てくることばが皆“搞”から離れず、“搞工作”、“搞翻訳”、“搞数学”、“搞語言”、“搞文学”、“搞尖端”、“搞労働”、“搞食堂”、“搞副食品”、“搞恋愛”、“搞小家庭”……というように、現代漢語の語彙の中に、動詞は“搞”しかないかのようなことだと、各種の“搞”法、つまりことばの用例の違いを区別することができず、豊な語彙を捨て去り用いなければ、自分の語彙を枯渇(枯竭ku1jie2)させ、ことばを無味乾燥で味気ない(“干癟無味”gan1bie1wu2wei4)ものにするだけである。

  第二、同義語により、ことばを重複して使うことを避けることができ、それにより一篇の作品のことばをより生き生きとし、変化に富ませ、より良い修辞効果を生みだす。

 例えば次のような文章がある。

   我們以我們的祖国有這様英雄而驕傲,我們以生在這個英雄的国度而自豪

 ここで、“驕傲”と“自豪”は同義語の併用であり、もし一律に“驕傲”、或いは “自豪”に改めると、明らかにことばが重複し単調になる。

 もうひとつ、魯迅《故郷》から引用する。

   這只是我的心情改変了,因為我這次回郷,本没有什麼好心緒

  ここで、“心情”と“心緒”も同義語の併用であり、同じことばに改めてしまうと、表現がかなり色あせてしまう。

 第三、同義語は修辞上、忌避(“諱飾”)、婉曲の必要を満足することができ、婉曲語(“委婉語”)、“禁忌語”を構成する。例えば、“落后”と“后進”、“受傷”、と掛彩”、“死”、と去世”、“昇天”、“箸”と“筷”などは同義語で、相手の自尊心を傷つけるのを避けたり、タブーを犯し忌避に触れる(“犯忌触諱”fan4ji4chu4hui4)ことを避けるため、それぞれ後者のことばが婉曲語、或いは禁忌語を構成することができる。これは思想の円満な表現の面で、大いに助けになる。

 第四、同義語の連用は語気を重くし、修辞上の強調の目的を達成し、あるものはそれにより特殊な色彩を備えた成語を構成する。

 例えば、“家喩戸暁”、“東奔西走”、“謹小慎微”、“併駕斉駆”、“軽描淡写”、“流言蜚語”、“摧枯拉朽”、“左顧右盼”、“花言巧語”、などの成語はこのようにして形成されたものである。

・家喩戸暁 jia1yu4hu4xiao3 誰もがよく知っている
・東奔西走 dong1ben1xi1zou3 =“東奔西跑”:東奔西走する
・謹小慎微 jin3xiao3shen4wei1 小心翼々とした。細かいことに気をかけ過ぎて、びくびくする
・併駕斉駆 bing4jia4qi2qu1 くつわを並べて同じ速さで駆ける。両者に優劣がないことの譬え。
・軽描淡写 qing1miao2dan4xie3 ①(文章の)描写が上滑りで、力がこもっていない。②(事件や問題について)当たり障りのないことを言う
・流言蜚語 liu2yan2fei1yu3 流言蜚語。根拠の無いのに言いふらされる、無責任なうわさ。デマ。
・摧枯拉朽 tui1ku1la1xiu3 枯草を粉々に砕き、朽木を引き倒す。腐敗した勢力が容易く粉砕されること。
・左顧右盼 zuo3gu4you4pan4 ①左を見たり右を見たり、きょろきょろ見回す。②右顧左眄(うこさべん)。あたりの情勢をうかがってばかりいて、決断できないこと。
・花言巧語 hua1yan2qiao3yu3 ①巧言、甘言。②甘言を並べる

 同義語の文章中での作用は、上記だけでなく、その他の面でも、異なった語体の風格を構成したり、異なった感情的色彩を構成する、など、積極的な役割を果たしている。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版 上海教育出版社1995年より翻訳

沈宏非のグルメ・エッセイ: 餃子

2010年07月07日 | 中国グルメ(美食)
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 もし「最も代表的な中国食品」というテーマで投票を行ったら、私は餃子がトップになる可能性が極めて高いと信じている。なぜなら、餃子は北方でも南方でも中国人の共通の好きな食べ物であるだけでなく、同時に中国人の普遍的生活理念を高度に集中的に体現しているからである。

  もし本当にこのような投票を行ったら、米の飯と麺がおそらく最大の競争相手になるだろう。しかし、一回の激烈な競り合い(“角逐”jue2zhu2)を経て、餃子が最後の勝者になるだろと私は堅く信じている。かの二つの競争相手ももちろんたいへん中国的だが、以下の二つの理由で彼らは負けを心の底から認めざるを得ない(“口服心服”)。第一、米飯と麺は基本的に“主食”に分類される。つまり、これだけでは喉を通り(“下咽”)にくい。麺は情況が多少ましだが、それでも餃子のように飯でもあり、おかずでもあり、主食でもあり、副食でもあるという「飯とおかずの一体化」(“集飯菜于一体”)の優勢は常には備えていない。第二、米飯と麺はたいへん中国的だが、日本にも有り、長年いろいろ工夫がされ(“経営有年”)、しかもそれがすこぶる適切であり(“甚為得法”)、したがってその“代表性”では重大な影響を受けるだろう。つまり、ホームゲームでは勝っても(“贏了主場”)、アウェーでは負け(“輸了客場”)、遂には優勝したような感じがしない。

  イタリア人も餃子を食べるが、流行の程度から言えば、日本の米飯や麺にはかなわない。

 この他、イタリアの餃子(ラビオリ)は形態上、その実、中国の餃子と大きな隔たりがある(“大相径庭”)。両者の間の差異は、中国式の麺といわゆる「スパゲッティー」(“意粉”)よりも大きい。価格、及び日本の餃子が実際は中国の“鍋貼”(guo1tie1。焼き餃子)に過ぎないことを除き、日本の餃子と中国の餃子は内包(“内涵”)から外延に到る区別があまり大きくないが、餃子が日本で流行している時間があまり長くなく、身は外国からの助っ人(“外援”)であり、餃子が日本の飲食の中での地位はまだ米飯や麺に及ばず、これはさておく(“按下不表”)。

 然るに米飯や麺と比べ、餃子の歴史はそれほど長くなく、最長でも1000年余りである。(キャリア(“資歴”)は包子、つまり肉まんと似たり寄ったり(“相若”)である。)それと比べると、麺の歴史は2000年余りの長きに達し、米は言うまでもない。中国人と四十歳以上の日本人が見た感じがよく似ているのは、おそらく両国の類人猿(“古猿”)が何れも米を食べることを好み、その結果このようになったのだろう。もちろん、いわゆる「同じ米からでも百様の人が育つ」(“一様米養百様人”)で、中日両国の人民は同じように米の飯を食べても、彼らの性格は天と地ほどの差がある(“天壌之別”)。

 餃子は食べて美味しいが、餃子を作る(包む。“包餃子”)のはもっとおもしろい。なぜなら、このことはお金と関係があるからである。

 餃子は富の象徴である。或いは、餃子を包む行為は、私たち中国人の富に対する渇望と憧憬を象徴していると言われている。《明宮史・史集》の記載によれば、大晦日の子の刻(夜中の12時)、すなわち正月初一の始まりに於いて、「五更に起き……椒柏酒を飲み、“水点心”を喫す、すなわち餃子(“扁食”bian3shi2)也。或いは暗に銀銭を一、二、内に包み、之を得し者は、以て一歳之吉と卜す。」

 いわゆる“扁食”とは、餃子の古代の別称であり、この他、嘗て用いられた名前には、“牢丸”、“角子”、“交子”(“更歳交子”の意味。“子”は“子時”(子の刻)の意味)、“角儿”、“粉角”、“煮角”、“嬌耳”、“水点心”、“水包子”、“煮饽饽”zhu3bo1bo(満州人の呼び方)、更には“馄飩”hun2tunというのまである。方言の中で、多くの中原の古音を残している厦門では、“馄飩”は今日に至るまでなお“扁食”と呼ばれている。“扁食”は元代には“匾食”と書かれ、蒙古語から来た可能性がある。

 餃子の中に硬貨を隠すのは、富に対する渇望であるとともに、口の中でクジ引きをする遊びである。老舎先生は、《正紅旗下》の中でこのように描写している。「大晦日の年越(“守歳”)で、一晩眠らないのが、何代にもわたって守らないといけない古い習わしであった。父親が……うん、と一声発すると、例年通り餃子を包み、小銭を捜すと、きれいに拭いて、一個の餃子の中に入れる。それにより誰が運が良いか試すのである――この餃子を取った者は、間違って小銭を飲み込んでしまわなければ、その一年が順調なのである。」

 この他、餃子は金(銭)が有ることの内包であるだけでなく、更に銭の外形有り、蓋し(その理由は)その形が“元宝”(馬蹄銀のこと)の如くなれば也。元宝は固より「銭の大なる者」であるが、餃子が外観上代表する“銭”に対して、中国の異なった地方の人は異なった理解をしている。江西の鄱陽地区の人々は春節の最初の食事にも餃子を食べるが、異なっているのは、餃子の他、魚を食べることで、ちょうど広東人のように、「金儲けをする(“發財”)だけでなく、それが毎年余りを生じ(“年年有余”)てこそ良い」という隠喩となっている。(“魚”と“余”は発音が何れも“yu2”である)保守主義の財テク(“理財”)の道は甚だ大したものだ(“了得”)。一方、豫南(河南省南部)一帯では餃子を麺と一つの鍋でいっしょに煮るのが流行っている。餃子の象徴は依然として銭であり、麺は“銭串子”、つまり穴あきの銅銭を通す紐であり、本当によく気が配られていて、至れり尽くせり(“無微不至”)である。

 元宝を食べれば(“吃進”)、自然に家に「福の神が舞い込む」(“招財進宝”)。それで一家で老若男女にぎやかにテーブルを囲みいっしょに餃子を包む。つまり、「皆がいっしょに力を合わせ(“斉心合力”)、元宝を作る」という意味がある。したがって、大晦日の夜、家々で餃子を包む場面は、「円満で仲睦まじい」(“美満和睦”)民族の伝統であるというより、むしろ、どの餃子を包む家の軒下も、全てが、一人一人の気持ちが激昂した、財テク・フォーラムであると言った方がふさわしい。

               心に考えがある(心里有数)

 餃子のあだ名(諢名)がたいへん多いのに比べ、その変身形式は明らかに気の毒なほど少ない。一に水餃子、二に蒸餃子、三に焼餃子(“煎餃子”)。しかもこの三種類の形式の間にはそれぞれ作り方の違いがあり(“各行其是”)、互いに融通を利かし合う(“変通”)ことができない。先に煮てから焼いたり、焼いてから蒸したりする可能性は全く存在しない。したがって、調理の技術を発揮する余地はあまり見込めない。たいへん有名な「西安の餃子宴」には、二百品種近くあるが、大半が蒸したものである。(目的は、元の造型の保持で、お湯で煮ると餃子は型が崩れ(“走様”)易い。)

 したがって、餃子に変化を求めるには、「餡を変える」途しか無い。餡の材料により、餃子はおおよそ「肉餡」、「野菜餡」、或いは「肉と野菜を混ぜた餡」の三種類に分けられる。しかし、この三分類の中で、数多くの変化を実現することができる。材料について言えば、包丁で細かく刻んで、餃子の皮の中に包むことのできるものであれば、何でも持ってきて餡にすることができる。(ちょっと考えてみたまえ。銅銭でも包み込むことのできる餃子が、他に何か包むことのできないものがあろうか。)味の上では、塩辛いの、甘いの、痺れる辛さ、唐がらしの辛さ、辛さ、素材の美味しさ、全てが揃っていて(“一応倶全”)、ほしいものは何でもある。西安の餃子宴を例にすると、餡の材料は、「南方の人が好きな鶏、アヒル、魚、エビを持ってきたら、北方人が重んじる牛、羊、豚、ロバは入れないようにするだけでなく、犬、ウサギ、蟹、貝、野菜、キノコ、果実、何でも餡に入れることができる。」

 “餃子宴”はその実、広州沙河飯店のいわゆる「酸っぱく、甘く、苦く、辛い“沙河粉”(きしめんのような幅広麺)」と同様、極端に走っていて、商売上の小細工(“噱頭”)に過ぎない。実際、日常食べる餃子の餡の材料は十種類を超えず、生臭は豚肉と羊肉、精進は、白菜、芹、ニラであり、上記五種類の材料を混ぜて使うと、“菜肉餃子”になる。もちろん、これは季節、地域、風俗とも関係がある。どの種類が天下第一の美味しい餃子かは、私はこれは自然と“唖巴吃餃子、心里有数”、「唖(おし)が餃子を食べる、心に考えがある(餃子のように腹の中に一物ある)が、口に出して言えない」(歇后語)、に帰することだと思う。以下は美食家、唐魯孫先生推薦の個人的好みである。「餃子の餡は、筆者個人の好みで言うと、生臭餡は竹の子(“冬筍”)と豚肉の餡が最も美味しい。竹の子は細かく切り刻んで、挽き肉といっしょに炒めて餡にする。味は多少薄味が良い。刻んだ竹の子の粒は細かければ細かい方が餃子の皮を突き破る(“戳破”chuo1po4)ことがない。これは冬の餃子の中の妙品である。精進餡ではほうれん草、青梗菜(“小白菜”)各半量と卵を細かく刻み、上等な(“上好”)干しエビ(“蝦米”)も細かく刻む。干しエビは多めでも構わない、そのうま味、塩辛さを使い、調味料は少なめにする。韮やニンジンのある時はそれぞれ少量加えて味や色合いを引き立てる。これは一般の料理屋の豆腐粉条とキンシンサイ(“金針菜”)、キクラゲのように、本当に食べているのは韮でも、味は清らかで味わいがある。」

                       餡が漏れる

 餃子は、作る時の核心となる技術は二つである。一つは餡を捏ねる(“掐餡”)こと、二つ目は皮に包む(“包裹”)ことである。だから、当然のことながら(“順理成章”)、「餡が漏れる」ことは餃子の調理過程で遭遇する可能性のある最大の心配事(“隠憂”)である。

 その実、北方人が餃子を食べる時、最も気をつけるのは、「元々の茹で汁でそのまま食べる」(“原湯化原食”)であり、もし一二個の餡の漏れたものが一鍋の餃子にまぎれ込むと、二つの不完全な餃子を余分に食べた代価が一鍋全体の餃子のスープの美味に取って換わられることに他ならない。もちろん、半分以上の餃子がスープの中で身が破れていると、餃子を包むことも、その初志(“初衷”)を挫かれ、直接鍋で白菜と豚肉のスープを煮た方がましである。

 この他、神話的な意味の上で、餃子の餡が漏れることは、味の良し悪しよりもっと縁起の悪い(“不祥”)現象である。“漏財”は言うまでもなく(“自不待言”)、別のいざこざを引き起こす(“招惹是非”)危険もある。唐魯孫先生の言によれば、「三十日の晩、餃子を包み、福の神(“財神”)をお迎えする時、老若男女に限らず、皆三両(150グラム)の餃子を包み、餃子をいくつ包んだかを言う。そうすると小人の口をつぐませ(“捏住”)、小人がでまかせを言って(“胡説八道”)、いざこざを引き起こすのを防ぐことができる。“財神餃子”を食べるには小銭を包まねばならないが、餃子の口がちゃんとくっついていない(“捏不老”)と、破れて財が漏れてしまう。それで“財神餃子”は合わせ目をひねってひだにしてある(“捏上花辺”)。作るのが多少手間だが、餃子の口が裂けて餡が飛び散り財が露出することは決してない。」

 餃子の餡が漏れたかどうかは、鍋の湯を沸かした時、蓋を開け一望すると知ることができる。防水機能が功を奏し(“奏効”)、体中(“渾身上下”)が完全で欠陥の無いのが、この時一個一個我先にと争い(“争先恐后”)水面に浮き出てくる。餡の漏れたのは、一艘の水を腹一杯呑み込んだ潜水艦のように、正義のため何のためらいもなく(“義無反顧”)迅速に沈んでいく――餡が漏れ、味と神話上の不愉快さを別にすれば(“撇開”)、このことで、楽しい、にぎやかで、生気に満ちあふれた(“生意盎然”)光景が失われることはない。

 以前、三亜(海南島南部のリゾート地)のビーチがまだ現在のように開発されておらず、或いは正確に言うと、大東海(三亜近郊の海岸)の優良な海水浴場が基本的に江青、或いは江青のような人物に独占されていた時代、毎年夏、青島の各公共海水浴場は水泳客(当地の人は「海につかる」(“洗海澡”)と呼んだ(“洗澡”は入浴すること))で一杯で、「ダンケルクの大撤退」(第二次世界大戦での英仏軍の史上最大の撤退作戦)のように悲惨であった。当地の人々の他、押し寄せてきた(“蜂擁而至”)外地の旅行者も含まれ、その中にはまた多くの騒がしい(“吵吵閙閙”)、肌の白い(“白白浄浄”)、船でやって来た上海人も含まれていた。この時、心の中が全く愉快でない青島の当地の人は、人で埋まってしまっている(“人満為患”)海岸を指して言った。「ご覧、餃子を茹でているみたいだ(“餃子開鍋了”)。」

 今思い返してみると、彼らがこのように言った時、これらの海水の中で押し合いへし合いしている“人肉餃子”たちにも「餡が漏れる」現象が現れないかと心配することはなかっただろうか。

                    皮は薄く餡はたっぷり

 餃子が美味しいのは、餡があるからである。不幸なことに、この世では、およそ包まれたものは、必ず漏れ出す可能性がある。正にいわゆる「隠すより現るるはなし」(“欲蓋弥彰”)である。

 餡が漏れる原因はたいへん多い。例えば、小麦粉が発酵して柔らかくなっていない、皮が均等に伸ばされていない、口がきっちり閉っていない、それから一度にたくさん茹で過ぎている、鍋がきれいに洗われていずネバネバしている、等である。しかし、つまるところ(“帰根結底”)、「皮は薄く餡は多く」という餃子(包子を含む)の一般に通用する評価基準が、往々にして面倒を引き起こす(“肇事”)元凶である。餡がたくさん入っていて、また皮も薄くしたら、漏れない方がおかしい。

 女流作家の馬瑞霞は一篇の短編小説を書いたことがあり、題は《餃子を作る女》である。三十五歳の女主人公、翁芳はいつも夢の中で餃子、及び餃子が爆発する情景を見、たいへん思い悩んだ。彼女は夢の世界で、皮が薄く餡の多い、大きな水餃子を食べる男性に嫁いだ。翁芳が作る餃子は先端が尖っていないが、小さくてかわいらしかった(“小巧玲瓏”普通は女性が小柄でかわいらしいことをいう)が、夫は餃子が小さくボリュームに乏しく(“缺乏口感”)、大きな水餃子のように豊満で満腹感が得られ(“豊厚飽満”)ないことを嫌った。最後に、夫は大きな水餃子を食べて、喉に詰まらせて死にそうになった。翁芳の形容によれば、夢の中の大きな水餃子は一艘の船のように大きかった。

 別の夢はこうであった。翁芳はある“挺得高”(とっても高い)という名の料理教室にやって来て、大きな水餃子を作る技術を学んだ。卒業の時、「文句のつけようがない」(“無可挑剔”)完璧な水餃子賞を獲得した。誇り高く卒業した彼女が、家に帰って先ず最初にしたことは、大きな水餃子を作って夫に食べさせることであった。ところが、夫は彼女の作った水餃子を見て、吐き気を催した。怒り心頭に達した彼女は、ただ一言、こう言った。「私は全てあなたのためにやっているのよ!」

 女権主義を多少でも理解している読者は、きっと物語の結末を想像できるだろう。精神治療を経て、翁芳は遂に「大きいことはすばらしい」という男性の覇権の暗い影から脱することができた。この物語は、世の中で餃子が好きで、「皮が薄く餡の多い」のを熱愛する男性は、決して独断専行(“一意孤行”)して、ひたすら“大”を求めてはならない。挙句の果て(“到頭来”)、自分を傷つけることになってしまう。6月中旬、一つのニュースがあった。東北のある県で、一組の夫婦が長年ひどく不和であった。遂に妻は120錠の睡眠薬を肉餡に入れ、餃子を作った。彼女の夫はそれを食べ、ぐっすり眠ってしまった。女はその機に料理包丁と斧で夫を切り殺し、死体を分解した。翌朝、公安に自首した。

 私がざっと見積もったところ、全部で20個の餃子を、120錠の睡眠薬を平均して分配すると、それぞれの餃子に6錠ずつ割り当てられる。この毒餃子が、皮が薄かったかどうかは知らないが、餡はきっと相当大きかっただろう。

             眠って餃子を食べる(“睡覚吃餃子”)

 もしこれを“対聯”(対句を書いた掛け物)の前の句(“上聯”)とするなら、下の句(“下聯”)は「夢に嫁を娶る」(“做夢娶媳婦”)であろう。対になっていない(“不搭界”)が、北方の人は確かに似たような言い方をする。彼らは言う。「この上なく気持ちよく横になっていると、餃子がこのうえなく美味しい。」(“舒服不過倒着、好吃不過餃子”)

 「五更に起き……椒柏酒を飲み、水点心を喫す、即ち扁食也。或いは暗に銀銭を一二内に包み、之を得し者は一歳の吉と卜す。」この時、眠いし空腹であり、餃子はもちろん殊のほか美味しい。食べたら体を洗って眠る、当然この上なく気持ちが良いだろう。

 美食家、唐魯孫先生は言う。「以前、北方人は餃子を主食とし、南方人は餃子を点心(おやつ)とした。」主食であろうと点心であろうと、南方人も餃子を食べるし、眠りもする。しかし、この話は南方人が聞くと、多少野暮ったく、やや俗っぽい感じがする。しかし、餃子自身がこのように野暮ったく俗なものであり、私たちの毎晩の睡眠も、おおよそ、その右に出る者はいない(“無出其右”)。

 実際、北方の飲食は粗野といえば粗野であるが、一食の餃子を食べるのを見ても「快楽」が「この上ない」ところまではいかない。ここから推断されるのは、ベッドの上に横になって餃子を食べても、それは人生が至高の境地に至ったというに値しないのではないか。ちょうど「横になって」も、直立歩行が人類の進化史上の画期的意義(“劃時代意義”)であることを否定することができないのと同じである。餃子も中国美食の極致を代表することはできない。私たち中国人の哲学の中で、餃子は色白で太っちょ(“白白胖胖”)の象徴であり、正月の一日、それは夢の中の富を象徴し、通常は、それは天下の最も日常的で、最も簡単で、かつ最も自然な幸福、つまり睡眠のようなものを代表している。飯が来たら口を開け、服が来たら手を伸ばす、これは正しくない。正確には、餓えれば食し(“飢来則食”)、飽きれば眠る(“倦来則睡”)。Simply the best。

 身体の享受するスタイルは様変わりし(“花様翻新”)、漢方薬や香料が、枕や、脚を洗う水(“洗脚水”:足裏マッサージで、マッサージの前に脚を温めるため足浴する桶に入ったお湯)に入れられ、フカヒレやアワビが包子(バオズ)や餃子の餡に入れられる。しかし、身体は私たちの要求に対し、ただ空間を埋め、柔らかいものを平たく広げるだけで、実際、優れているとは見做せない。後者について、私は身をもって体験した(“切身的体会”)。学生時代、毎年広州と上海の間を二回往復した。硬座の車輛の中で、窓側の座席の前に、便器の蓋(“馬桶蓋”)くらいの大きさの木製のテーブルがあり、対面に座っている六人の乗客が使用した。昼間は湯呑み(ホーロー製の大ぶりの湯呑みで、以前は旅行者の必需品だった)が並べられ、別に何も感じなかったが、夜になると、窓側の座席の位置は世界で最も幸福な人に昇格した。なぜなら、倦んでくると、彼らは眠るのだが、比較的正常な体位で自分の高貴な、そして疲れた頭の正面をその平面の上に置くことができるからである。それは二人の体格が正常な人の頭であれば、中間に座っている二人も四分の一の位置を割拠することができ、多少、地政学のおかげを被ることができた(“沾点地縁政治的光”:“沾光”/おかげを被る、“地縁政治”/地政学)。最も悲惨なのは通路側に座っている二人の「童僕」(“竪子”)で、この時、切実な願望は、首を伸ばし、身分は卑しいが同様に疲れた頭を木のテーブルの一角に到達させるか、せめて触れさせることであった。自分を徹底的に公平に扱う(“擺平”)ことは、不可能な任務であったけれども、かりそめにでも(“苟且”)一種の「横になっている」(“倒着”)という姿勢が保持できさえすればよく、気持ちがよかった。

 飢えと寒さがこもごも迫る(“飢寒交迫”)のは、人生の二大苦痛だが、一人の飢えと寒さに同時に迫られた人に残されたことは、しばしば「横になる」(“倒着”)ことだけであり、もしこの権利さえ剥奪されてしまったら、彼には「立ち上がる」(“起来”)という道しか残されていない。

 もちろん、人がこのようなほとんど非人間的な状態に置かれながら、また人間性について討論することは、これまで私たちの悪い習慣であった。更に言えば餃子と「横になる」ことの間にはよく似た(“神似”)ところがあるが、結局のところ、いっしょに論じることはできない。その重大な違いは:餃子を毎日食べていると、うんざりして食欲がすぐになくなる(“胃口很快就倒了”)。気持ち良い云々など問題外である(“更談不上舒服”)。一方、毎日眠るのに、それで不平を言う人がいるなどあまり聞いたことがない。不平を言うのは、あまり眠れず、一晩じゅう寝返りを打った(“一夜折騰”)というようなことで、終始自分を置き換えることはできない。また、餃子は悪くないが、それが与えられた特定の文化的な意味合いを鑑みると、一人で食べるのは、ふと(“冷不丁”)出身の世のもの寂しいよくない感覚を覚える。「横になっている」時にも餃子を食べるように一人以上の参加者がいてはじめて気持ちよく感じることができる。実際、同じ事でも各人見方が異なる(“見仁見智”)。ひとり枕で眠るのは固よりやりきれない(“委屈”)。しかしベッドの横で、他人が熟睡しているのをどうして許せようか。
【原文】沈宏非《飲食男女》南京・江蘇文藝出版社2004年8月から翻訳

現代漢語への古語、方言、外来語等の吸収、採用の原則

2010年07月04日 | 中国語
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 今回は、前回の慣用句、成語のところで触れた、「言語規範化の法則」という概念について、述べられたところを見ていきたい。

              語彙が各種の成分を吸収する原則

(一)普遍性の原則

 古語の現代語への移入、方言の標準語への移入、外国語や他民族のことばの中国語への借入、及び専門的な技術用語の一般化は、普通語(中国語の標準語)の語彙を更に豊かにする。しかし、普通語の語彙が古語、方言、他の民族の言語、社会習慣語の各種の成分を吸収、採用するには、基準があり、条件がある。これは、新語の創造と同様、語彙の規範化の原則に基づかねばならない。

 先ず、普遍性の原則に基づく。

 普遍的な使用、或いは次第に普遍化することは、現代語が古語を採用する重要な条件である。もし、いくつかの古語のことばが現代社会の生活の中で通用することができるなら、それらは次第に古い、書面語的な性質から脱し、普通語の口語の中に入って来る。これに反し、もし現代社会の生活で通用しないなら、それらは死んでしまった、生気の無いものである。
 例えば、“老百姓”(民衆、一般大衆)は使われるが、“黎民”は使われない。“拂暁”、“黎明”(明け方)は使われるが、“昧爽”は使われない。“琢磨”(鍛え上げる)は使われるが、“切磋”は使われない(“切磋琢磨”の成語の形で使用)。

 方言の採用も、その普遍性を重要な基準としている。例えば、“搞”、“垮”kua3(崩れる)、“尶尬”gan1ga4(具合が悪い、気まずい)等は特殊な意味を表すのに用いられ、また普遍的な使用の事実と趨勢があり、普通語のことばになった。北方方言の地域では、時にはいくつかの意味の全く同じことばが使われ、普通語の中にもその中の普遍的に通用しているものが採用され、一方、普遍的でないもの(“偏僻的”)或いはあまりに土俗的なものは採用されなかった。
 例えば、“饅頭”(マントウ)は採用されたが、“馍馍”mo2mo、“蒸馍”は採用されなかった。“蚜虫”ya2chong2(アブラムシ)は採用されたが、“膩虫”、“蟻虫”、“蜜虫”、“油虫”、“旱虫”等は採用されなかった(“膩虫”は俗称として使われるようだ)。
 北京の“土語”の“老爺儿”(太陽の意味)、“肉杠”(豚肉を扱う肉屋)、“格渋”(人と異なる、の意味)等も、あまりに土俗的過ぎるので、採用されなかった。
 その他の方言地域のあまり通用していない方言も、特殊な必要がなければ、なおさら採用されることはない。

 一つの外来語(“借詞”)で、いくつかの異なった言い方がある場合は、そのうち一種を採用し、規範とする。選択の主な基準は、どれが実際の使用での普遍性が最大であるかである。
 例えば、“水泥”(コンクリート)は採用されたが、“洋灰”、“水門汀”は採用されなかった。“保険”(Insurance)は採用されたが、“燕梳”は採用されなかった。“汽水”(サイダー)は採用されたが、“荷蘭水”は採用されなかった。“郵票”(切手)は採用されたが、“士坦”は採用されなかった。“商標”(マーク)は採用されたが、“唛”mai4は採用されなかった。“暖気管”(スチーム)は採用されたが“水汀”は採用されなかった。
 また、“米”(メートル)は採用されたが、“密達”、“米突”、“米達”は採用されなかった。“尼龍”(ナイロン)は採用されたが、“呢隆”は採用されなかった。“法蘭絨”(フランネル)は採用されたが、“佛蘭絨”は採用されなかった。“巧克力”(チョコレート)は採用されたが、“巧格力”、“朱古力”は採用されなかった。

 社会習慣語については、専門用語や技術用語であれ、一般の言語の中で意味が拡大された用法であれ、一般的に最も普遍的に通用しているものが用いられ、用語の統一が求められる。

(二)必要の原則

 次に、必要に基づく原則である。

 適宜に古語のことばが運用されるのは、特殊な意味を表す必要があるためで、差別的な意味、厳かな、或いは諷刺的な意味を表す、及び歴史的事実を叙述する時のような場合であり、復古を提唱して古語のことばを使うのではない。“抵京”、“莅校”、“購物”、“従事”といったことばを用いることを好み、“到京”、“来校”、“買東西”、“進行(做)”を使わない人がいるが、このようにすることは、意味の表示の面では必要でないばかりか、却って意味を難解にしてしまっている。

 全ての文学作品は、専ら特殊な地区の人々の需要により書かれた方言文学以外は、全て標準語(“普通話”)のことばで書かれるべきである。標準語の中に吸収された方言のことばは特殊な、差別的意味を表す必要のためである。
 例えば、標準語のことばの中に、上海の“土語”の“癟三”bie1san1(ごろつき。チンピラ)、“噱”xue2(笑う)、拆爛汚ca1lan4wu1(ごまかしをするいいかげんなことをして人に迷惑をかける)、“像煞有介事”xiang4sha4you3jie4shi4(まことしやか)などが吸収された。しかし、“白相”bai2xiang4(遊ぶ)、“打烊”da3yang4(閉店する)、“辰光”chen2guang1(時間)、“淴浴”hu1yu4(風呂に入る)、写字間(事務所)等は、標準語の中に既に適切なことばがあり、方言のことばを採用する必要がなかった。

 外国語の中から必要な成分を吸収し、適用することのできるものを吸収することは、全く必要である。しかし、外国語のことばをそのまま無理やり持ってきたり、乱用してはならない。
 例えば、喔開(OK)、派司(Pass)、司的克(Stick)、乃木温(No.1)、剛伯度(Government)、賽因斯(Science)、拉司卡(Last Car)、曲奇(Cookie)、克力架(Cracker)などは、このような外来語が多用され、ことばの中に充満すると、ことばが傷つけられてしまうので、整理し使わないようにするべきである。[注1]
 どうしても必要で、ある程度すでに国際的なことばになっているものは、吸収して使っても構わない。例えば、“邏輯”(ロジック)、“威士忌”、“奥林匹克”、などである。 

 まとめると、中国語の中に吸収するかどうかは、実際に必要とする情況をみて決めなければならない。

 専門用語や技術用語は、意味が拡張し、転じて一般的なことばとなったもの以外は、一般言語の中で必要な時にだけ使うべきである。

(三)意味の明確化の原則

 第三は、意味の明確化に基づく原則である。

 標準語の中で普遍的に使用されている古語のことばは、通常、意味が明らかで、一般の人が理解できるものである。それに反し、めったに見ない(“生僻”)古語のことば、例えば、“璀燦”cui3can4(珠玉のきりきら光るさま)、“葳蕤”wei1rui2(草木がよく茂るさま)、“嶒嶝”ceng4deng4(挫折する)、“夭夭”yao1yao1(草木がよく茂るさま)などは、意味が明確でなく、一般の人の理解が難しいので、使わない方がよい。  [注2]

 標準語に方言のことばを採用する場合は、意味の明確化を要求しなければならない。誤解や混乱を避けるため、意味の不明確な、不適切な方言を使ってはならない。例えば、“電車”は使われているが、方言の“磨車”は使われない。“輪船”は使われるが、方言の“火船”、“電船”、“車船”などは使われない。

 中国語の中で、外国語の吸収については、しばしば元は外来語(“借詞”)であったものが、後に別の新語が作られるが、これは一部は漢字の影響を受けるためだが、主な原因は、ことばの意味伝達の明確さの要求のためである。もし適当な新語がなかったり、新語の意味表現があまり適切でない場合は、外来語が用いられる。
 例えば、“邏輯”(ロジック)は用いるが、“論理学”、“名学”は使わない。“托拉斯”(トラスト)は用いるが、“企業公司”は用いない。
 また、新語の中に、めったに見ない字が含まれる場合は、しばしばよく知っていて意味の明確な字に改められる。例えば、“清漆”(ワニス)は用いるが、“凡立司”は用いない。“燃焼弾”(焼夷弾)は用いるが、“焼夷弾”は用いない。

 専門用語、技術用語についても、その意味を正確に理解できてはじめて、適切に使用することができる。

【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年より翻訳

[注1] 外来語の使用であるが、時代とともに、変化も生じている。
 例えば、“曲奇”(Cookie)であるが、1980年頃であれば、外国製クッキーがまだ珍しく、日常のおやつであれば、“餅干”と言っていれば事が足りたのであるが、生活レベルの向上で、高級クッキーが入って来ると、ことばとして区別したい、という需要から、“曲奇”が市民権を得るようになった。元々、広東の“皇后恋曲”というメーカーが使い始めたようである。
 “朱古力”は未だ市民権まで得てはいないようだが、字の感じがダークブラウンの色を連想させるので、一部の人が使っているようである。香港や広東語から入ってきたことばも多い。
 ことばは生き物である。時代とともに、普遍化されて定着するケースがある訳である。

[注2] “葳蕤”wei1rui2について。5月に来日した温家宝首相が、歓迎レセプションで、以下のような漢俳(日本の俳句の形式を漢詩に応用した詩文形式)を詠んだ。
     融氷化春水、
    雨過青山分外翠、
    大地生葳蕤
 意味だけで言うと、三句目は、大地盛樹木、などとしても構わないはずだが、ここで敢えて“葳蕤”というめったに使わない古語を使った理由は、各句の末尾を“ui”音の語で統一し、脚韻を踏ませるためである。通常のスピーチでは絶対に使わないだろうが、詩という特別な環境なので、敢えて使ったのである。

沈宏非のグルメ・エッセイ: 瓜子(クアズ)を齧る音を聞く(聴瓜子)

2010年07月03日 | 中国グルメ(美食)
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 “瓜子”(クアズ)というのは、西瓜、南瓜、ひまわりなどの種を炒って塩などで味をつけたもので、中国ではお茶受けとしてたいへんポピュラーな食べ物である。おもしろいのはその食べ方で、殻を前歯で割って中身を食べるのだが、中国の人たちは、手を使わず、種をそのまま口に放り込むと、前歯と舌をうまく使って、殻を割り中身を取り出し、殻を吐きだす。この瓜子の殻を前歯で噛み割る動作には、これ専用に“嗑”、発音はke4 という字が当てられている。

             瓜子(クアズ)を齧る音を聞く(聴瓜子)

 各種のものを食べる音の中で、水を飲む音を除き、最も聞いていて気持がよいのが、瓜子(クアズ)を前歯で噛み割る(“嗑”)音である。

 瓜子を齧る(“嗑瓜子”ke4gua1zi3)音は、主に以下の三つの部分が絶えず組み合わさっている。瓜子の殻は前歯の先でパリッ(“劈劈剥剥”pi1pi1bo1bo1)とはじける。吐き出す時に、唇と舌の間で発せられるぱらぱら(“淅淅瀝瀝”xi1xi1li4li4)という音。そして周囲にこぼれ落ちた瓜子の殻から伝わるあの空洞のこだまである。66年前、豊子先生(1898-1975年。漫画家。散文家)は、女性の瓜子を噛み割る音を澄んで耳に快い「タッ、タッ」(“的、的”)という二つの音で形容した。66年前の瓜子がとりわけサクッと炒られていたのか、それとも66年前の女性の歯がとりわけ鋭かったのかは知らないが、「タッ、タッ」という音から、今日では瓜子を齧る音を連想するのは難しく、むしろ、いくぶん、留守番電話装置の信号のようである。

 その実、瓜子を齧るリズムは、音声よりもっと人をうっとりさせる(“引人入勝”)。自分が、或いは他人が瓜子をかじるのを連続二分以上聞いていると、あのとぎれとぎれのリスムは、まるで竹と肉がいっしょに生じた中国式のジャズのようであることに気がつく。

 もちろん、こうした音声とリズムは、多くは静かな部屋で、ひとりで瓜子を食べている時に気がつくのであって、普通の状況では、往々にしてがやがやとしたよもやま話(“閑言砕語”)の声の中に埋没してしまう。雨が芭蕉の葉にかかるのと、空腹の馬が鈴を鳴らすのが耳に快いのは、その前提は雨があまりひどくなく、芭蕉や馬の数もあまり多くないことである。大雨が一群の芭蕉の林に降ったり、馬が腹を空かせて暴れているのは、聞いてみても、大きな厨房の中で料理を作っているのと区別できない。

 瓜子を齧るのは、中国人が持って生まれたもの(天賦)である。瓜子を齧る音は、たいへん中国らしい音声である。春節は、一年の中で「中国の音」の最も強い月で、同時に瓜子の販売の最盛期(“旺季”)である。商品分類上、瓜子は通常、炒った豆類(“炒貨”)に分類されるが、実際は、音声の意味では、瓜子、マージャン、花火、爆竹は、新年の年越しのにぎやかな雰囲気のために存在する正月用品(年貨)であり、どれも皆、“炒貨”でなく“吵貨”(発音はどちらもchao3huo4で同じ)、つまり「騒々しい商品」と呼ぶことができる。

 瓜子は食べても何の足しにならない。その主な属性はそれを唇や歯といっしょに動かして発生する音の効果の上に成り立っており、この音の美学上の意義は固より小さくて取るに足りない(微不足道)ものだが、実際の作用から言うと、少なくともRave Party(乱痴気パーティー)での薬物の乱用の問題の解決のために、一種の建設的な考えを提供する可能性がある。Rave Partyの現場に瓜子の自動販売機を設置し、瓜子を齧る(“嗑瓜子”)ことでドラッグを齧る(“嗑薬”)ことに代えることを提唱すれば、地面一杯の瓜子の皮の上で、もっと優れたDJでも出せない幻想的な音響効果で狂ったように踊ることができるかもしれない。

                   瓜子臉(うりざね顔

 Super Bowlの勝者が、なすべきことは積極的に行い、誰にも譲らない(“当仁不譲”)「世界王者」であるなら、世界の一切の瓜子に関する歴史は、全て漢字で書かれたものである。

 馬王堆漢墓の女性の死体の腹の中から未消化の瓜子が発見されたけれども、瓜子の歴史は最高でも宋、遼までしか遡れない。なぜなら、ヒマワリやスイカが瓜子を作る「親会社」(母公司)であるが、何れも五代時期にようやく中国に入り始めたからである。ともかく、私は世界で最初に瓜子の殻を剥き、口に入れたのは、女性に違いないと信じている。女性だけがこのような生まれつきの注意深く細かな観察力と辛抱強さを持っている。もちろん、小さくて器用な口と指先も、欠かすことのできない工具である。

 たとえ、将来、考古学的な証拠により瓜子は男性が発明したものだと明らかになったとしても、瓜子は女性の食品であるという社会通念として認められた(“約定俗成”)現実は変えることはでいない――女性だけが、瓜子をこのように優美で上品に食べることができ、このように美しい。もちろん、女性が瓜子を齧るのは自分のためで、男性の気を惹くこととは無関係だが、一粒の取るに足りない瓜子について言えば、このように優雅に食べられれば、たとえ一個の瓜になるという輪廻を果たすことができなくとも、死んでも悔いのない幸せと見做すことができる。もっと粗野な女性でも、ひとたび瓜子を手にすれば、動作は自然に美しく変化する。二十数年前、私は広州の東郊で学校に通っていたが、都心と行き来するバスは、毎日、化学工場と製鉄工場の女工で満員であった。座っている者も立っている者も、女工たちは手に一袋のスイカの種の瓜子を持ち、《カルメン》の中でタバコ工場の女工たちが皆、紙巻きタバコを口にくわえているのと同様であった。私はしばしば彼女たちの瓜子を齧る美しい姿に心惹かれ、同時に「広州カルメン」たちがスイカの種の殻といっしょに口から飛び出すびっくりするような下品な言葉の中から、徐々に早期教育を終えることができた。

 成都の茶館は茶館での瓜子の消費量が中国で第一位である。他所と異なるのは、成都の茶館は、男性が時間つぶしに来るだけでなく、女性も時間つぶしにやって来ることである。私は、成都の女性は「うりざね顔」(瓜子臉)の比率が高いことを発見した。おそらく中国第一だろう。広東人は、これは「形により形を補う」(“以形補形”)理論の動かぬ証拠(“鉄証”)だと信じている。実際は、生まれつきどのような顔型であろうと、口を尖らし瓜子を噛み割るその時は、一人一人皆、うりざね顔(瓜子臉)である。

 中国女性のいくつかの代表的な「中国語で言う“顔型”」(漢語臉型)には、瓜(瓜子)の他、がちょうのたまご(鵞卵)、焼餅(シャオピン)、苦瓜があり、何れも食べ物である。言うまでもなく、「うりざね顔」(瓜子臉)は公認の美女の顔型である。鄭秀文(Sammi Cheng、香港の歌手)が人気が出た由縁は、自分の“焼餅臉”(丸くてのっぺりした顔)を、心を鬼にして“瓜子臉”に直したからだと言われている。“瓜子”が指すのがひまわりの種(“葵花子”)なのか、それとも多少丸くぽっちゃりした南瓜の種なのか、ということに至っては、“美白”の意味を参考にし、やはり後者が正しいだろう。

 中国文化の精華(“国粋”)として、瓜子を欧米に輸出するのは、現状ではたいへん難しいだろう。最も可能性があるのは、私はやはり日本だと思う。これは私たちが何れも米の飯を食べ、「同文同“種”」(文字を同じくし、人種を同じくする「同文同種」と、同じ「種」(瓜子)を食べる、をかけた)であるからではなく、日本の漫画の中で、男女の主人公は、うりざね顔(瓜子臉)が多数を占めるからである。

                   齧る(“嗑”)芸術

 私が瓜子は女性の食べ物であると信じる由縁は、女性の「齧る姿」(嗑姿)に対する偏愛というより、むしろ男性が瓜子を齧ることへの嫌悪と言った方がよい。

 男性が瓜子を齧るのは我慢できない、とりわけ一群のちょうど瓜子を齧っている男性、雄の第二性徴が突出して発達していればいる程、「齧る姿」(“嗑姿”)は尚更卑しくて見るに堪えず、一粒の女性の指先で弄ばれているダイヤモンドのような瓜子が、ごつい手で大きな口の男性の手に渡ると、一匹のノミが抓まれているかのようである。同様に直接口に触れるものでは、紙巻きタバコに男女のサイズの違いがあるが、不幸なことに瓜子は生まれつきLady sizeしかない。大きさの比率の美感の問題の他、男性が瓜子を齧る音は濁っていて、聞くに堪えない。したがって、私は以下の二つのケースを除いて、男性は瓜子と「これ以上の関わり合い」(“瓜葛”→“瓜”をかけている)を持ってはならないと思う。

 第一、瓜子を売ることで、商売上成功し、さらに個人の身分や地位も向上した場合。 第二、下腹部に痛みがあり、頻尿や排尿困難等の症状のある男性は、薬の服用の他、適量の瓜子を食べるとよい。南瓜の種には豊富な脂肪酸を含み、前立腺のホルモン分泌を助ける効果があると言われている。毎日、50グラム前後、生でも加熱したものでもよく、三か月以上続けて食べるべきである。

 馮鞏と牛群(相声=日本の漫才に相当、の芸人)は、これまでずっと私が好きな芸人であったが、新聞で、春節晩会(日本の紅白歌合戦に相当する、年越しのバラエティー番組)を準備するため、馮、牛の二人で毎回70斤(1斤は500グラムなので、35キロ)の瓜子を準備し、猛烈に齧ると言っているのを見て、私は実際に笑えなかった。二人のりっぱな旦那さん(“大老爺們”)が、齧っているのがどんな瓜子であっても、煙草を吸ってくれている方がましである。

 しかしそう言ってみて私自身も信じられないが、男性が十人いると、そのうち九人は齧って(“嗑”)いるその様はたいへん見苦しい(“悪形悪状”)。しかし、瓜子を噛み割る速度と技巧について言えば、私の見聞きしたところでは、九人の女性がかかっても一人の男性にかなわない。インターネット上で“小三”というペンネームで書かれた、出色の“嗑文”、瓜子を齧ることを論じた文章がある。「手にシラミ(“虱子”)より少し大きいかどうかの西瓜の種の瓜子を持ち、機関銃(“続子弾”)のように右側の口の端から連続で素早く放り込むと、一対の前歯(“門牙”)しか見えないが、左側の口の端から直ちに殻が噴き出され、噴水のようだ。しかも、二枚の殻はきれいに割られ、全てが揃っており(“囫圇個儿”hu2lunge4r)、唾の一滴も付いていない(“連口水都不沾一点”)。しかも遅れることなく口の中で咀嚼している。あの一山の瓜子はみるみる減っていき、瓜子の殻はみるみる増加し、あっという間に袋一杯が食べ尽くされてしまった。」

 悪くない、文中の“嗑主”、齧っている主は正に男性であろう。男でなくて、誰がこんなに効率よくできるだろうか。

                  ひまわり(葵花)宝典

  “黒瓜子”は西瓜の種、“紅瓜子”は白瓜(“白蘭瓜”)の種、“白瓜子”はかぼちゃの種であり、これら白いの、黒いの、赤いのが全て揃って比べると、ひとり、ひまわりの種だけが半分黒、半分白である。なぜならそれは「模様付き」(“花”生。“花”は模様の意味)であるからで、“瓜子”(クアズ)でなく“花子”(ホアズ)である。

 瓜子の価格は瓜に随って高くなり、大いに「おやじ、英雄、いい男」の雰囲気がある。しかし、かぼちゃの種や西瓜の種は、ひまわりの種ほどおいしくない。ひまわりの種(“葵花子”)はよくひまわりの種子と間違われるが、実際は、これはただの一粒の種子ではなく、一個のちゃんとした(“道道地地的”)果実である。ひまわりの果実は典型的な痩果(そうか。乾果の一種。果実は小さく、果皮が堅く、成熟しても裂開せず、内部に果肉に密着せず1個の種子を入れるもの)であり、体型は小さく、果皮は薄く、多少紙質を呈し、中に一粒の種子を含む。したがって、瓜子と比べ、ひまわりの種(葵花子)は生まれつき、木の実(果仁)に似た成熟した味わい(“韻味”)がある。西瓜の種を炒ったのを再度加熱するのは、ちょっと奇妙な(“陰陽”)感じがする。ひまわりの種を太陽の日に当てたのを冷ますと、口に入れた時にぽかぽか暖かい(“暖意融融”)。実際、ひまわりの種は更に炒る必要があるだろうか。これらがひまわりの花に随い毎日を過ごした(“逐日”)歳月の中で、日に当って十分に成熟している。

  西瓜の種や“紅瓜子”(白瓜の種)のように「ぬぐっても落ちない」(“揮之不去”。“悔之無及”、後悔先に立たず、という成語があり、それとかけて、しゃれている)渋みを取り除くため、炒る時にしばしば大量の調味料を加える。これらの香料には、ウイキョウ(茴香)、サンショウ(花椒)、桂皮、八角などが含まれ、皆発癌作用のあるサフロール(黄樟素)を含んでいる。食塩、香料(香精)、サッカリン(糖精)等の調味料については、過多に摂取すると、健康に悪影響を及ぼす。最近の研究の報告によると、瓜子に含まれる油類は、大多数が不飽和脂肪酸(亜油酸)であり、過量に摂取すると、大量のコリン(Choline胆碱)を消費し、体内での燐脂質の合成と脂肪の回転に障害を引き起こす恐れがある。大量の脂肪が肝臓に蓄積すると、肝細胞の機能に深刻な影響を及ぼし、肝細胞が破壊され、ひどい時には肝硬変を引き起こす。

 実際には、食用のものは皆有害であり、瓜子もまた例外ではなく、適量がよろしい。ただ瓜子の問題についてだけ言うと、食べないでいて、一旦食べだすと、自分でしばしば抑えが利かない状態に陥ってしまう。ひまわりの種は比較的噛み易く、しかも味があっさりしているので、齧りだすと取り憑かれたように(“中了魔症”)止まらなくなり、いつも思わず知らず、談笑し興が乗って来ると(“談笑風生”)、眼の前の瓜子の殻は山のように堆積し、またもや恐ろしい造山運動を形成する。

 ゴッホ(“梵高”)以後、ひまわりの種(“葵花子”)の母のひまわりは、西洋の精神病研究上、ずっと「きちがいがたわごとを言う」(“譫狂”)ことの符号であった。中国では、ひまわりは文革期、“忠義”のしるし(代碼)であった――ひまわりの花は永遠に太陽の方を向いており、たいへん直観的で、中国式の認識論に符号した。しかし、今考えてみると、このしるしは狂気じみていて、Stupid、ばかげている。“瓜子”であれ“花子”であれ、またそれが太陽を向いていようがいまいが、最終的には皆食べられてしまう。これが中国式の実践論である。

             うんこの先が伸びる(長個屎尖頭)

 中国以外では、世界各国の人々は誰も瓜子を食べない。めんどくさいから嫌だとか、美味しくないから嫌だと言うより、むしろ彼らは終始、一粒の瓜子の中に含蓄される(“蘊含”)ものの広さや深さ(“博大精深”)に入り込む(“滲透”)ことができないからと言った方がよい。

  瓜子の不思議さ(“吊詭”)は、それが形態上、食べ物のようであり食べ物でなく、食べた後の満腹のようなそうでないような感覚である。

 瓜子も一種の口腔、食道から胃腸までの伝統的な路線を通って動くものであるが、瓜子を食べる感覚は、大半が“嗑”の一文字から来ている――言い方を変えると、「殻無しの瓜子」を売っても市場が無いのである。次に、胡桃、ピーナッツ、ピスタッチオの類は食べる時に「殻を取り除く」というプロセスが必要であるが、これらのものは、食べ過ぎると満腹で腹が膨れたような感覚が生じることを免れない。瓜子は違う。正に豊子先生が言ったように、「俗語で、瓜子がお腹を一杯にしてくれないことを形容し、こう呼ばわせる。「三日三晩食べて、うんこの先が伸びた」(“吃三日三晩、長個屎尖頭”)と。」

 豊子先生がこのように瓜子の文化に関心を払う由縁は、当時の進歩的知識分子の心の中で、瓜子を齧ることは中国の貧困、弱さ、文明的でないことを形作る原因であり象徴の一つであるからで、アヘン、痰を吐くことと同罪であった。魯迅はこれを嫌っただけでなく、一切の形式の零食、つまりスナックやおやつに反対した。もちろん、西洋式及び日本の現代医学の影響を受けた魯迅や豊子たちは、瓜子が「食べても腹が膨れない」し、健康に無益であるから、否定的な態度をとったのではなく、ひどく憎んだ(“痛心疾首”)ことは、瓜子を齧ることの時間の浪費であった。豊子先生は1934年4月20日にこう書いている。「時間をつぶすのに便利なもの……世間の一切の食物の中で、いろいろ考えてみると、瓜子しかない。だから、私は瓜子を食べることを発明した人はすごい(“了不起”)天才だと思う。そしてできる限り瓜子を楽しむ中国人は、暇つぶしをするという“道理”においては、誠にすごく積極的な実行家である!中国人が「カリッ、ペッ」(‘格、胚’)、「タッ、タッ」(‘的、的’)という音の中で消費した時間は、毎年統計してみると、その数字は驚くべきものであるの違いない。将来、この“道理”が発展すると、おそらく中国全体も「カリッ、ペッ」、「タッ、タッ」という音の中で消滅してしまうだろう。私は元々、瓜子を見ると怖かったが、ここまで書いてきて、もっと恐ろしくなった。」

 悪くない、「齧る」(“嗑”)と「腹が膨れない」(“不飽”)はまだ途中(“途径”)で、時間をつぶすことこそ終点である。中国が最終的に瓜子のために消滅したのではないと時間が証明してくれてはじめて、私たちは瓜子が消滅させたのは、「タッ、タッ」(‘的、的’)と過ぎ去った時間だけであることをより一層理解することができるだろう。効率、或いは金銭に換算でき、瓜子を齧る音の中で消費されるものは、時間が固より持っている品質である。

【原文】沈宏非《飲食男女》南京・江蘇文藝出版社2004年8月から翻訳