3・4日前、友人のM氏から突然聞かれた。
どうして、東京に遷都したのかと。
あまりそういう話をしたことがなかったので
ビックリ!!
一応後日ブログに書くという事で…
明治政府の重鎮、大久保利通は京都から大阪へ
遷都しようと思っていたらしい。
時はまだ大政奉還したばかりの頃である。
武力で徳川を打ち負かすつもりでいたので
当然京都も火の海になるかも知れない。
新政府を樹立し、それ相応の庁舎を建てても
火の海になったのでは元も子もない。
そこで、京都に近く尚且つ海上の便が良い
大阪に目を付けたのです。
しかし、公卿たちや京都市民が猛反対。
膠着状態に陥るのである。
それでも、西郷隆盛や木戸孝允は大久保を支持。
一時は大阪遷都に決まりかけたのです。
しかしここで大きな壁にぶち当たるのです。
遷都に要する莫大な費用をいかにして作り出すか
という事なのです。
在る時、大久保の自宅に匿名の投書が届くのです。
その内容は、全部紹介する訳にはいきませんが
「大阪に遷都すれば、皇居・役所・役人の屋敷・学校
などすべて新築しなければならない。その点、江戸なら
江戸城や各藩邸が残っておりそれを活用できる。大阪は
商業地なので遷都しなくても衰退することはないが
武士の町・江戸は遷都しなければ市民が江戸を離れやがて
寂れてしまうだろう。国家の為、はなはだ愛惜に絶えない」
と書いてあった。
大久保は早速西郷や木戸に告げ、急転直下江戸遷都が
実現したのです。
結局、将来を考えて江戸に遷都したのではなく、先立つ
モノが無かった為と言うのが真相のようだ。
後日談ですが、大久保の家に投書したのは、幕臣の
前島密だったのです。前島は函館の諸術調所で洋学を学び
その才能を買われ新政府の駅逓権正に採用されていたのです。
我が国に郵便制度を確立した人で、『郵便の父』と言われて
いますよね。
函館にも縁の有った人なんですね
どうして、東京に遷都したのかと。
あまりそういう話をしたことがなかったので
ビックリ!!
一応後日ブログに書くという事で…
明治政府の重鎮、大久保利通は京都から大阪へ
遷都しようと思っていたらしい。
時はまだ大政奉還したばかりの頃である。
武力で徳川を打ち負かすつもりでいたので
当然京都も火の海になるかも知れない。
新政府を樹立し、それ相応の庁舎を建てても
火の海になったのでは元も子もない。
そこで、京都に近く尚且つ海上の便が良い
大阪に目を付けたのです。
しかし、公卿たちや京都市民が猛反対。
膠着状態に陥るのである。
それでも、西郷隆盛や木戸孝允は大久保を支持。
一時は大阪遷都に決まりかけたのです。
しかしここで大きな壁にぶち当たるのです。
遷都に要する莫大な費用をいかにして作り出すか
という事なのです。
在る時、大久保の自宅に匿名の投書が届くのです。
その内容は、全部紹介する訳にはいきませんが
「大阪に遷都すれば、皇居・役所・役人の屋敷・学校
などすべて新築しなければならない。その点、江戸なら
江戸城や各藩邸が残っておりそれを活用できる。大阪は
商業地なので遷都しなくても衰退することはないが
武士の町・江戸は遷都しなければ市民が江戸を離れやがて
寂れてしまうだろう。国家の為、はなはだ愛惜に絶えない」
と書いてあった。
大久保は早速西郷や木戸に告げ、急転直下江戸遷都が
実現したのです。
結局、将来を考えて江戸に遷都したのではなく、先立つ
モノが無かった為と言うのが真相のようだ。
後日談ですが、大久保の家に投書したのは、幕臣の
前島密だったのです。前島は函館の諸術調所で洋学を学び
その才能を買われ新政府の駅逓権正に採用されていたのです。
我が国に郵便制度を確立した人で、『郵便の父』と言われて
いますよね。
函館にも縁の有った人なんですね