雑魚場庵の水槽がこんなに増えてしまったのは
魚にも相性があって昆泳で仲良く泳ぐ野もあれば、闘争心の強い魚は
よく喧嘩をするために活動力の弱い魚は追いやられて、魚病にもなりやすく
エサも行き渡らずにストレスもふえて長生きしません。
したがって単体での水槽使用がふえてくるのです。(10魚10色)
以下は島田さんの惚気文
「夫婦路(ミヨウトミチ)好いて好かれて四十五路(ヨソゴジ)へ」
(ミヨウというのは妙子、奥さんのこと)だそうです。
雑魚場庵の水槽がこんなに増えてしまったのは
魚にも相性があって昆泳で仲良く泳ぐ野もあれば、闘争心の強い魚は
よく喧嘩をするために活動力の弱い魚は追いやられて、魚病にもなりやすく
エサも行き渡らずにストレスもふえて長生きしません。
したがって単体での水槽使用がふえてくるのです。(10魚10色)
以下は島田さんの惚気文
「夫婦路(ミヨウトミチ)好いて好かれて四十五路(ヨソゴジ)へ」
(ミヨウというのは妙子、奥さんのこと)だそうです。
鮎のエサについては都会では水性昆虫等は入手しがたいので、ペレット状等の飼料でいかに対応
できるようにするかが課題です。
このアユの場合、同時に持ち帰ってきた、「アブラハヤ」数引と一緒に入れていて、この「アブラハヤ」
に、冷凍赤虫を解凍させて与えていたところ、数日してアユも食べているのを見つけました。
「アブラハヤ」を別に移し、それ以後冷凍と乾燥の赤虫で解決しこんなに長く(15ヶ月と23日)
飼育できたのです、これは、幼少期の食習性を利用できたのではないかと考えています。
幼魚「小鮎」について
毎年4,5月ころ、毛馬の閘門へ(小アユ)釣りに出かけています。
安治川から堂島川、大川へと遡上し、(都会のど真ん中の川も随分きれいになってきました)毛馬の
閘門に集まっているのでしょう。
盛期には釣り人がずらりと並び多い人は100匹以上という釣果をあげ「天ぷらにしたら旨いよ」との事
私は15匹ほど生かして持ち帰り飼育します。
釣る時に、最も注意するのは、小鮎は虚弱ですから、まず手を水でぬらし(乾いていたらダメ)
すばやく針外しをしなければいけません、(人の掌は魚にとっては焼けどしそうなものですから)
そしてもちかえるまではブクブクをかけ、しかも温度が上昇しないように気を使います。
このように神経を使い飼っていてもなかなかうまくいきません、いままでの所4~5ケ月程度にまっています。
成魚、幼魚(小鮎)とも、今シーズンも再挑戦しょうと思っています。
「次回は日本天然ウナギ」の予定。
いってきました「エべッサン」初めて宵エビスに行きました。いつものように木津市場の駐車場に
車を預けて、それから食事をして、福?をもらいにいきました、?
この「エべッサン」の帰りに寄り道するとそこに福をおいてくるといわれてるので、先にご飯を食べました。
神社の正面から入り昨年のを返して、本殿の前に並びました鳥居さんをくぐるのに押し合いの状態
のろのろと進んでは止まりながら正面に来てお賽銭を上げてお祈りしました。
そこから横に出るのも一苦労です、いつものように福娘のところで熊手を買うからおまけしてやといって
ひとつ笊をつけてもらった、これで今年何かすくえるかな?そしていつも道理にドラを叩き、今年1年
また、健康と商売を見守ってやとお願いしました。
大阪の商売の神さんの日は、1月9日が宵エビス、10日が本祭、11日が残り福といってる。
もう何十年通ってきたかな、自分で仕事を始めてからは、一度も欠かしたことはない。
今は亡き女房と寒いなか通いました、すべて、今宮のえべっさんです。
笹にいろいろとつけてもらうのに、おまけをつけてもらうのに、何やかんやといいながら、
楽しんできました、最近はクマデというのにいろいろとつけてもらう、
米俵やお札や吉兆にエトなどを、でもだんだん値段が上がってきてると思う。
残り福を求めて一番最後に遅く行くとよくまけてくれる様に思うが、効き目があるかなー
あまり値切ると効き目がないかも・・・
人波に押されながら、ツンボの神さんということで社務所のうらにある、ドラを手でたたくのですが、
大きな声でよろしゅたのんまっせとたたくのです。
最近はこどもまで同じようにたたいている、何をたのんでいるのかな?
ことしも晩にいってきます、今年は義妹と行きます、彼女のところは商売繁盛でもう頼むことも
いらないと思うが、毎年のことやから行かなくては、何かあると、頼みに行かなかったからかなと
余分なことを考えるから、私のところももう最後の頼みかなと思うけど、長いこと頼んできたから
えべっさんも、もう疲れたやろからな、お賽銭だけは上げにいっておかなくては・・・・
今年のつり始めは和歌山の紀州釣堀から始まりました。
7日の土曜日に、森永氏のお誘いで出かけました。
今回はメンバーが少ないのでということで、参加しました。
メンバーは、三橋、横田、藤村、藤村の友人、新田、佐藤、森永、そして当然の参加者というより
引率者になるのか、今中師匠と今回は少人数です、 不思議やなーと思ったら翌日もあるとのこと
それは運天氏のメンバーが翌日でと別れたためとのこと。
今中師匠からの連絡で早い目に着かなかったら車の置くところが遠くになるでとのこと、
それなら30分ほど人より早く着くということで我が家を午前4時に出て、阿倍野の三橋氏の家に
4時15分につき、横田氏の手塚山には4時30ということにした。
まだ寝床の横田氏を電話で起こし少し時間が早くなったということで出発。
それから約1時間少しで釣堀紀州に到着、やく110キロほどの距離で「じやのひれ」より近い
お天気は快晴に近いようでだんだん温かくなりそうで風もやんでるが、車から降りると早朝なのでさすがにひんやりとする。
寒いであろうと思い切り着込んだらゴロゴロになって動きにくいが、寒いのはかなわんので仕方がないと
自分に言い聞かせて船に乗る、現地に着くと動きがにくいので防寒を脱ぐが寒くないので、安心した。
時間とともに暑くなってきてシャツにチョッキだけでいけるようになった。
8時の開始で私は道具をセットしている間にもう皆さんつり出した、私の横に入った藤村さんが早くも
青物をかけている、エサはダンゴと言う、それからと言うものは皆さん鯛より青物のほうがかけてるのが
多かった、今日の青物はよほどお腹をすかせていたのか、あちこちでアオやアオ屋の声、
年末に余りつれなかったのでその埋め合わせか、藤村氏の独段場でした、青物から真鯛を次から
次ぎえとかけていたが、最後のブリは新田氏の竿に来た、このブリ約10キロ近かったのでは
ないだろうか、彼が持ち上げるのに苦労していた。(写真)
今回9人で青物が12,3本にブリ1本、真鯛が30匹から釣れたようでしたが、こんなにつれたのは
珍しいのではと思ったが、森永氏の言うように二日間の休みで魚が腹をすかせていたのではないのかな
それで1投から青物が食ってきたのではないのかな、ハリスを切ってのが再度食ってきていたのが
2匹もいたから、よほど食い意地が張っていたのであろう、私はメジロ、2本にマダイ4匹でしたが
楽しい1日でした。