1月17日という日にまた1つ忘れられない日が増えました、阪神大震災
から17年がたちもう忘れたいと思う人が多いのに戦後最大の惨事となった、東日本大震災からも1年が経ちました。
神戸も17年が過ぎ立ち直ってきたかに見えますがまだあちこちに震災の影響による空き地が見られます。
昨年も書かせていただいたのですが、災害は忘れた頃にやってくる、そのために色々とやってる積りなのですがやはり忘れている。
災害にあったときのために持ち出す最低のものを、我が家でも身近な所に置いたリュックサックに、少しの現金とカンパンに常備薬、水、懐中電池、ラジオ
等を入れていますが、実際に起きたときに持ち出せるのだろうか?と言う疑問
あの阪神大震災のときにはお金も持たずに表に飛び出して公園で震えていたら、
そばにいた学生さんがカンコーヒーを買って私たちにくれた、ありがたかった今もこの人の名前も聞かなかった事を悔やんでいますが、本当に嬉しかった。
中々できないことだと思います、会うことが無い人ですが地震があるたびに思い出します、今度は自分がその様にやりたいと思います。
皆さんもくれぐれもこの様な目に合わないように頭に入れて置いて下さい。
そして自分で対策を考えておく事です。
この大阪の地区にも何十年かには大地震が来るように言われています、私達はその時はもうこの世にはいないでしょうけど、先の話ですがわからない、明日来るかもしれないのですから。
私も建築屋のはしくれです、いままでに建てた建物が地震でも出来るだけがんばって立っていてほしいとの願いからいつも基礎と躯体にはお金をかけて、内装は気に入らんかったら後からまた直せるからといっています。
神戸の親友の家も、近所がバタバタと倒れたのに、そのお陰で持ちこたえました、皆さんも家を建てるときは目先にとらわれず、見えないところにお金をかけるのは嫌でも、それが安心を買うということになりますので、構造を主に考えて造って下さい。
この阪神大震災のときに、大阪にもすぐに水やカセットコンロがなくなりました、私も買出しに走ったのですが手遅れで天理の事務所に頼んで水とカセットを買っておいてもらい車で取りに行き、大阪からはバイクに乗せ替えて何度かに分けて運びました、そして親友の家の近所の方々に配ってもらいました。
それから10年ほど経ち、友人の家に行った時に、震災のときにもって行ってあげた、目覚まし付きのラジオを、今もあるんだよと見せられたときは嬉しかった、大事に10年から使ってくれていたのでした。
時間が経つと人は、「のど下過ぎれば熱さ忘れる」といわれるように、すぐに忘れてしまうものですがこの様に大事にしていたんだよといわれたら本当に、してあげて、よかったナーと思います。
いただいた方もその気持ちが大事なんでしょうが、もらうのが当たり前のように感じるようになったら、終わりでしょう。
人は1人では生きていけないお互い助け合っていきましょう。