佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

渡船場/続き(大阪市のマップより) 

2009-06-28 17:29:05 | 日々の思い
先に書きました渡船場の他にしばらくあったところを紹介。

9.平田の渡し跡について
昭和45年3月に豊里大橋ができるまでありましたが、この橋の完成により300年の歴史を閉じた。今も豊里大橋南詰西側堤防上に碑があるとのこと。

10.源八渡し跡
昭和11年6月に源八橋の架橋によりその名だけが残された。場所は桜ノ宮の駅側と天満橋側を渡していた。元禄末(1700年)頃すでに存在していた記録が残る。両岸の堤は桜の名所で大変にぎわったという。

11.川崎渡し跡
昭和20年の戦火によって破壊されるまで続いた。その後、昭和53年に川崎橋が完成した。

天満橋の近くで、ここはもと天満の川崎とよばれ対岸備前島に向かう渡しがあった。その川崎には、幕府の材木蔵や城代、町奉行の役人宅、諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいた。都島区網島町、地下鉄天満橋北徒歩10分、「川崎橋」の碑がある。

11.難波島渡し跡
難波島は木津川と三軒家川に挟まれた島であったが、当時の渡しはこの難波島と対岸の月正島を結んでいた。昭和57年まで運航されていた。

13.富島渡し跡
木津川の大正区側と西成区側を結んでいた、福島区野田と中央市場のそばにその「しるべ」がある。昭和6年11月に中央卸売市場ができてからは、仕入れに通う商人の専用渡しの感があったという。昭和57年にその幕を閉じた。

14.野里の渡し跡
淀川改修以前の中津川はこの付近を流れ、野里住吉商店街がその右岸堤防上にたっていた。対岸と結ぶためにこの渡しが置かれ、尼崎方面への街道の一部になっていた。野里住吉神社境内に碑がある。中津川は新淀川の通水によって明治39年ごろに埋め立てられたとのこと。

以上、大阪市建設局渡船事務所発行の「渡船場マップ」より、皆さんに大阪市にこんなところがあるのですよとお知らせです。

現在運航しているところの詳細も書いていきますので、興味があれば一度乗ってみてください。

明日は午前9時30分より大阪湾釣り禁止の件での会議に傍聴者として行きますが、今回は釣人側からの意見も言わせてもらえるとのことなので、大阪府釣り団体協議会からの意見として、私と倉田氏が話す予定です。
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