世紀の大地震、最後の頼みは「2本の足」、陸の孤島・お台場から赤羽まで徒歩、武蔵浦和まで17時間

2011年03月12日 23時35分48秒 | 政治
◆私は3月11日午後2時すぎから、「青海フロンティアビル2階会議室」(東京都江東区青海2-4-24)で、港湾建設専門の東洋建設(毛利茂樹社長)の協力会社の集まりである「東洋会(林庄松会長:林興業㈱社長)主催の「東洋会 経営者セミナー」で、「歴史に学ぶ経営術~戦国武将の戦略・戦術とリスクマネジメント」とのテーマで講演をしていた。細川幽斎、藤堂高虎、徳川家康が危機を突破して、いかにして勝者となったかを材料にリスクマネジメントの仕方を学ぶという趣旨である。
 イントロ部分で、「リスク(危険)」とは、何か、リスクへの対処仕方の態様について説明していた。「リスク(危険)」には、「天災と人災」があり、これにどう立ち向かうには、①君子危うき近寄らず②堂々と立ち向かう③リスク・ヘッジ(危険回避)するとの3つがあると述べた。
 「『天災』は、人間の都合で回避はできない。だが、予知・予測は立てられるので、それに備えて被害を最小限に食い止めることはできる。とくに天災の最たるものである「地震」は必ず起こる。「関東大震災(1923年=大正12年9月1日)から88年経つので、70年~80年サイクルから見れば、もうそろそろ起こり得る。「関東大地震、東海大地震、東南海大地震、南海大地震」が、「4連発」で同時に起こる可能性が大である」
 こう述べて、危機に対して勇猛果敢に立ち向かった「野戦型の武将・徳川家康が「三方が原の合戦」で大敗した話に入った。その途端、午後2時46分、青海フロンティアビル大きく横揺れし始めたのである。しばらくして、消防車のサイレンがけたたましく鳴る音が聞こえてきた。道路を挟んで対面のテレコムセンター辺りから、黒い煙が出て、火事がが起きていたのである。
 会場は、騒然としたというより、出席者の大半は、会議室の外に出て、携帯電話で地震情報を検索し、それぞれの会社に電話して、被害状況を聞いていた。津波情報には、神経を尖らせているようだった。港湾建設専門会社の集まりだから、経営者たちは、それぞれの地域で「仕事の現場」を持っているので、気が気ではない。
 結局、この日のセミナーは、中断ということになったのである。宮城県から福島県にかけての「3箇所」(この後で長野県が加わる)が震源地だったので、「関東大地震、東海大地震、東南海大地震、南海大地震が、「4連発」からは、ズレていたが、これから「4連発」が起きる可能性が大である。出席者の人たちから、「地震を呼んだ」と妙な感心の声をかけられた。
◆だが、その後、苦難の道が待っていた。「ゆりかもめ」のテレコムセンター駅に行ってみると、「ゆりかもめ」が全面ストップ、復旧の見通しは立たないという。仕方なく、午後4時ごろから「りんかい線東京テレポート駅」に徒歩で向かった。30分かけて、「東京テレポート駅」に着くと、出入り口のシャッターが下りていて、その前に駅員2~3人が立っていて、警戒している。復旧は絶望的なのに、多くの乗客たちが、寒風が吹きっさ茶裸子寒風のなかで、うずくまり、復旧するのをじっと待っている。駅前ロータリーの複数のバス停では、長い行列ができていた。だが、バスのほとんどは、「貸切」と表示していて待っている人たちをまったく乗せようとしない。遠くに離れたたった1つのトイレの前には、用を足したい男女が、これまた長い列を成して待ち続けている。公衆電話は、二つだけで、ここでも10メートル以上の行列だった。回りの施設では、客たちを追い出していたから、暖を取る場所は、1つもなかった。『お台場は陸の孤島』になると言われてきたのが、現実なったのである。
 乗ることの出来るバスは、一台もなく、タクシーの姿も全然見当たらない。最悪である。そこで、私は、「お台場」から一刻も早く逃げ去ろうと決心して、また歩き始めた。少しすると偶然、多くの人たちが、小さな入り口に吸い込まれるように入っていくのが、目に入ったので、行ってみると、ベイブリッジにある通常は、作業員しか通れない歩道が開放されていた。係りの人がいて、「ここは、どこに出るのか」と聞くと、「芝浦に出て、その先は、品川か田町です」と教えられた。気の遠くなるような歩道を行くと、多くの人が、一生懸命歩いている。私の後ろからもどんどんやっきて、追い越していく。何もなければ、美しい夜景だったけれど、ゆっくりと楽しんでいる余裕はない。
 1時間近く歩いて、やっと芝浦に出ることができた。そこからまた、さらに歩いて行くと、JR田町駅の東口に到達した。駅前にある東京工業大学付属科学技術高校(私の母校)の校門前では、高校生たちが、テントを張り、大型テレビを設けて、地震情報を伝えていた。時刻は午後7時を回っていた。田町駅では、電車が全面ストップで、こちらも復旧は絶望的。駅員がチラシを配り始めていたので、「何かな」と思って野次ウマ気分でもらいにいく。「家に帰れない人たちのために泊まれる場所を用意した」と言い、チラシには「港勤労福祉会館」の場所と地図が書かれている。疲れた体を休めるには、そこに泊まるのも1つの手だとは思った。
 だが、まだ宵の口だったこともあり、行けるところまで行こうと考え、田町~新橋~内幸町へと歩いた。サラリーマンの男女と思しき大集団が、歩道を埋め尽くして行き交う。車道にはみ出して歩いている人たちは、交通整理の警察官に注意されていた。車道は、自動車やバスでぎっしり、ノロノロ運転が精一杯のようだった。この間、沿道ではNTTの公衆電話は、一台も設置されていなかった。
◆JR池袋の地下通路は、さながら「俄かホームレス」の溜まり場はなっていた。ここで30分ばかり休憩して、JR赤羽駅を目指したのだが3月12日午前2時すぎ。距離は、短いのに、一本道でまっすぐ赤羽駅に行けるまともな道がないのには、往生した。
 線路を歩いて行くわけにもいかず、道を探して歩き続けて、結局、赤羽駅に到着したのは、午前7時まえだった。池袋駅~赤羽駅に賞味5時間を要したことになる。
 赤羽駅で埼京線大宮行きの電車に乗れたのはよいが、ここで2時間停車したまま。JRが線路の安全点検を続けていたからである。午前9時3分、やっと動き出す。武蔵浦和駅に午前9時35分着。「ゆりかもめ」のテレコムセンター駅をスタートしてから「17時間余り」かかっていた。電車の有り難味をつくづく感じさせられた。それにしても、「関東大地震、東海大地震、東南海大地震、南海大地震」が起きたら、一体どうなるのか、空恐ろしい。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
大地震で見せた「東京ディズニーラド・東京ディズニーシー」の温かいとは対極の「コンクリートから人へ」政策破綻、福島第1原発爆発事故で東電の隠蔽体質

◆〔特別情報①〕
 今回の大地震で、「東京ディズニーラド・東京ディズニーシー」が、観客7万人を安全な場所に集めて、食事などでもてなしたという話を聞いて感動した。その温かい心遣いに、観客たちは、また再び、「東京ディズニーラド・東京ディズニーシー」にリピーター客として訪れ、楽しい一日を過ごしたいと思うに違いない。大変上手い経営方法である。これに引き換え、お台場の経営者たちはみな、寒風と同様冷たかった。

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