佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

4月の気楽会例会-2

2023-04-21 22:22:08 | 日々の思い
当日はどんよりとしたお天気で、時々雨がぱらついたが、大したことも無く釣りは出来たが、あまり釣れたとは言えなかった。

前日に見たときには青物も動いているのが見えたので居残りがいるのだなと思っていたが、いざ始めてみると、アジの大群で、餌が落ちていくのを追いかけてくるのが良く見えた。

私は先日、家島の水宝で試して失敗したので少し勉強して違う仕掛けにしたが思うようにはいかなかったので、仕掛けを作り直してウキ釣りにして浅く浮いてきているサーモン狙いにしたら、うまく喰ってきた。同じ仕掛けで浮いてきているはまちを狙い打ちで1匹仕留めたのに味をしめて、そのままハリスを替えずに抛り込んだら青が食ってきて一発で切られた。
しまったと思ったが後の祭り、直ぐに仕掛けをハリス5号にして再度狙ったらうまく喰ったのですが、こいつが元気でずいぶんてこずってあげることはできた。

皆さんもタイをボチボチと喰わせていた、雨が本格的に降ってくる前に、早々にかたずけた。

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4月の気楽会例会

2023-04-20 09:43:47 | 日々の思い
毎月のじやのひれでの気楽会の例会は3月がメンバーがそろわなかったので中止となりましたが今月は行いました。
会のメンバーとしては10人ほどいますが中々平日には行ってもらえません。
年齢も年齢ですからあとどのくらい続くのか・・・
でも今月は久しぶりに御所名が出てこれるようになり、いつもの4人はいつもの湯に、そこに時々むりをいって参加してもらってる、藤村氏が入り5人となりましたので、貸し切りにも行けました。
いつもの様に、前日の火曜日のお昼に淡路の太公望にて遅い昼ご飯です。
今回は御所名しがじやのひれまでの走行が自信がないとの事で、私の家まで走って来て貰い、僕の所で荷物を積みかえて2人で出かけました、途中で藤村氏の要望のゴカイを芦屋のマックスで買いそこから高速に乗り、淡路のじやのひれまで走りました。
いつも道理の昼ご飯を済ませてから、社長の家に移動して、恒例の麻雀です。
そして晩御飯は今日は三橋氏にかtぅて来てもらった、美味しい肉弁当です、それに社長が今日はシマアジとジヤノヒレサーモンを刺身でご馳走してくれました、シマアジは良く身がしまっていて美味しかったし、サーモンは僕が好きなので沢山よばれたうえに、残りを三橋氏がパックに入れてくれたのを、いただいて帰りました。

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長き/釣り友の歴史24(我が人生の釣遊記)

2023-04-19 18:05:07 | 日々の思い
Episode2 エサの変遷
石鯛のエサなどはあまり初期と変化が少ないように思うが、ヘラブナなどは毎日のように変遷している。それを状況に応じてうまく使い分ける釣り人が名人に近くなる。当然であるがエサは魚との接点であることに古今変わりはない。
グレ釣のエサも色々と変化してきた。一貫してエビやアミエビ類が牽引してきたと思われる。長い間琵琶湖産のエビ(通称コサン)が撒き餌さであり刺しエサであったが、今はほぼ100%がアミエビとオキアミである。撒き餌に使う添加剤は当初米ぬかであったりしたが、マルキュウさんなどがヘラブナのエサからグレ用の添加剤も販売するにしたがって爆発的に一般化した。今でも一部で冬季は本来のグレの食性である海藻を使って大型の口太グレを狙う釣り人がいるが、年中添加剤とアミエビ、刺しエサのオキアミが一般的になっている。本来夏場はフナ虫などを食していたであろうグレが生息環境には存在しないオキアミを喰ってくるのは今でも何だろうと思うことがある。
同じようにチヌのエサも非常に不思議である。本来岸壁や磯などのエビや貝類やカニなどを食していたはずであるが、オキアミを食するのはまだ理解できるとして、比較的昔から使われているサナギや黄色いコーンでよく釣れるのはなかなか理解を超えている。
もっと驚いたのは岸壁の落とし込みをやっている人の刺しエサがプラスティックの貝に黒く着色したものであったり、イミテーションのカニや樹脂製の虫類だったりすることである。
エサはこのように時代と共に変化を遂げている。


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長き/釣り友の歴史24(我が人生の釣遊記)

2023-04-18 09:53:26 | 日々の思い

§7 釣り文化の変遷と未来
Episode1 タックルの変遷
自分自身のタックルを振り返っても分かることがある。
まず釣り竿である。竹の延べ竿から竹の印籠継ぎ、ここまでは大昔からあった。いつの頃からかグラスロッドになりリールガイドが装着できるように進化した。革命的であったと言える。その時代にグレ釣の全盛期が始まったと思う。その後小さな進化はあったが何と言ってもカーボンロッドの登場が大きい。軽くて益々強くなった。道糸の中通しの竿も一時流行したが現在それも殆ど見なくなった。装着が煩わしいのであろう。自分も持っていたがそのように感じてすべて廃棄している。
リールの進歩も著しい。最初はいわゆるタイコリールが主体であった。今でも石鯛釣りや船の沖釣りなどは進化したカウンター付きのタイコリールが主体となっている。
上物用のスピニングリールの高度化も著しい。高価だが軽く強いリールがもてはやされるようになった。釣り人は全体に非力になったのかも知れないし、レバーブレーキ付きのなどの機能だけでなくいいタックルを使っている爽快感を求めているような気がする。
釣り糸の変化も著しかった。道糸もタコ糸からナイロン糸にさらに用途によってPEといわれる細くて強い糸が主流になりつつある。
ハリスについては圧倒的に強いフロロカーボンの登場がグレ釣、特に巨大尾長グレ釣には欠かせないものとなった。口太グレを対象としても竿やリールや道糸、ハリス糸の進歩によって軽く細く強くなってきた。おそらく初期の1/3くらいの細さや重量で対応できていると思われる。
ウキの変化。たかがウキ、されどウキなのである。特にヘラ釣師やグレ釣師にとってこれほど悩ましいものはなく、またこれほど上物釣り師の歴史を語るものはないだろう。そして今もその変化が著しい。釣り文化が特定の地域だけでなくなった時、全国から色んな考え方のウキが目に見えるようになってきた。和歌山ではヘラウキの大型のいわゆる棒ウキが当初の主体であった。恐らくそこに漁師の撒き餌籠釣からヒントを得た釣り人が撒き餌籠を保てるウキ即ち大型の棒ウキが磯の上物釣り師の主流であった時期もある。
しかしながら、撒き餌の種類や手段が変化するに従い、特に撒き餌にアミエビが入ってきたころから、棒ウキではなく主流が玉ウキに変化していったと思う。同時期の頃から新聞社などのグレ釣大会などが行われ、各県などの代表がグレ釣を競うようになっていった。物凄いブームとなったころ、優勝者は棒ウキではなく玉ウキを使っていた。特に徳島では玉ウキ全盛となっていた。釣り人はその玉ウキに色んな工夫を入れて現在主流となっている円錐ウキにたどり着いたと思われる。しかも各地の名人が自分なりの考え方で新しいウキを世に次々と出して行くのでその変化は今も留まることはない。また過去の概念にはあまりなかった水中の潮の流れに合わせるための水中ウキの種類も多々ある。さらにウキそれ自体には浮力を持たせず流れに従って沈ませてゆく釣方も多くの釣り人が行うようになってきた。一方で棒ウキファンは今もあり、釣り人が考え、悩む大変面白いグッズである。
釣りのスタイル服装の変化も著しい。靴も最初は多分草鞋だっただろうと思うし、自分がそうだった。その後磯釣り師の誰もが地下足袋に変わった。今思えば不細工この上ない。その後スパイク付きやフェルト付きなど色々と販売されているが、この進化は今も続いていて安全とファッションの両立を目指しているのであろう。






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とれとれの美味しい晩御飯

2023-04-17 09:46:03 | 日々の思い
昨晩は神戸で富子の手料理のご飯
釣りたての魚と頂いた坊勢サバを使っての美味しいおかずの数々
先ず、坊勢サバ先日持って帰ってすぐに刺身で食べた、美味しかった、高いだけの値打ちはある魚でした。
今日はその煮つけ、魚を食べるのが下手なので宴会の席では、よく今中師匠に取り分けてもらって、皆に笑われていましたが、このサバは身が厚くて食べやすいので煮つけが好きです。
それに釣ってきたシマアジの刺身とタタキにあぶり焼に、厚揚げのオイスターソースのゴマと酢の焼き物に、切干ダイコンの煮物にナスビと卵の味噌汁にレタスという山盛りのおかずの美味しい晩御飯でした。

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