佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

友人との別れ

2013-04-16 20:22:45 | 日々の思い

30年来の友人であり釣り仲間であった、中谷清治氏が先週亡くなられた。

豊中の服部地の近くで「吉野」という活魚を扱った料理店をやられていたが、彼の3階建ての

自宅も設計させてもらった。

 

先週兄の病院にいるときに久しぶりに携帯に彼の名前で電話が入った、「おっ!ひさしぶりやな」

しばらく電話もしていなかったが、げんきかなと、電話に出ると、奥さんの声

その瞬間悪い予感がした、久しぶりの電話に奥さんの声とは何かあったなと思った。

 

彼の店はあのバブルが破裂した時でもお客さんは切れてなかったというぐらいに流行っていたが

おかしいなという悪い予感が当たり、彼が今朝なくなく亡くなったという、「どうして?」なにもきいてなかったから、聞くと、昨年の11月に発病というか、ガンが心臓の後ろにみつかったという

しかし、その時にはもう手遅れだったとの話、その後誰にも言うなという本人の希望でしらせなかったという。

聞くと一切病院の検診も好きでないからと言ってなかったとのこと、残念なことです、いくら達者といっても健診ぐらいはいかなあきません、みなさんも1年に2^3回ぐらいは検診に行ってくださいよ、家族のため自分のためです。

私の女房も彼と同じで心臓の後ろにガンが発生していた、ここは見つけにくいところだそうですが、たまたま担当医と違う先生がレントゲンをみて見つけてくれた、そのおかげで現在も病院に、出たり入ったりの9年にもなりますが・・・

 

彼とは若い時によく遠征しました、八丈島でのヒラマサ釣り、種子島の尾長グレ釣りに、

紀東のオリトでのヒラマサ釣り等は釣り人200人ぐらいの中で、10本ほど上がったヒラマサ、その中に2人が1匹ずつ釣ったので鼻高々で大台ケ原を超えて帰ったことも、よく楽しみました。

 

また、彼の家を建てるときはに、紹介を受けた工務店が地鎮祭を行い、手付金を500万もらった後で

倒産して大変困ったが、その時にも彼は大物でした、佐藤さん残りの予算で、なんとかなるやろか

と相談されて、その下請けと交渉してくれませんか、足りない分は何とかするからとの話で、建物を変更もせずに完成させました。

 

今思えば先週の初めに彼の家の近くまで行っていたのに、残念なことでした。

彼の冥福を祈るのみです。

 

コメント
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