函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

紋付袴の卒業生を見て!!

2007-03-26 | 函館風景
疲れが溜まっているのか、年なのか?
昨日は久し振りに10時半に寝てしまった
それも朝まで爆睡である。
6時に起きると、朝日が目に飛び込んでくる。
快晴とまではいかないが良い天気だ
義務感か習慣なのか分からないが
知らずの内にカメラを握っている僕!!

  
元旦撮った写真と似ていますが、やはり
どことなく違います。
僕にもはっきり分からないのですが

海に反射する光も、何となく暖かく
感じませんか

そういえば3、4日前、教育大学の前を通ったら、
紋付袴の学生を見ました。
僕の中では紋付袴は黒のイメージが強いのですが
紫とピンクも初々しくて可愛い感じがしました。
自分が卒業した時の事、思い出してしまいました。
今よりは少しは純粋で、希望に満ちていたように
思いますが、いつからこうなってしまったのだろう
いっぱい、夢や希望が有ったのに、気が付いたら
一つずつ無くしてしまったような気がします
新社会人の皆さん、頑張って下さい。
これからの人生、写真の朝日の様に
輝いていますよ!!








コメント (3)
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風林火山と信虎のその後!!

2007-03-26 | 歴史
昨日の風林火山、晴信と勘助の心理戦という感じで
中々見応えありました。
板垣信方の忠義心を利用した勘助の三文芝居。
それを見抜いたうえで家臣にする晴信。
又不満の有る家臣に、海ノ口の戦いから刺客ととして
今川に放っておいたと瞬時に言い切る晴信の機転!!
いよいよ、軍師山本勘助の登場ですね
ところで、追放した信虎のその後ですが
信虎は今川義元の庇護を受けて駿河で暮らします。
桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれ、その後を継いだ
今川氏真と折り合いが悪かったようです。
一説には信虎が今川氏を乗っ取ろうとしたと言われています。
いずれにせよ、信虎は今川を去ります。
今川氏の滅亡が近いことを信玄に知らせたとも言われていますが、
真実かどうか分かりません??
今川を去った後、志摩の九鬼氏と地頭の争いで地頭側に軍師
として加わり、九鬼嘉隆らを志摩より一時追放します。これを見ると
今川を乗っ取ろうとした話も現実味を帯びてきますよね。
その後、信虎は信玄の正室・三条の方の兄三条実綱の庇護を受けて
京都に住んだそうです。
また、信玄は信虎の生活費用などを送金していたと言われています。
信玄が病死すると、孫の武田勝頼を頼って武田領に戻り、三男武田信廉
に身を寄せますが、1574年信濃高遠で死去します。享年81。
信玄に追放された後、甲斐の地を踏むことは遂に無かったのです。
結局信虎は信玄より長生きをし、甲斐・駿河・志摩・京都と渡り歩くのです。
ある意味、充実した人生だったのかも知れません。
しかし、望郷の念はかなり強かったのではないでしょうか。
その気持ちが信虎を長生きさせたのかもしれませんね。
一説には、勝頼と対面した時に信虎が帰還を申し出たといいます。
しかし、信虎の時代を知る老臣達は、ことごとく信虎の甲斐入りに
反対したそうです。
勝頼も混乱を避けるべく、その意見を受け入れ、叔父信廉に信虎を
預けたと言われています。
老いてますます盛ん、とは信虎の為に有るような言葉ですね。
コメント (2)
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