当局に対する痛烈な批判を口にした老舎でしたが、心の底では中国の演劇界の今後の発展、特に中国の喜劇の将来を深く憂いていました。次に、この講演のメイン・テーマである、芝居、特に喜劇での言葉の使い方について、持論を展開していきます。
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■ 朋友們,我們多麼幸福,能够gou4作毛澤東時代的劇作家!我們有責任提高語言,以今日的関漢卿、王実甫自許,精騖八極,心游万仞,使語言藝術発出異彩!
・王実甫 wang2 shi2fu3 元代の戯曲作家。
・自許 zi4xu3 自ら任じる。自負する。[用例]以当代華陀~(当代の華陀と自負する)
・精騖八極,心游万仞 jing1wu4 ba1ji2, xin1you2 wan4 ren4 [出典]西晋の文学者、陸机《文賦》より。“精”は精神。“騖”wu4は馳せる。“万仞”は距離が極めて長いこと。“仞” ren4 長さの単位。1仞(じん)は8尺、または7尺に相当。全体の意味は、詩人が創作をする時は、思いは縦横無尽に駆け回り、時空の制限を受けない、ということ。
□ 皆さん、私たちはなんて幸せなのでしょう、毛沢東時代の劇作家になることができて!私たちは言葉を向上させる責任があり、今日の関漢卿、王実甫を以て自負し、気持は四方八方を駆け回り、千尋の山に遊び、文芸作品が異彩を放つようにさせましょう!
■ 我們缺乏喜劇。也和別種劇作一様,喜劇并不専靠着語言支持。可也不能想象,没有精彩的語言,而能成為優秀的喜劇。据我個人的体会,逗笑的語言已不易写,既逗笑而又“有味儿”就更難了。
□ 私たちには喜劇が欠けています。その他の演劇と同様、喜劇は決して専ら言葉に支えられている訳ではありません。しかし、素晴らしい言葉無しに、優秀な喜劇が作れることも、想像できません。私個人の体得したところでは、人を笑わせる言葉自体、書くのは容易ではありませんが、可笑しくて且つ「味わいのある」ものを書くのはもっと困難です。
■ 親切充実会使語言有些味道。在適当的地方利用一二歇后語或諺語,能够gou4発生親切之感。但是,這是利用現成的話,用的過多就反而可厭。我們応当向評書与相声学習,不是学習它們的現成的話,而是学習它們的深入生活,無所不知的辧法。在評書和相声里,状物絵声無不力求細致。芸人們知道的事情真多。多知多懂,語滙自然豊富,説起来便絲絲入扣,使人感到親切充実。
・親切 qin1qie4 心がこもっていること。親しみを感じること。
・充実 chong1shi2 からっぽでなく、十分な内容や力が備わっていること。
・現成 xian4cheng2 できあいの。既成の。
・無所不知 wu2 suo3 bu4zhi1 [成語]知らないものはない。何でも知っている。
・状物絵声 zhuang4wu4 hui4sheng1 事物に対する描写。普通は、“絵声状物”という。
・力求 li4qiu2 できるだけ……するようにする。追い求める。
・細致 xi4zhi4 緻密である。細心の注意が払われ、念がいっていること。
・絲絲入扣 si1si1 ru4kou4 [成語]機織りの糸が1本1本きちんと筬(おさ)の目に通っている、というのが原義。そこから、文章が一言一句急所を突いていること。踊りや演技の調子がぴったり決まっていること、をいう。
□ 親しみがあって内容が十分であれば、言葉に味わいが出てきます。適当なところで歇后語(掛け言葉)やことわざを一つ二つ使うと、親しみが生まれてきます。けれども、これは出来合いの言葉を利用するので、使いすぎると、却って鼻につきます。私たちは評書や相声に学ばねばなりませんが、それらの既成の話を学ぶのではなく、それらが深く生活に入り込み、知らないものはない、そのやり方を学ばなければなりません。評書や相声では、物の描写に細心の注意が払われていないところはありません。芸人達が知っている事は本当にたくさんあります。多くを知り多くを理解しているので、語彙は自然と豊かになり、口を開けば、一言一句がぴったり決まっていて、聞く者に親しみと充実感を感じさせるのです。
■ 我們写的喜劇,往往是搭起個不錯的架子,而没有足够gou4的語言把它充実起来,叫人一看就看出我們的生活知識不多,語滙貧乏。別人没看到的,我們看到了,一説就会引人入勝。可是,事実上,我們看到的実在太少。于是,我們就不能不以泛泛的語言,勉強逗笑,效果定難圓満。我們必須拡大生活体験的範囲,三教九流,五行八作,無所不知,像評書及相声演員那様,我們才能够gou4応付裕如,有什麼情節,就有什麼語言来支持。
・搭 da1 架け渡す。組み立てる。
・架子 jia4zi 骨組み。
・引人入勝 yin3ren2 ru4sheng4 景色や文章などが、人をうっとりさせる。“入勝”は「佳境に入る」の意味。
・泛泛 fan4fan4 うわべだけの。皮相的な。
・三教九流 san1jiao1 jiu3liu2 [成語]儒教、仏教、道教の三教と儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家の九家のこと。広く、様々な職業の人、雑多な人のことをいう。
・五行八作 wu3hang2 ba1zuo4 [成語]様々な職業。様々な商売のこと。“五……八”の組合せで数の多いことを表すので、数字そのものには具体的な内容、意味は無い。
・応付裕如ying4fu yu4ru2 対応が余裕綽綽(しゃくしゃく)である。“裕如”は、ゆったりしているさま。
□ 私たちが書く喜劇は、しばしばまずまずの骨組みが用意されているのですが、十分な言葉で話を展開することができなので、聴衆はひと目で私たちの生活の知識が十分でなく、語彙が貧弱なことを見抜いてしまいます。他の人が知らないことを、私たちが知っているのであれば、口を開いた途端、人々を夢中にさせることができます。しかし、実際は、私たちが知っていることはあまりに少ない。それで、私たちはうわべだけの言葉で、無理やり笑わせようとするので、その効果たるや満足できるものであるはずがありません。私たちは生活体験の範囲を拡大しなければならず、様々な商売、様々な人々のことを、知らないものは無いようにすれば、評書や相声の芸人達のように、余裕しゃくしゃくで受け応えし、どんな状況でも、それに相応しい言葉で対応できるようになります。
■ 没有一套現成的喜劇語言在図書館里存放着,等待我們去借閲。喜劇作者自己須有極其渊博的生活知識,創造自己的喜劇語言。我們写的是一時一地的一件事,我們的語言資料却須従各方面得来,上至綢緞,下至葱蒜,包羅万象。当然,写別的戯也須有此准備,不過喜劇特別要如此。
・渊博 yuan1bo2 学識が深くて広い。
・綢緞 chou2duan4 繻子(しゅす)と緞子(どんす)。広く絹織物のことをいう。
・包羅万象 bao1luo2 wan4xiang4 [成語]内容が豊富で、あらゆるものを網羅していること。
□ 一式の既成の喜劇用語集が図書館に置かれ、借りて閲覧されるのを待っている訳ではありません。喜劇作家は自分で極めて奥深い生活知識を身につけ、自分の喜劇用語を創造しなければなりません。私たちが書くのはその時その場限りの出来事ですが、私たちの用語資料は様々なところから採取し、上は絹織物から、下はネギ、ニンニクに至るまで、あらゆるものを網羅していなければなりません。もちろん、他の芝居でもこのような準備が必要ですが、喜劇は特にそうしなければなりません。
■ 假若別種劇的語言像単響的爆竹,喜劇的語言就必須是双響的“二踢脚”,地上響過,又飛起来響入云霄。作者的想象必須能将山南聯系到海北,才能出語驚人。生活知識不豊富,便很難運用想象。没有想象,語言都爬伏在地,老老実実,死死板板,恐怕難以発生喜劇效果。
・二踢脚 er4ti1jiao3 爆竹の一種。別名、“双響”ともいう。引火後、地面で一度炸裂し、さらに空中に昇って爆発する。
・云霄 yun2xiao1 空。高空。
・山南……海北 shan1nan2 …… hai3bei3 山の果て、海の極み。遠隔の地まで、至るところ。
□ もし別の芝居を単発の爆竹とするなら、喜劇の言葉は二度鳴る“二踢脚”で、地面で鳴り響いた後、更に空に上がり、鳴り響いて空高く消えていきます。作者の想像力は山の極みのことを海の極みと結びつけられなければならず、そうしてはじめて、言葉を繰り出すや聴衆をびっくりさせることができます。生活の知識が豊かでないと、想像力を働かせることができません。想像力が無いと、言葉は地面の上を這いつくばるだけで、おとなしく、単調で、おそらく喜劇の効果を発揮させることは難しいでしょう。
■ 喜劇的語言必須有味道,令人越咂za1摸越有意思,越有趣。這様的語言在我們的喜劇中似乎還不很多。我們須再加一把力!怎麼才能有味道呢?我回答不出。我自己就還没写出這様的語言来。我只能在這里説説我的一些想法,不知有用処没有。
・咂摸 za1mo 味をみる。吟味する。
・加一把力 jia1 yi1ba3 li4 もっとがんばる。“把”は量詞で、本来は、手に関係があり、取っ手のついたものを数えたり、ひとつかみのものを数えるのに使う。そこから派生し、“一把”で力の量を指す。
□ 喜劇の言葉は味わいがあり、人が面白いかどうか吟味すればするほど、面白くならなければなりません。このような言葉は、私たちの喜劇の中ではまだあまり多くないようです。私たちはもっとがんばらなければならない。どうやったら味わいが出るのか。私は答えられません。私自身、まだこのような言葉を書いたことがないのです。私はここでは私の若干の考え方を言ってみることしかできませんが、役に立つかどうか分かりません。
■ 我們応当設想自己是個哲学家,尽我們的思想水平之所能及,去思索我們的話語。聡明俏皮的話不是俯拾即是的,我們要苦心焦思把它們想出来。得到一句有些道理的話,而不俏皮漂亮,就須従新想過,如何使之深入浅出。作到了深入浅出,才能够gou4既容易得到笑的效果,而又耐人尋味。喜劇語言之難,就難在這里。
・設想 she4xiang3 想定する。
・話語 hua4yu3 言葉。話。
・俏皮 qiao4pi おもしろおかしい。
・俯拾即是 fu3shi2 ji2shi4 [成語]うつむいて拾えば、至る所にある。いくらでもある。どこにでもある。[用例]這種例子~。(こういう例はざらにある)
・深入浅出 shen1ru4 qian3chu1 [成語]文章や言葉の内容は奥深いが、表現はごく分かりやすいこと。
□ 私たちは、自分が哲学者であると想定し、私たちの思想レベルの及ぶ限りで、私たちの言葉について考えてみます。教養があって面白い話はどこにでもあるものではなく、私たちは苦心惨憺してそれを考え出さなければなりません。なるほどと思える話があっても、面白くてきれいでなければ、もう一回考え直し、どうやったら内容は深いが表現は分かりやすくなるか考えないといけません。内容が深くて表現が分かりやすくできれば、容易に笑いの効果を得られますし、人の吟味にも耐えられます。喜劇の言葉の難しさは、ここにあります。
■ 我們先設想自己是哲学家,而后還得変成幽默的語言藝術家,我們才能够gou4找到有味道的喜劇語言 ―― 想的深而説得俏。想的不深,則語言泛泛,可有可無。想的深而説得不俏,則語言笨拙,無従得到幽默与諷刺的效果。喜劇的語言若是鋼,這個鋼便是由含有哲理、幽默与諷刺的才能等等的鉄提煉出来的。
・可有可無 ke3you3 ke3wu2 [成語]あっても無くてもよい。
・笨拙 ben4zhuo1 下手である。
□ 私たちは最初に自分が哲学者であると想定しましたが、次にユーモア作家に変身しなければならず、ここでようやく味わいのある喜劇の言葉――思いが深く、しかも面白い、そうした言葉を見つけ出すことができるのです。思いが深くないと、言葉がうわべだけで、あっても無くてもよいものに過ぎません。思いは深いが面白くなければ、それは言葉遣いが下手で、そこからはユーモアと風刺の効果は得られません。喜劇の言葉を鋼(はがね)とするなら、この鋼は哲理、ユーモア、風刺の才能などを含んだ鉄から抽出されたものなのです。
■ 在京戯里,有不少丑角的小戯。其中有一部分只能叫作閙戯,不能算作喜劇。這些閙戯里的語言往往是起哄瞎吵,分明是為招笑而招笑。因此,這些戯能够gou4引起哄堂大笑,可是笑完就完,没有回味。在我自己写的喜劇里,雖然在語言上也許比那些閙戯文明一些,可是也常常犯為招笑而招笑的毛病。
・丑角 chou3jue2 道化。
・閙戯 nao4xi4 道化芝居。社会の暗い面を風刺するものを指す。
・起哄 qi3hong4 多くの人がいっしょになって、一人、或いは少数の人を冷やかすこと。
・瞎吵 xia1chao3 とりとめなく騒ぐこと。
・分明 fen1ming2 明らかに。
・招笑 zhao1xiao4 笑わせる
・哄堂 hong1tang2 一座の者がどっと笑うさま。“~大笑”で、どっと沸き立つ、の意味。
□ 京劇には、道化の出てくる芝居がたくさんあります。その中の一部分は“閙戯”、「道化芝居」と呼ばれますが、喜劇とは見做せません。これら「道化芝居」の言葉はしばしば冷やかしやとりとめのない話で、明らかに笑いを取るために笑わせています。だから、こうした劇は、一座の者をどっと笑わせることができますが、笑ったらおしまいで、余韻も何もありません。私自身が書く喜劇でも、言葉の上ではこうした「道化芝居」よりは文化程度が高いですが、しばしば笑いを取るために笑わせるという過ちを犯してしまいます。
■ 我知道滑稽幽默不応是目的,可是因為思想的貧乏,不能不乱耍貧嘴,往往使人生厭。我們要避免為招笑而招笑,而以幽默的哲人与藝術家自期,在談笑之中,道出深刻的道理,叫幽默的語言発出智慧与真理的火花来。這很不容易作到,但是取法乎上,還怕僅得其中,難道我們還該甘居下游嗎?
・貧嘴 pin2zui3 口数が多くていやらしい。むだ話が多い。“耍shua3~”で、くだらないことをぺらぺらしゃべること。
・生厭 sheng1yan4 嫌悪の情がわく。厭になる。
・取法乎上 qu3fa3 hu1 shang4 “取法”は、手本とする。見習う。“乎”は、接尾語で、動詞の後につく。……から、……に。“上”は、最上、最高のもの。次の節を受けて、“取法乎上,僅得其中”の形で、「最上のものを手本にしても、中くらいのものしか得られない」と続く。
・甘居 gan1ju1 低いポストに甘んじる。“~下游”で、「人の風下に立つことに甘んじる、それを良しとする」の意味。
□ 滑稽やユーモアは目的ではないと分かっていても、思想が貧困であると、くだらないことをぺらぺらしゃべらざるを得ず、しばしば人に嫌がられてしまいます。私たちは、笑いを取るために笑わせることを避け、ユーモアの哲人、芸術家を自負し、談笑の中で、深刻な道理を持ち出し、ユーモアのある言葉で智慧と真理の火花を発せさせるようにすべきです。これは、容易には成し遂げられないことですが、それでは、最上のものを手本にしても、中くらいのものしか得られないと恐れ、人の風下に立つことを良しとするのでしょうか。
■ 語言,特別在喜劇里,是不大容易調動的。語言的来歴不同,就給我們帯来不少麻煩。従地域上説,一句山東的俏皮話,山西人聴了也許根本不懂。従時間上説,二十年前的一段相声,今天已経不那麼招笑了,因為那些曾経流行一時的話已経死去。従行業上説,某一句話会叫木匠師傅哈哈大笑,而厨師傅聴了莫名其妙。
・俏皮話 qiao4pi2hua4 しゃれことば。
・木匠 mu4jiang4 大工
□ 言葉は、特に喜劇では、扱いの難しいものです。言葉の来歴は異なり、そのことは私たちに多くの煩わしさをもたらします。地域の上から言うと、山東のしゃれことばを、山西人が聞いても、恐らく理解できないでしょう。時間の上から言うと、二十年前の漫才を、今日聞いても、可笑しいとは感じられません。なぜなら、その当時に流行した話はもう死滅しているからです。職業の上から言うと、ある話は、大工の棟梁を大笑いさせることができても、レストランのシェフが聞いても、ちんぷんかんぷんでしょう。
■ 我是北京人。六十年来,北京話有很大很大的変化。老的詞儿不断死去,新的詞儿不断産生。最近,小学生們很喜歓用“根本”。問他們什麼,他們光答以“根本”,不知是根本肯定,還是根本否定。這類的例子恐怕到処都有,過些日子就又被放棄,另発明新的。我們怎麼辧呢?
・光 guang1 [副詞]範囲を限定する。ただ……だけ。
□ 私は北京人です。この60年、北京語は大きく変化しました。古い言葉が次々死滅し、新しい言葉が次々生まれてきています。最近、小学生たちが“根本”という言葉を好んで使っています。彼らにどういう意味なの?と聞いても、ただ“根本”と答えるだけで、“根本”的に肯定しているのか、“根本”的に否定しているのか分かりません。こうした例は、恐らく至る所にあるでしょう。過去の日々は捨て去られ、それとは別に新たなものが生み出されます。私たちは、どうすればよいのでしょうか。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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前回に続き、老舎は当時の政府の文芸政策を暗に批判しています。その最後に出てくるのが毛沢東の詩で、毛沢東の詩を取り上げたところに、作者一流の痛烈な皮肉があると思います。
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■ 缺少含蓄的第二個原因,恐怕是我們以為人民的語言必是直言無隠,一泄無余的。不錯,人民的語言若是和学生腔比一比,的確是干脆嘹亮,不別別扭扭。可是,我們還没忘記在五八年大躍進中,人民写的那些民歌吧?那也是人民的語言,可并不只是干脆直爽。那些語言里有很高的想象与詩情画意。那些民歌使我們的一些詩人吓了一大跳,而且願意向它們学習。可惜,戯劇語言却似乎没有受到多少影響;即使受了些影響,也只在干脆痛快這一方面,而没有充分注意到人民的想象力与詩才如何豊富,従而使戯劇語言提高一歩,不只紀録人民的語言,而且要創造性地運用。
・直言 zhi2yan2 ありのままに言う。
・学生腔 xue2sheng1qiang1 学生口調。この場合、“学生”の“生”は軽声ではなく、一声で発音する。
・嘹亮 liao2liang4 高らかに響き渡る。
・別扭 bie4niu ひねくれている。さっぱりしていない。
□ 含蓄が欠けている二番目の原因は、おそらく私たちが人民の言葉というのはありのままで隠し事が無く、余すところがないと思っていることにあります。そう、人民の言葉は、学生の言葉に比べると、確かにはっきりとしていて、ひねくれたところがありません。けれども、私たちは1958年の大躍進の時に、人民が歌ったあの民謡をまだ忘れていません。あれも人民の言葉ですが、単にはっきりして率直であるだけではありません。その言葉には高い想像力と詩情豊かな絵心があります。あの民謡に我々何人かの詩人はびっくりし、それらを学ぼうと願ったのです。残念ながら、芝居の言葉は何ら影響を受けなかったようです。たとえ多少影響を受けたとしても、はっきり率直にという面だけで、人民の想像力と詩の才能が如何に豊かであるかに注目し、そこから芝居の言葉を一歩高め、人民の言葉を単に記録するのではなく、創造的に運用するということがありませんでした。
■ 所謂鋒芒,即是顕露才華。在我們的劇本中,我們似乎只求平平妥妥,不敢出奇制勝。我們只求説的対,而不要求説的既正確又精彩。這若是因為我們的本領不够gou4,我們就応該下苦功夫,使自己得心応手,能够gou4以精辟的語言道出深湛的思想和真摯深厚的感情。
・平妥 ping2tuo3 穏やかで当を得ている。当たり障りがない。
・出奇制勝 chu1qi2 zhi4sheng4 [成語]相手の意表を突いて勝ちを制する。
・本領 ben3ling 技能。腕前。学習や訓練によって得られる高度な技術のこと。
・得心応手 de2xin1 ying4shou3 [成語]思い通りの結果が現れる。事がすらすら運ぶ。
・精辟 jing1pi4 見識や理論が深く鋭い。透徹している。
・深湛 shen1zhan4 深くて詳しい
・真摯 zhen1zhi4 真摯(しんし)な。誠実な。
□ いわゆる“鋒芒”(矛先)というのは、才気が表に現れることです。私たちの芝居では、ただ当たり障りの無いことを求め、意表を突いて勝ちを制しようとする勇気が欠けているように思えます。私たちは正しいことだけを言うようにし、正確でしかも素晴らしいことを言おうとしていません。これがもし私たちの技能が不足しているためなら、私たちはしっかり修業し、思い通りの結果が出せるようにし、深く鋭い言葉で深遠な思想と、誠実で温かい感情を表現できるようにするべきです。
■ 若是因為有什麼顧慮呢,我們便該去多読毛主席的詩詞与散文。看,毛主席的文筆何等光彩,何等豪邁,真是光芒万丈,横掃千軍!我們為什麼不向毛主席学呢?怕有人説我們鋒芒太外露嗎?我們応当告訴他:劇本是文学作品,它的語言応当鏗鏘作金石声。写劇本不是打報告。
・顧慮 gu4lv4 心配(する)。懸念(する)。気懸り。考えの中で、まだどこかすっきりしないところがあり、心配なこと。主に名詞として使われるが、動詞としても使われる。
・文筆 wen2bi3 文章の語句の風格。文章のスタイル。
・豪邁 hao2mai4 豪胆である。勇壮である。
・光芒万丈 guang1mang2 wan4zhang4 [成語]光がきらきらとあたり一面に輝く。
・横掃千軍 heng2sao3 qian1jun1 [成語]多くの敵に囲まれる中、地を掃くように短時間で一気に敵を掃討してしまうこと。
・鏗鏘 keng1qiang1 楽器などのリズミカルな音。
・金石声 jin1shi2 sheng1 文章が珠玉のように美しいさま。“金石”は金属や石、或いは堅固なものの喩えだが、転じて、文字や文章が優美である喩えとして用いられる。
□ もし何か気懸りがあるなら、私たちは毛主席の詩や散文をもっとたくさん読むべきです。ご覧なさい、毛主席の文章のなんときらきらとして、勇壮なことか。本当に、光が一面に輝き、一気に全てをひれ伏させるかのようです。私たちはどうして毛主席に学ばないのでしょうか。ひょっとすると、私たちの言葉の矛先(“鋒芒”)があまりに外に露出してしまうのが心配だという人がいるかもしれません。その人にこう言わなければなりません。芝居の脚本は文学作品で、その言葉はリズミカルで、珠玉のような音色がしなければなりません。芝居を書くのは報告書を書くことではありません。
■ 毛主席説:“数風流人物,還看今朝。”風流人物怎可以語言乏味,不見才華与智慧呢?是的,的確有人対我説過:“老哥,你的語言太誇張了,一般人不那様説話。”是呀,一般人可也并不写喜劇!劇本的語言応是語言的精華,不是日常生活中你一言我一語的録音。一点不錯,我們応当学習人民的語言,没有一位語言藝術大師是脱離群衆的。但是,我們知道,也没有一位這様的大師只紀録人民語言,而不給它加工的。
・数風流人物,還看今朝: 毛沢東の詩《沁園春・雪》の一節。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。[用例]~人物(傑出した人物)
・乏味 fa2wei4 味気ない。おもしろみがない。
□ 毛主席はこう言われました。「英雄を指折り数えてみて、今の世の中を見てみたまえ(今の世の中にはそうした英雄が見当たらない)。」功績も文才もある英雄が、どうして言葉におもしろみがなく、才気も智慧も見られないということがあるでしょうか。そうです、確かにある人が私に言ったことがあります。「兄さん、あなたの言葉は大げさ過ぎる、普通の人はこうは言わないよ。」そうです、普通の人は決して喜劇は書きません。芝居の言葉は言葉の粋でなければならず、日常生活の一言一句の録音ではないのです。私たちは人民の言葉を学ばなければならず、如何なる文芸界の巨匠も群衆から離れることはできないというのは、少しも間違っていません。けれども、人民の言葉を記録するだけで、それに手を加えない巨匠は一人もいないということを私たちは知っています。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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【付録】
毛沢東《沁園春・雪》(1936年2月)
北国風光,千里冰封,万里雪飄。
望長城内外,惟余莽莽;大江上下,頓失滔滔。
山舞銀蛇,原馳蜡象,欲与天公試比高。
須晴日,看紅装素裹,分外妖嬈。
江山如此多嬌,引無数英雄競折腰。
惜秦皇漢武,略輸文彩;唐宗宋祖,稍遜風騒。
一代天驕,成吉思汗,只識穹弓射大雕。
俱往矣,数風流人物,還看今朝。
【注釈】
・沁園春 qin4yuan2chun1 “詞”を節に乗せて歌うメロディーの一つで、初唐に始まる。“沁園”とは、東漢(後漢)の沁水公主の園苑(庭園)のことで、有史以来、中国第一の皇室庭園と言われたが、当時、外戚として権勢を誇った竇憲に奪われるが、後に皇帝の知るところとなり、沁水公主に戻される。この話が後に唐代、詩に詠まれるようになり、それにメロディーをつけたのが“沁園春”で、その後、同じ韻律の形式の詩も、“沁園春”と呼ばれるようになった。《沁園春・雪》は、毛沢東が雄大な雪景色から着想を得た詩に“沁園春”の韻律を用いたもの。
・惟余 wei2yu2 ただ……だけが残っている。
・莽莽 mang3mang3 広々として果てしがないさま。
・大河 da4he2 黄河を指す。
・頓失滔滔 dun4shi1 tao1tao1 黄河が氷結して、あっという間に波涛の渦巻く勢いが失われてしまうことを指す。“滔滔”は水が盛んに流れるさま。
・山舞銀蛇 shan1 wu3 yin2she2 山並が銀色の蛇のようにくねくねとしている。雪を被った山並の形容。
・原馳蜡象 yuan2 chi2 la4xiang4 高原を白い象が駆け回っている。“原”は毛沢東自身の注釈によれば、秦晋高原のこと。“蜡象”は白い象。
・天公 tian1gong1 天、天を司る神様のこと。
・須 xu1 待つ。
・紅装素裹 hong2zhuang1 su4guo3 “紅装”とは、真っ赤な女性の服装で、ここでは真っ赤な太陽を指す。“素裹”は女性の白い下着で、雪に覆われた大地を指す。
・分外 fen4wai4 非常に。ことのほか。
・妖嬈 yao1rao2 なまめかしい
・.折腰 zhe2yao1 腰をかがめて、お辞儀をする。
・秦皇漢武 qin2huang2 han4wu3 秦の始皇帝と漢の武帝。
・文彩 wen2cai3 文才。文学的才能。
・輸 shu1 負ける。劣る。
・唐宗宋祖 tang2zong1 song4zu3 唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤。
・遜 xun4 劣る。
・風騒 feng1zao1 文学、詩文。《詩経》の《国風》と、《楚辞》の《離騒》から作られたことば。ここでは、文学や詩文の才能。
・一代天驕 yi1dai4 tian1jiao1 “天驕”は、漢代、匈奴xiong1nu2の単于chan2yu2に対して用いた呼称で、“天之驕子”(天の寵児)の略。その後、歴史上の北方の遊牧騎馬民族の君主のことを指すようになった。
・射雕 she4 diao1“雕”はワシのことで、容易に射落とすことができないことから、武芸に秀でた人のことを“射雕者”という。
・風流 feng1liu2 功績もあり、文才にも優れた人。英雄。
・今朝 jin1zhao1 今。現在。
【訳文】
北国の風景の中、あたり千里は氷で閉ざされ、万里にわたって雪がひらひら舞っている。
万里の長城の内側と外側を望めば、ただ果てしない大地だけが広がっている。
大河の流れは、氷結のため、しばしその滔々とした流れを止めている。
山並は銀色の蛇がくねくねと舞うようで、高原を白い象が駆けていく。この高地と天と、どちらが高いか比べたいと思う。
天気が晴れたら、女性の真っ赤な服のような太陽と真っ白な薄絹の下着のような雪の原の対比が、ことのほか艶めかしい。
この大河と山々はこんなにも愛らしいが、これまで数え切れない英雄が腰をかがめ、拱手の礼をして、雌雄を決する舞台となった。
惜しむべきは、秦の始皇帝、漢の武帝は、やや文才に欠けた。
唐の太宗・李世民と宋の太祖・趙匡胤は、やや詩文の才が劣った。
一代の寵児、ジンギスカンは、ただ大空に向け弓を引き、大鷲を射ることしか知らなかった。
しかし、彼らは皆この世を去ってしまった。これら英雄たちを指折り数え、今の世を見たらどうだろう。英雄は(私を除き)一人もいないではないか。
【詩の背景】
長征の後期の1936年2月、毛沢東と朱徳率いる紅軍は、陝北高原で黄河渡河の準備をしていた。地形の偵察のため、海抜1000メートルの雪山に登った毛沢東は、眼前に広がる風景に感激し、この詩を作った。この詩が発表されたのは1945年8月、日本が降伏し、戦後処理で国民党と話し合うため、毛沢東は重慶へ赴いた。重慶での国民党との話し合いは43日に及んだが、その間、詩人、柳亜子との交流があり、柳亜子は何度か詩を毛沢東に贈ったが、その返礼として、毛沢東が同年10月、この詩を柳亜子に贈り、併せて《新華日報》に発表した。
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この講演を読んで、どうやら老舎は1960年当時、意に沿わぬ話劇を書かされたことがあったようです。そのことについて、間接的に自己批判しているように思います。
それを命じた側の人間もこの講演の聴衆の中にいたはずで、老舎は覚悟の上での発言だったのでしょう。
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■ 我們几乎無従避免借着対話説明問題或交代情節。可是,正是這種地方,我們才応設尽方法写好対話,使説明与交代具有足以表現人物性格的能力。這個人物必須有這個独特的説明問題与交代情節的辧法与説法。這様,尽管他説的是“今天天气,哈哈哈”,也能開口就響,説明他的性格。根据劇情,他説的雖是一時一地的話,我們可是従他的生活全貌考慮這点話的。
・開口就響 kai1kou3 jiu4 xiang3 口を開けば、よく響く。ここでは“響”の「音がよく響く」という意味を比喩的に使っている。
・一時一地 yi1shi2 yi1di4 その時その場限りの。“一時一刻”「ちょっとの間」という言葉があるが、それをもじって言ったもの。
□ 私たちは台詞を使って問題の説明をしたり話の筋の解説をすることからほとんど逃れようがありません。けれども、正にこうした場面でこそ、私たちは手を尽くして上手く台詞を書き、人物の性格と能力を表現するに足る説明と解説をしなければなりません。こうすれば、たとえ彼が言うのが「今日は天気が良いね、ハハハ」というようなものでも、口を開けばよく響き、彼の性格を説明することができます。劇のストーリーに基づき、彼が言ったのがその時その場限りの話でも、私たちは彼の生活の全貌から、この台詞を考え出しているのです。
■ 在《茶館》的第一幕里,我一下子介紹出二十几個人。這一幕并不長,不許毎個人説很多的話。可是据説在上演時,這一幕的效果相当好。相反地,在我的最失敗的戯《青年突撃隊》里,我叫男女工人都説了不少的話,可是似乎一共没有几句足以感動聴衆的。人物都説了不少話,聴衆可是没見到一個工人。原因所在,就是我的確認識《茶館》里的那些人,好象我給他們都批過“八字儿”与婚書,還知道他們的家譜。因此,他們在《茶館》里那几十分鐘里所説的那几句話都是従生命与生活的根源流出来的。反之,在《青年突撃隊》里,人物所説的差不多都是我臨時在工地上借来的,我并没給他們批過“八字儿”。
・批 pi1 ここでは“批准”pi1zhun3の略。許可する。承認する。
・八字儿 ba1zi4r 生まれた年、月、日、時に相当する干支(えと)の8文字。古くはこれによって運命判断ができると信じられていた。“年庚nian2geng1八字”、“生辰sheng1chen2八字”とも言う。
・婚書 hun1shu1 結婚証明書
・家譜 jia1pu3 系譜。家系図。
□ 《茶館》の第一幕で、私はあっという間に二十数名の人物を紹介しました。この一幕はあまり長くないので、全ての人物に多くのことを話させることができません。しかし、聞くところによると、上演した時、この一幕の効果はたいへん良かったそうです。その反対に、私の最大の失敗作である《青年突撃隊》では、私は男女の労働者に多くのことを話させましたが、どうも全体的に、聴衆を感動させるに足る台詞は少しも無かったようです。原因の所在は、私は確かに《茶館》の中の人々のことを、あたかも私が彼らに「生年月日の干支の八文字」や婚姻証書を書いてやったかのようによく知っていて、彼らの家系図まで知っています。ですから、彼らが《茶館》の中での数十分の中で言ったあのいくつかの台詞は、皆生命と生活の根源から流れ出たものなのです。それに反して、《青年突撃隊》の中で、登場人物が言ったことは、ほとんど私が臨時に工事現場から借りてきたもので、私は決して彼らに「生年月日の干支の八文字」を書いてやってはいません。
■ 那些話只是話,没有生命的話,没有性格的話。以這種話拼湊成的話劇大概是“話鋸” ―― 話是由干木頭上鋸下来的,而后用以鋸聴衆的耳朶!聴衆是聡明而和善的,在聴到我由工地上借来的話語便軽声地説:老舍有両下子,准到工地去過両三次!是的,正因為是借来的語言,我們才越愛売弄它們,結果呢,我們的作品就肉少而香菜、胡椒等等很多。
・拼湊 pin1cou4 こまごまとしたものを寄せ集める。
・両下子 liang3xia4zi ちょっとした腕前。[用例]你真有~!(君はなかなかやるね!)
・売弄 mai4nong 自分の腕前をひけらかす。よくない意味(貶義)に用いる。[用例]~小聡明(こざかしく振舞う)。~学問(学問をひけらかす)。
□ 彼らの話は単なる話で、生命感のある話でもなければ、性格に根ざした話でもありません。こうした話を寄せ集めて作った芝居(=“話劇”hua4ju4)はおおかた、発音は同じhua4ju4でも“話鋸”(“鋸”はのこぎり)―― 話は中が空洞の丸太から切り出したもので、後でこののこぎりで聴衆の耳を切ってしまうでしょう!聴衆は賢くて優しいので、私が工事現場から借りてきた話を聞くと、ひそひそとこう言うでしょう:老舎はなかなかやるね、きっと工事現場に二三回は行っているよ!そうです、正に借りてきた言葉であるので、私たちは益々それらをひけらかしたくなります。その結果、私たちの作品は肉が少なくて香菜や胡椒などばかりが多くなります。
■ 孤立地去搜集語言分明是不大妥当的。這様得到的語言里,不可避免地包含着一些雑質,若不加以提煉,一定有害于語言的純潔。文字的口語化不等于怎麼聴来的就怎麼使,用不着再加工。
・提煉 ti2lian4 化学や物理的な方法で、化合物や混合物から抽出する、取り出すことが原義。比喩的にも用いる。
□ 単独に言葉の収集だけを行うのは、明らかにあまり適切ではありません。このようにして得た言葉の中には、いくらか不純物が混じるのを避けることはできません。もし精練を加えてやらなかったら、必ず言葉の純潔さを損なうでしょう。文章の口語化とは、耳に聞こえたものをそのまま使うことではなく、使えないところは再加工してやるのです。
■ 対話不能性格化,人物便変成劇作者的広播員。蕭伯納就是突出的一例。
・広播員 guang3bo1 yuan2 ここでいう“広播”はテレビやラジオの通信ではなく、戦時などでの情報伝達の意味。
・蕭伯納 xiao1 bo2na4 バーナード・ショー(George Bernard Shaw 1856-1950)。アイルランド出身の劇作家。
□ 対話を性格化できなかったら、人物は劇作家のメッセンジャーになってしまいます。バーナード・ショーはその突出した例です。
■ 那麼,蕭伯納為什麼還成為一代名家呢?這使我們更看清楚語言的重要性。以我個人来説,我是喜愛有人物、有性格化語言的劇作的。雖然如此,我可也無法否認蕭伯納的語言的魅力。不錯,他的人物似乎是他的化身,都替他傳播他的見解。可是,毎個人物口中都是那麼喜怒笑罵皆成文章,就使我無法不因佩服蕭伯納而也承認他的化身的存在了。不管我們賛成他的意見与否,我們几乎無法否認他的才華。我們不一定看重他的哲理,但是不能不佩服他的説法。一般地説来,我們的戯劇中的語言似乎有些平庸,倣佛不敢露出我們的才華。我們的語言往往既少含蓄,又無鋒芒。
・名家 ming2jia1 著名人。名人。
・才華 cai2hua2 才気。すぐれた才能。文芸面について言うことが多い。
・哲理 zhe2li3 哲理。宇宙と人生に関する奥深い道理。
・平庸 ping2yong1 平凡である。ありきたりである。
・鋒芒 feng1mang2 矛先。そこから転じ、表面に現れた才能。
□ それでは、バーナード・ショーはどうしてそれでも一代の名家に成り得たのでしょうか。このことは私たちに言葉の重要性をよりはっきりと理解させます。私個人について言えば、人物がいて、性格化した言葉のある芝居が好きです。そうではあるけれども、私はまたバーナード・ショーの言葉の魅力を否定することはできません。そう、彼の劇の登場人物は彼の化身であり、彼に代わって彼の見解を伝達しているのです。しかし、一人一人の人物の口から発せられるあの喜び、怒り、嘲り、罵りが皆文章にされると、バーナード・ショーに敬服しているからではないけれども、彼の化身の存在は認めざるを得なくなります。私たちは彼の意見に賛成にしろ、そうでないにしろ、彼のすぐれた才能は認めざるをえません。私たちは必ずしも彼の哲理を重く見ませんが、彼の言い方には敬服せざるを得ません。一般的に言って、私たちの芝居の中での言葉は、ややありきたりであるきらいがあり、あたかも自分たちの才能を表に出す勇気がないように見えます。私たちの言葉はしばしば含蓄が少ないだけでなく、才能の片鱗も見ることができません。
■ 為什麼少含蓄呢?据我看,也許有両個原因吧:第一,我們不用写詩的態度来写劇本的対話。莎士比亜是善于塑造人物的。可是,他写的是詩。他的確使人物按照自己的性格去説話,可是那些詩的対話総是莎士比亜写出来的。在日常生活中,那些人物并不出口成章,一天到晩老吟詩。莎士比亜是依据人物的性格,使他們説出提煉過的語言,嘔尽心血的詩句。
・一天到晩 yi1tian1 dao4wan3 朝から晩まで、一日中。
・嘔尽心血 ou3jin4 xin1xue4 心血を注ぎ尽くす。
□ どうして含蓄が少ないのでしょうか。私の見方によれば、おそらく二つの原因があります。第一は、私たちは詩を書く態度で芝居の台詞を書いていません。シェークスピアは人物を形作るのに長けています。しかし、彼が書くのは詩です。彼は確かに人物にその性格に基づき話をさせていますが、それらの詩的な台詞は常にシェークスピアが書いたものです。日常生活の中で、それらの人物は決して自分の言ったことを台詞にしているのではなく、朝から晩までずっと詩を吟じています。シェークスピアは、人物の性格に基づき、彼らに選び抜いた言葉、心血を注いだ詩の文句を語らせています。
■ 直到今天,英国人写文章、説話,還常常引用莎士比亜的名言妙語。我們写出不少的相当好的劇本,可惜没有留下多少足以傳誦的名句。我們不必勉強去写詩劇(当然,試一試也没有什麼坏処),可是応以写詩的態度去写対話。我們的劇本往往是結結実実,而看起来缺少些空霊之感,叫人覚得好象是逛了北海公园,而没有看見那矗立晴空的白塔。這与劇情、導演、演員都有関係,可是語言缺乏詩意恐怕也是原因之一。
・妙語 miao4yu3 機知に富んだ言葉。警句。
・傳誦 chuan2song4 語り伝える
・結実 jie1shi しっかりしている。
・空霊 kong1ling2 変化に富んでとらえがたいこと。
・北海公園 bei3hai3 gong1yuan2 北京市内、中南海の北に位置する湖の北海を中心とする公園で、嘗ては清朝皇室の御苑であった。湖に浮かぶ瓊華島qiong2hua2 dao3にある白塔は1651年に建てられたもの。
・矗立 chu4li4 そびえ立つ。
・晴空 qing2kong1 晴れた空
□ 今日に至るまで、英国人は文章を書いたり、話をする時、しばしばシェークスピアの名言、警句を引用します。私たちはたくさんの素晴らしい芝居を書いてきましたが、残念ながら、語り伝えるに足る名文句を少しも残してきませんでした。無理をして詩劇を書く必要はありませんが(もちろん、試しに書いてみても何も悪いことはありません)、詩を書く態度で台詞を書くべきです。私たちの芝居の脚本は通常しっかりしてはいますが、見たところ変化に乏しい感じがし、見る者に、あたかも北海公園を遊覧して、晴れた空にそびえ立つ白塔が見えないような感じを持たせます。これは劇のストーリー、監督、俳優の何れもが関係しますが、言葉に詩の味わいが欠けているのも恐らく原因の一つでしょう。
■ 帯有詩意的語言能够gou4給聴衆以弦外之音,好象給舞台上留出一些空隙,耐人尋味。戯曲中的開打,若始終打的風雨不透,而没有美妙的亮相儿,便見不出武松或穆桂英的気概与風度。亮相儿時演員立定不動。這個静止給舞台上一些空隙,使聴衆更深刻地看到英雄形象。我想,話劇対話在一定的時候能够gou4提出驚人的詞句,也会発生亮相儿的效果,使聴衆深思默慮,想到些舞台以外的東西。我管這個叫“空霊”,不知妥当与否。
・弦外之音 xian2wai zhi1 yin1 [成語]言外の意味。話の含み。
・耐人尋味 nai4ren2 xun2wei4 [成語]意味深長である。味わい深い。
・開打 kai1da3 芝居での立ち回り。殺陣(たて)。
・風雨 feng1yu3 危険や困難。試練。
・透 tou4 はっきりする
・亮相 liang4xiang4 役者が見栄を切る。
・風度 feng1du4 風格。
・穆桂英 mu4 gui4ying1 戯曲、小説の《楊家将》中の人物。北宋時代。女性であるが武芸に秀で、当時、西の辺境を騒がせた西夏に遠征するなど、数々の武功を上げた。
・立定 li4ding4 姿勢を決めて動かないこと。[参考]~跳遠(立ち幅跳び。助走無しに立ったまま幅跳びをすること)
・深思默慮 shen1si1 mo4lv4 深く黙って考えをめぐらす。“深思熟慮”(深く十分に考えをめぐらす)という成語をもじったもの。
・管 guan3 [介詞]……を。“管……叫……”の形で、「……を……と呼ぶ」という意味に用いる。
□ 詩の味わいを帯びた言葉は、聴衆に言外の意味を与えることができ、あたかも舞台にまだ余韻が残っていて、たいへん味わい深い感じがします。芝居の立ち回りで、終始、与えられた試練がはっきりせず、役者が素晴らしい見栄を切らないと、武松や穆桂英の気概や風格を見ることができません。見栄を切る時、役者はポーズを決めたら動きません。この静止が舞台に一種の余韻を与え、聴衆により深く英雄のイメージを見せるのです。私の考えでは、話劇の台詞でも、ある段階で人を驚かす文句を提出することができれば、見栄を切るのと同じ効果を出すことができ、聴衆に深い感慨を持たせ、舞台以外のものを想像させることができます。私はこれを“空霊”(変化に富んで、とらえがたいこと)と呼んでいますが、どうでしょう、適当でしょうか。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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この講演はおそらく1960年代の前半に行われたものと思います。これを読んでいて感じることは、老舎が当時の、文革初期の文学界、演劇界の、思想ばかり追い求め、質の低下を良しとする風潮に対する警鐘が込められているような気がします。
特に、当時の演劇界を支配していた人物(お分かりですね?)を批判する意味が含まれているのではないかと思います。 こうした発言が、その後、文革期の老舎への迫害につながり、最後は自殺せざるを得なくなったのでしょうか。
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■ 明白了作文要前呼后応,脉絡相通,才不厭修改,不怕刪減。狠心地修改、刪減,正是為叫部分服従全体。假若有那麼一句,単独地看起来非常精美,而対全段并没有什麼好処,我們就該刪掉它,切莫心疼。我自己是有這個狠心的。倒是有時候因朋友的勧阻,而耳軟起来,把刪去的又添上,費不少的事叫上下貫串,結果還是不大妥当。与其這様,還不如干脆刪去!
・刪減 shan1jian3 削減する
・狠心 hen3xin1 思い切って。心を鬼にして。
・切莫 qie4mo4 くれぐれも……してはいけない。
・倒是 dao4shi [副詞]人の態度に不満を感じた時のじれったさや、問い詰める気持ちを表す。いったい……ではないか?
・勧阻 quan4zu3 忠告してやめさせる。制止する。
・耳軟 er3ruan3 他人の言うことを信じる。“耳軟心活”という成語があり、「他人の言葉を軽々しく信じて、定見がない」という意味。
・費事 fei4shi4 手間がかかる。手間をかける。
□ 文を作る時に、前後が呼応し、脈絡が互いに通じていないといけないことが分かると、修正が厭でなくなり、文を削るのを恐れなくなります。心を鬼にして修正し削除することは、正に部分を全体に服従させる為なのです。もしある文句が、単独で見るとたいへん美しくても、その段落全体で見ると何らメリットが無いなら、私たちはそれを削除しなければならず、くれぐれもそのことを気に病んではなりません。私自身はそうした思い切りを持っています。いったい、時に友人の忠告を受け、それを素直に信じて、削ったものをまた付け足して、時間をかけて前後のつながりをもたせたところで、結果としてやはり不適切なのです。こんなことをするくらいなら、きっぱり削除してしまった方がましです。
■ 我并非在這里推銷旧体詩、鼓詞,或相声。我是想説明一個問題:語言練習不専仗着写劇本或某一種文体,而是需要全面学習。在写戯写小説之外,還須練基本功,詩詞歌賦都拿得起来。郭老、田漢老的散文好,詩歌好,所以戯劇台詞也好。他們的基本功結実,所以在語言文字上無往不利。相反的,某劇作家或小説家,既富生活経験,又有創作天才,可是缺乏語言的基本功,他的作品便只能在内容上充実,而在表達上缺少文藝性,不能情文并茂,使人愛不釈手。代秀的文学作品必須是内容既充実,語言又精美,缺一不可。缺乏基本功的,理応設法補課。
・基本功 ji1ben3gong1 基本的な技能。ある種の仕事に従事するのに必ず修得しなければならない基本的な知識と技能。
・拿得起来 na2de qi3lai2 原意は持ち上げることができる。そこから転じて、担当することができる。……ができる。
・無往不利 wu2wang3 bu4li4 [成語]どこでもうまくいく。順調にいかないところはない。
・情文并茂 qing2wen2 bing4mao4 [成語]文章の中身、スタイル、レトリック(修辞表現)が共に素晴らしいこと。
・愛不釈手 ai4 bu4 shi4shou3 [成語]大切にしていて、手放すに忍びない。愛読書や愛玩する品物について言う。
・理応 li3ying1 当然……すべきである。
□ 私は別にここで旧体詩や鼓詞、或いは相声のセールスをしているのではありません。私は一つの問題を説明したいのです。それは、言葉の練習は専ら芝居の脚本やある種の文体を書くことに頼っているのではなく、全面的な学習が必要だということです。芝居を書いたり小説を書く以外に、基本的な技能を学ばねばならず、詩、詞、歌、賦が皆できなければなりません。郭(沫若)老や田漢老は散文も上手いし、詩歌も上手いので、芝居の台詞も素晴らしい。彼らの基本技能はしっかりしているので、言葉や文字の上では何をやっても素晴らしい。その反対に、ある劇作家や小説家は、生活経験が豊富で、創作の才能もあるのですが、言葉の基本技能が欠けているので、その作品は内容の上では充実していても、表現上の文芸性が欠けていて、「文章の中身も表現も素晴らしくて、手放すに忍びない」と思わせるものがありません。優秀な文学作品は、内容が充実しているだけでなく、言葉も美しくなければならず、どちらが一方欠けてもいけません。基本技能が欠けているなら、当然それを補う勉強をするべきです。
■ 説到這里,我必須鄭重声明:我不提倡専考究語言,而允許言之無物。
・鄭重 zheng4zhong4 厳かに。厳粛に。真面目に。
・考究 kao3jiu1 研究する
・言之無物 yan2zhi1 wu2wu4 [成語]文章や言葉の中身が空っぽであること。
□ ここまでお話しして、私は厳粛にこう声明を出さねばなりません。私は専ら言語を研究するよう提唱するものではないが、言葉の中身が空っぽであるのを認めると。
■ 我們須従両方面来看問題:一方面是,近几年来,我們似乎有些不大重視文学語言的偏向,力求思想正確,而默認語言可以差不多就行。這不大妥当。高深的思想与精辟的語言応当是互為表里,相得益彰的。假若我們把関漢卿与曹雪芹的語言都扔掉,我們還怎麼去了解他們呢?在文学作品里,思想内容与語言是血之与肉,分割不開的。没有高度的語言藝術,表達不出高深的思想。
・精辟 jing1pi4 見識や理論が深く、透徹している。
・互為表里 hu4 wei2 biao3li3 互いに補完する。“表里”は表と裏。“表里不一”(言行と考えが一致しない)という言い方をする。
・相得益彰 xiang1de2 yi4zhang1 [成語]互いに補完し合うことで、結果がいっそう良くなる、より大きな効果が得られること。
・関漢卿 guan1 han4qing1 元代の劇作家であり、古代の代表的な戯曲作家。「元曲四大家」の筆頭。先出の現代の劇作家、田漢がちょうど1958年初演で話劇《関漢卿》を発表したところであったので、この名が出たものと思う。
・曹雪芹 cao2 xue3qin2 清代の小説家で、現代の白話文学に大きな影響を与えた《紅楼夢》の作者。
□ 私たちは両面から問題を見なければなりません。一面では、ここ数年、私たちは文学で使う言葉をあまり重視しない傾向があるようで、思想の正確さを追い求め、言葉はそこそこであれば良いと黙認しています。これはあまり適切ではありません。高邁な思想と秀逸な言葉は、互いに補完し合い、そこから、より大きな効果が得られるものです。もし私たちが関漢卿や曹雪芹の言葉を捨て去ったら、私たちはどうやって彼らを理解するのでしょうか。文学作品の中で、思想内容と言葉は血の肉との関わりで、切り離すことはできません。高度な言語芸術が無ければ、高邁な思想は表現できないのです。
■ 在另一方面,過于偏重語言,以至専以語言支持作品,也是不対的。我自己就往往犯這個毛病,特別是在写喜劇的時候。這是因為我的生活経験貧乏,不能不求救于語言,而作品勢必軽飄飄的,有時候不過是游戯文章而已。不錯,写写游戯文章,乃至于編写灯謎与詩鐘,也是一種語言練習;不過,把喜劇的分量減軽到只有筆墨,全無内容,便是個很大的偏差。我応当在新的生活方面去補課。軽視語言,正如軽視思想内容,都是不対的。
・勢必 shi4bi4 [副詞]いきおい……するにちがいない。きっと……となるにきまっている。
・軽飄飄 qing1piao1piao1 ふわりと浮き漂うさま。(動作が)軽やかで素早いさま。
・灯謎 deng1mi2 元宵節に、飾り提灯になぞなぞを書いたものを吊り下げておき、答えを当てさせる遊び。
・詩鐘 shi1zhong1 昔、文人が集まり題を決めて詩を作るのに、銅銭を紐で吊るし、下に銅の盆を置き、線香で紐を炙って、紐が切れて銅銭が盆に落ちて音が鳴るまでの間に書きあげて、それで出来た詩の優劣をつける遊び。
・筆墨 bi3mo4 文字や文章。[用例]我們的激動心情難以用~来形容。(私たちの感激は筆舌に尽くしがたい)把無関緊要的話刪去,不要浪費~。(文が冗長にならないよう、よけいな文句は削ったらいい)
・偏差 pian1cha1 誤差、ずれの意味から派生し、過ち、まちがいの意味にも使う。
□ もう一つの面では、言葉に偏重し過ぎて、専ら言葉で作品を支えるのも、正しくありません。私自身もしばしばこの過ちを犯します。特に喜劇を書く時に。これは私の生活の経験が乏しいがために、言葉に助けを求めざるを得なく、そうすると作品はいきおい、軽やかに舞うようになりますが、時にこれは言葉の遊びに過ぎなくなります。そう、言葉遊びの文を書いたり、“灯謎”や“詩鐘”を本にまとめるのも、一種の言葉の練習です。けれども、喜劇の分量が削られていき、文字や文だけになってしまい、全く中身が無くなってしまうのは、たいへん大きな過ちです。私は新しい生活の中で勉強し直さないといけません。言葉を軽視するのは、正に思想の内容を軽視するようなもので、どちらも間違っています。
■ 這様交代清楚,我才敢往下説,而不至于心中老藏着個小鬼了。
・交代 jiao1dai4 説明する。釈明する。
・不至于 bu4zhi4yu2 ……までには至らない。……するようなことなない。
・心中藏着個小鬼 “鬼”は悪巧みやうしろめたいこと、の意味。[例]心里有鬼(心中やましいところがある)。
□ このようにはっきり説明してはじめて、私は続きを話すことができますし、心の中にいつもうしろめたさを持っているということがなくなります。
■ 我没有写出過出色的小説,但是我写過小説。這対于我創造(請原諒我的言過其実!)戯劇中的人物大有幇助。従写小説的経験中,我得到両条有用的辧法:第一是作者的眼睛要老盯ding1住書中人物,不因事而忘了人;事無大小,都是為人物服務的。第二是到了適当的地方必須叫人物開口説話;対話是人物性格最有力的説明書。
・言過其実 yan2 guo4 qi2shi2 [成語]話が誇大で、実際とかけ離れている。大げさに言う。
・盯 ding1 見つめる。凝視する。
□ 私は素晴らしい小説を書いたことはありませんが、小説は書いたことがあります。このことは、私が芝居の中の人物を創造する(言葉が大げさになるのを許してください)上で、大きな助けになりました。小説を書いた経験から、私は二つの役に立つ方法を習得しました。第一に、作者の眼はいつも話の中の人物を見つめていなければならず、何かの出来事のせいで人のことを忘れてはなりません。事の大小にかかわらず、全てが人物のためにあるのです。第二に、適当なところに来たら、人物に口を開いて話をさせなければなりません。対話は、人物の性格の最も有力な説明書です。
■ 我把這両条辧法運用到劇本写作中来。当然,小説与劇本有不同之処:在小説中,介紹人物較比方便,可以従服装、面貌、職業、階級各方面描写。戯劇無此方便。假若小説中人物可以逐漸渲染烘托,戯劇中的人物就一出来已経打扮停妥,五官俱全,用不着再介紹。我們的任務是要看住他。這一点却与写小説相同,従始至終,不許人物離開我們的眼睛,包括着他不在台上的時候。能够gou4緊緊地盯ding1住人物,我們便不会受情節的引誘,而忘了主持情節的人。故事重情節,小説与戯劇既要故事,更重人物。
・渲染 xuan4ran3 大げさに表現する。誇張する。“渲”、“渲染”というのは、本来は中国画の輪郭をぼかす表現技法のことをいう。
・烘托 hong1tuo1 際立たせる。引き立たせる。これも本来の意味は中国画の画法で、水墨や淡い色彩で輪郭の外側を塗りつけ、画像を引き立たせること。
・停妥 ting2tuo1 処理や処置がうまくいく。手落ちなく片付く。[用例]料理~(万事遺漏なく処置する)
・五官 wu3guan1 目、耳、鼻、口、皮膚の五官。或いは、目鼻立ちや顔立ちのこと。
・情節 qing2jie2 小説や芝居の筋、プロット。
・引誘 yin3you4 誘惑。
□ 私はこの二つの方法を芝居の脚本を書くのに使っています。もちろん、小説と芝居には異なったところがあります。小説では、人物を紹介するのがわりと便利で、服装、容貌、職業、階級などから描写することができます。芝居はこんなに便利ではありません。小説の中の人物であれば、次第に誇張し際立たせることができるのに対し、芝居の中の人物は、登場するやその身なりはうまく処置され、その姿は完璧で、改めて紹介する必要もありません。私たちの仕事はその人物を見つめることなのです。この点についてはしかし小説を書く場合も同じで、始めから終わりまで、人物が私たちの視覚から離れることは許されず、それはその人物が舞台にいない時も含まれます。人物をしっかり見つめていることができれば、私たちは話の筋の誘惑を受けることなく、話の筋をつかさどる人のことを忘れることができます。物語は話の筋を重んじますが、小説や芝居では物語性が必要なだけでなく、人物がより重要なのです。
■ 前面提到,在小説中,応在適当的時机利用対話,掲示人物性格。這是作者一辺叙述,一辺加上人物的対話,双管斉下,容易叫好。劇本通体是対話,没有作者插口的地方。這就比写小説多些困難了。假若小説家須老盯ding1住人物,使人物的性格越来越鮮明,劇作者則須在人物頭一次開口,便顕出他的性格来。這很不容易。劇作者必須知道他的人物的全部生活,才能三言五語便使人物站立起来,聞其声,知其人。不錯,小説家在動筆之前也頂好是已知人物的全貌,但是,既是小説,作者総可以従容叙述,前面没写足,后面可再補充。戯劇的既較短,而且要在短短的表演時間内看出人物的発展,故不能不在人物一露面便性格鮮明,以便給他留有発展的余地。假若一個人物出現了好大半天還没有確定不移的性格,他可怎麼発展変化呢?有的人物須隠藏起真面貌,説假話。這很不易写。我們似乎応当適時地給他机会,叫他説出廬山真面目来,否則很容易始終被情節所駆使,而看不清他是何許人也。在以情節見勝的劇本里,往往有此毛病。
・双管斉下 shuang1guan3 qi2xia4 [成語]絵を描く時に2本の絵筆を同時に使うことから転じて、両方から同時に同じ作業を進めること。ある目的に達するために二つの面から同時に活動を進めること。
・三言五語 “三言両語”と同じ。二言三言、わずかな言葉という意味。
・頂好 ding3hao3 ……がいちばんである。……に越したことはない。副詞として文頭に用い、話し手が最良と考える選択、或いは最も望ましいと考えることを表す。
・従容 cong2rong2 落ち着き払って。ゆったりと。
・篇幅 pian1fu 書籍などのページ数。枚数。文章の長さ。
・廬山真面目 lu2shan1 zhen1 mian4mu4 [成語]複雑な事物の真相。“廬山真面”とも言う。[出典]宋・蘇軾《題西林壁》の詩:横看成嶺側成峰,遠近高低各不同。“不識廬山真面目,只縁身在此山中。”(廬山の本当の姿が分からないのは、自分がその山の中にいるからだ)より。
・駆使 qu1shi3 駆り立てる。
・何許 he2xu3 どこ。いずこ。/~人(どこの人、どういう人)
□ 前に言いましたように、小説では、適当なタイミングで対話を利用し、人物の性格を示さねばなりません。これは作者が叙述をしながら、人物の対話を加えるわけで、同時に事が進められるので、容易にうまくやることができます。芝居は全体が対話ですから、作者が口をはさむ場所がありません。このことは小説を書くのに比べずっと困難です。小説家が人物をずっと見つめていれば、人物の性格はますます鮮明になっていきますが、劇作家は人物が最初に口を開くや、その人物の性格を顕わさなければなりません。これはたいへん困難なことです。劇作家はその人物の生活の全てを知っていなければならず、そうしてはじめて、わずかな言葉で人物を立ち上げ、その声を聞けば、それが誰であるか分かるようになります。そう、小説家はペンを走らせる前に、既にその人物の全貌を知っているに越したことがありませんが、小説であれば、作者は常にゆったりと叙述し、前で言い足りなかったことは、後でまた付け足すことができます。芝居の文章は比較的短く、しかも短い上演時間内に人物の成長が見てとれなければなりませんから、人物が登場するや、その性格を鮮明にせざるを得ず、それによってその人物が成長する余地を残してやらねばなりません。もし一人の人物が登場してからしばらくしても、性格がはっきりしなかったら、この人物はどうやって成長、変化していくのでしょうか。ある人物は本当の姿を隠す必要があり、嘘を言います。これはたいへん書き辛い。私たちはおそらく、適当なタイミングで彼に機会を与えてやり、彼に事の真相を語らせねばならないでしょう。さもなければ、始めから終わりまで話の筋に駆り立てられて、彼がいったいどんな人物なのか分からぬままで終わりがちです。話の筋が勝った芝居では、しばしばこうした欠点が見られます。
【出典】老舎《出口成章》上海・復旦大学出版社 2004年7月
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