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東大蹴って医学部ってあり?」現役医学生が語るリアル

2024年03月07日 20時03分07秒 | 医学部と医師の育成のこと

「東大蹴って医学部ってあり?」現役医学生が語るリアル(3) (msn.com) 



『Dr.Eggs ドクターエッグス 』(集英社)より/©︎三田紀房
©リセマム
 大学の医学部に入ってからの生活を描いた漫画、『Dr.Eggs』。漫画のタイトルどおり「お医者さんの卵」たちのストーリーを描いたものだ。


 本記事では、筆者(全国で教育支援事業を行っている東大生集団 カルペ・ディエム代表 西岡壱誠)が、実際に医学部に通う大学生たちとこの漫画を読み、話を聞いた医学部の実情を共有する。


 今回取材に協力してくれたのは、前回に引き続き、慶應義塾大学(以下、慶應)医学部2年生のSKさんだ。彼は、東京大学理科一類と慶應医学部の両方に合格し、慶應医学部を選んだ「東大を蹴った人」だ。なぜ彼は東大ではなく、慶應を選んだのか? 話を聞いてみた。


自分は「医者に向いていないのでは?」と思っていた
 九州で育った彼は、小さい時に自分の祖父が脳震盪で倒れた時に、お医者さんがそれを助けてくれた経験から、ぼんやり「医者になりたい」と考えるようになった。医者という職業が、その人個人だけでなく、その家族や近しい存在のことも癒してくれる存在だと感じたからだ。


 しかし、その選択肢を長い間、排除していたそうだ。その理由は意外なものだった。


 「自分、血が苦手だったんです。医者になったら血を見ることになるから、自分は医者にはなれないなって」


 なので、高校1年生までは東京大学理科I類志望で、医学部は考えていなかった。漠然と、誰かの役に立つ仕事がしたいとは思っていて、その最たる例はお医者さんだと考えていたけれど、それでも医者にはなれないと考えていた。「医者以外の職業で考えると、まだ決めきれないな」と考えた結果、選択肢の多い東京大学を目指したのだそうだ。


 さてそんな時に、彼は知り合った医師に対してその話を打ち明けたところ、意外なことを言われたそうだ。


 「『血が苦手、というのは、医者にならない理由にならないと思う』って言われたんです。どうせ血になんて慣れる。そんなに医者に憧れているのなら、医者になるべきだって」。


なぜ東大理一と慶應医学部を受けたのか

 この話を聞いて、「やっぱり医者になるのも良いな」と思った彼は、慶應医学部の入試と東大の理科一類の試験を受けることを決めた。さすがに学力的に理科三類は難しいと考え、2つの大学を受けたのだそうだ。その結果、東大の入試が終わった段階で、慶應医学部の1次試験に合格していることがわかった。それも、特待生として認められる上位10人に入った形での合格だった。九州に住んでいた彼は、同級生の何人かが九州に帰る中、ひとりで東京に残り、慶應医学部の2次試験を受けたという。慶應医学部の2次試験は面接で、あまり面接の準備をしてきていなかった彼だったが、方言バリバリで話したところそれが逆に先生方から「純粋で良いね。君みたいな子に入ってもらいたい」と言ってもらえたそうだ。


  その結果、慶應医学部に見事合格した。その結果が出たのは東大の合格発表はまだ先だったが、慶應医学部に行くことを決めたのだそうだ。


 「受験中は『どういう道に進むかは、大学に合格してから考えよう』と考えていたので、受かってから悩みました。でも、やっぱり僕の中で、いちばん人の役に立てる選択肢って、医者だったんですよね。東大ももちろん良い大学だし、東大のシステム的に、理科一類でも後から頑張れば医学部に行くこともできるかもしれないけれど、やはり医者に『君みたいな子に入ってもらいたい』って言われたところに行きたいな、と。」


 蓋を開けてみたら東大も合格できていたが、慶應を選んだことに後悔はないそうだ。


入学後も学び続ける医学部生の日常
 彼のように、医者に憧れる理由のひとつとして、「誰かの役に立ちたい」と考える人は多い。逆に、あらゆる選択肢の中で、「いちばん誰かの役に立つ仕事」は医者だと考えているからという理由で医者になろうとしている人は多いのだ。Dr.Eggsにもこんなシーンがある。

以下はリンクで、








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開業医の新規開業戦略>「ドカーンと患者さんが来ますよ」と煽る営業…患者は知らない"開業医の意外な資金調達方法"

2024年03月05日 22時03分23秒 | 医学部と医師の育成のこと
「ドカーンと患者さんが来ますよ」「もう、爆発!」と煽る営業…患者は知らない"開業医の意外な資金調達方法"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース 


「ドカーンと患者さんが来ますよ」「もう、爆発!」と煽る営業…患者は知らない"開業医の意外な資金調達方法"
2/10(土) 6:17配信

>で、懸案の借金であるが、これは計画以上に順調に返すことができた。はっきり言えば繰上げ返済で返した。当初はドカーンというほど患者さんは来なかったが、春に開業して秋には行列のできるクリニックになっていた。何がよかったのだろう? 自分ではよく分からない。




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プレジデントオンライン
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/uchar


資金がいくらあればクリニックを開院できるのか。小児科医の松永正訓さんは「資金はゼロでも大丈夫である。お金を貸してくれて、コンサルタントのように開業までのステップを支える企業があるのだ」という――。(第1回/全3回)


【この記事の画像を見る】


 ※本稿は、松永正訓『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


■資金はゼロでも大丈夫である


 資金がいくらあれば開業できるか? これはゼロでも大丈夫である。担保もなしで大丈夫である。少なくともぼくの場合はそうだった。ぼくは19年間、大学病院の医局に在籍したが、開業を決意したときのぼくの貯金はおよそ200万円くらいだった。この200万円を全部つぎ込んでしまうと生活ができないので、自分は開業医になれないのではないかと思った。


 ところが、ちゃんとお金を貸してくれる人がいるのである。おまけにコンサルタントのように、開業までのステップをすべて支えてくれる。ぼくがクリニックの経営を安定させれば、貸したお金と利子を回収できるから。言ってみればウインウインの関係だ。


 ぼくが開業するまでの経緯をちょっと振り返ってみよう。


 開業を決意する数年前に、ぼくは生命保険に加入するために、ある内科クリニックで健康診査を受けた。そのクリニックは自宅から車で30分くらい行った所にあるショッピングモールの中にあった。


 クリニックの扉を開けて、まず驚いた。待合室がとても狭い。長椅子が数個並んでいて、そこに患者さんが肩を寄せ合って座っている。すし詰めという感じである。ぼくは自分の名前が呼ばれるまで待合室の隅で立っていた。


 看護師さんに呼ばれて診察室に入ると、そこも狭かった。おまけに薄暗かった。医師は、そんなに年配という感じではなく、中堅といった年齢に見えた。簡単な問診と聴診が終わると、その医師は診断書にペンを走らせ始めた。


■「裸足で足、ゆらゆら」にカルチャーショック


 ぼくはその様子を眺めていた。そして何気なく視線を下に向けると、あることに気づいた。その医師は素足なのである。サンダルも脱いで、足をゆらゆらさせていた。ぼくはその姿を見てこう思った。


 (ああ、この人は、今の仕事が好きじゃない。狭くて暗いビルの一室で、楽しくもない仕事をしているんじゃないかな)


 ぼくが大学病院で患者家族と相対するときに、「裸足で足、ゆらゆら」は絶対にない。もっと真剣に患者に接している。言っては悪いけれど、この先生は倦(う)んでいるなと感じたのである。


 この光景は強烈だった。当時のぼくは大学病院で最先端の医療をやっていたので、こういう医者人生もあるのかと、ちょっとカルチャーショックを受けた。決して見下したという意味ではなく、違う世界だと感じた。ちなみに、ビルの一角のテナントになって診療所を運営することを「ビル診」という。

■開業コンサルタントも引き受けるリース会社がある


 しかし人生、どう転ぶか分からない。体が弱かったぼくは、44歳の春に開業しようと決めた。それしか選択がなかった。その辺の事情は『患者が知らない開業医の本音』(新潮新書)に詳しく書いた。そうすると、自己資金が200万円のぼくは、ビル診しか選択肢がない。土地を買って、建物を建ててなどは、到底できるはずもない。


 そうか、あのときに見た先生のように、狭く、暗い所で裸足で診療するのか……と思うと、強烈に憂鬱(ゆううつ)になった。でも諦めるしかない。ビル診でも何でも、とにかくどういう手順で準備をすればいいか全然分からない。そこで友人の開業医たちに、開業するための準備の仕方を教わった。


 開業の第一段階は資金調達。医療に特化したリース会社があり、開業コンサルタントも同時に引き受けてくれるということが分かった。ぼくはまずZリース会社の人に話を聞きに行った。


 Zリースの支社に行くと3人の若手営業マンがいた。彼らは、いきなりお金の話を始めた。ビルを借りるのにいくら、内装工事にいくら、医療器具を揃えるのにいくら、患者が何人来て収入がいくら……そうすれば何年後にはこれだけのお金がドカーンと貯まりますよという話がどんどん進んでいく。「もう、爆発!」とか煽(あお)ってくる


■「ドカーンと患者さんに来られても困る」


 ちょ、ちょっと。これではまるで洗脳セミナーではないか。ぼくは別にお金が欲しいわけではない。金持ちになりたくて開業医になりたいわけではない。これはちょっと違うなと思い、ぼくはZリースとの話に積極的になれなかった。


 自宅に帰って妻と話し合ったが、やはり妻も「儲け話」には興味がなかった。この話は放っておこうと思った。ところがしばらくすると、Zリースからメールが来た。そこにはこうあった。


 東京都杉並区で今度新規に産婦人科クリニックを立ち上げる。この地域は、人口に対して産婦人科が少ない。かなりのお産の数が見込まれる。その産科の先生は、1カ月健診をやってくれる小児科の先生を探している。どうですか? その産院の隣のビルで開業しませんか? ドカーンと赤ちゃんが来ますよ。


 東京かあ。ぼくは千葉市在住。千葉市から杉並区まで一体どれくらい時間がかかるんだろう。若いうちはいいかもしれないけど、やがて歳を取ったらとても東京まで通えないんじゃないかな。それに、ドカーンと患者さんに来られても困る。ぼくは地に足をつけてゆったりと仕事をしたかった。妻と話し合ったが、その話は断った。Zリースさんとは相性がよくないのかもと思った。


■「建て貸しという方法があります」


 先輩の開業医に紹介されたのは、コピー機で有名なR社のRリースだった。Rリース社の営業の青年は夜遅くに大学病院まで説明に来てくれた。フットワークも軽いし、話してみると明朗快活で、若いが自信をみなぎらせている印象だった。


 Rリースさんが尋ねる。


 「開業までのタイムスケジュール感は分かりました。で、先生はどんな感じのクリニックを希望していますか?」
「希望も何もお金がないので……ビル診しかないと思っています」
「建て貸しという方法もありますよ」


 初耳である。


 「なんですか、それ?」
「先生が希望の土地を選んで、地主の大家さんにクリニックを建ててもらうんです。そして先生は大家さんに家賃を払って診療するんです。クリニックは先生の望み通りの大きさ、間取りになります。ビル診より楽しく仕事ができますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。それって一体いくらかかるんですか? 本当にお金がないんです」
「ビル診よりかは少し出費が多いかもしれませんが、自分で土地を買って、自分で建物を建てるよりはるかに安いですよ」


 なんと。そんなシステムがあったのか。あの狭くて暗いクリニックが脳裏に浮かぶ。うう、いやだ。穴蔵のような狭いスペースで一生仕事をしたくない。


■借金が返せるくらいは患者さんが来てくれるのだろうか


 しかしぼくの心配は、Rリースさんに借りたお金を返せるかどうかにあった。開業医というのは、自分のクリニックを始めるときに、それまで働いていた病院に通ってくる患者をごそっと自分のクリニックに連れてくるという話をよく聞く。


 だがぼくの場合、大学病院で診ているのは、小児がんとか、先天的な異常に基づく内臓の病気の手術後とかばかりで、小児科を標榜する予定のぼくのクリニックで診るのは無理がある。いや、診てもいいのだが、それって患者のためにならないのではないか。それよりゼロから始めた方がいいような気がする。


 となると、ぼくが始めるクリニックは、地域の人たちにとってまったく未知の医療機関になる。ドカーンと患者が来なくてもいいが、全然来なくて潰れそうになるのも困る。借金が返せるくらいは来てくれるのだろうか。全然分からない。



■懸案の借金は繰り上げ返済で返すことができた


 Rリースさんは悠然としている。


 「大丈夫ですよ。失敗した人、見たことありません」
「……でもぼくが最初の人になるかもしれませんよ」
「まあ、千葉大の先生ですから大丈夫でしょう」

「担保もありませんよ」
「大丈夫です。貸します」


 迷った。迷ったが、建て貸しというワードの魅力がまさった。ぼくはその夜、妻と相談してRリースさんの話に乗ることにした。


 話をしていると、Rリースさんはこういった建て貸し方式に慣れているらしく、クリニックを建てる業者もすでに決めてあった。全国的に有名なハウスメーカーだった。こうして、まず土地探しから始まった。紆余(うよ)曲折はあったが、ぼくの自宅から車で20分くらいの所に広い土地が遊んでおり、地主さんにお願いをしてクリニックが建つことになった。


 で、懸案の借金であるが、これは計画以上に順調に返すことができた。はっきり言えば繰上げ返済で返した。当初はドカーンというほど患者さんは来なかったが、春に開業して秋には行列のできるクリニックになっていた。何がよかったのだろう? 自分ではよく分からない。岬の突端にぽつんとあるクリニックを目指したが、そうはならなかった。






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松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。







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群馬大医学部が「アカハラ大量留年」問題に救済措置 担当教授の「教員としては困難」“釈明音声”入手(文春オンライン

2024年02月04日 03時03分28秒 | 医学部と医師の育成のこと


群馬大医学部が「アカハラ大量留年」問題に救済措置 担当教授の「教員としては困難」“釈明音声”入手(文春オンライン) - Yahoo!ニュース 

群馬大医学部が「アカハラ大量留年」問題に救済措置 担当教授の「教員としては困難」“釈明音声”入手

2/21(火) 16:12配信
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 群馬県前橋市の国立群馬大学医学部で、現在3年目の学生の約3分の1にあたる約40人の学生がこれまでの2年半で留年が決まり、そのうち24人が1人の教員の授業で落第させられていたことで、学生の間から「アカハラだ」との声が上がっていた問題。2022年10月23日配信「 週刊文春 電子版 」でこの問題を報じていたが、今回新たに、群馬大が留年が決まっていた学生の一部に救済措置をとることが「 週刊文春 」の取材でわかった。

 【画像】群馬大医学部に通う学生を24人も留年させ「アカハラ」の声が上がっていた服部健司教授(63) 

 大量の落第者を出したのは、1年生向けの『医の倫理学』と1~3年生向けの『医系の人間学』という必修授業を受け持つ、服部健司教授(63)。


服部教授の授業に対する学生の声


群馬大学医学部付属病院 ©時事通信社

 医学部の現役学生が語る。

 「うちは必修科目を1つでも落とすと即留年決定で、しかも翌年は次の学年の授業を取ることができない。落とした科目の単位を取るためだけに1年間大学に通う羽目になるんですが、服部教授の授業は評価の基準がよく分からない。

医療と関係なさそうな映像を見て感想を書いたり、即興演劇をしたりするだけで、試験もレポートもなしでいきなり成績が決まるんです」 

 別の学生が続ける。 

「服部教授は授業で学生に発言を求めますが自ら手を挙げる人はいません。変に目をつけらて留年させられることにおびえているからです。当てられやすい席とそうでない席があるので、学生たちは授業中に詰められることを恐れて、授業の前は1限目が始まる前から席取りをしています。活発な議論なんてありません」

  また、服部氏の授業を巡ってはこんなトラブルも。

 「2016~21年度にかけて服部教授が担当する必修科目の単位を一度も認められず、重度PTSDの診断を受けて休学した学生もいます。大学は18年度にアカハラを認定し、その学生は現在大学を相手に損害賠償請求を求める裁判を起こしています」(大学関係者) 

「週刊文春 電子版」の報道後、医学部医学科の学友会が学生を対象にアンケートを実施。そこには服部教授の授業に対して次のような意見があった。


〈フィードバックもなく、客観的な成績基準もないまま成績判定され、再試験もなく留年者が出ている〉 〈理不尽な教授により学生は萎縮し、主体的に授業に取り組める状況ではない〉 〈精神的な不調を訴えている人が多くいる〉



救済措置を行うも、不公平感が募り説明会は紛糾

 学生たちの批判が高まる中、2月10日になってようやく事態が動いた。医学科長が3年生向けに説明会を開いたのだ。 

「今年度の前期に『医系の人間学』を落とした学生に限り、3月に再履修(補習)を行う救済措置を行うと発表し、服部教授は『医系の人間学』の担当から外れると明らかにしました」(別の現役学生)

  だが、これがかえって火に油を注ぐ結果に。 

「結果として救済されるのは、今年度の前期に『医系の人間学』を落とした3年生8人だけ。その授業だけ『フィードバックが不十分だった』などと大学の落ち度を認めましたが、1、2年次に服部先生の授業を落とした人や、今年の1、2年生に対しては救済なし。不公平感が募り説明会は紛糾しました」(同前)

服部教授は学生の訴えを「落書き」呼ばわり

 一方で服部教授は2月13日、教職員と学友会との定例懇談会に姿を現し、学生に対して釈明。小誌はこの音声を入手した。

 「何人かから直接、『評価の基準が分からない』という意見を教室で伺いました。でも意見を下さる学生に限ってシラバスに書いた評価基準をあまり読んでくれていない。それで『もう1回読んできてください』って申し上げるようにしています」 「1月7日ぐらいから試験をしたところ、答案に『これで採点ができるのか』『どうやって採点するんだ』という、そんな落書き……書き込みを見つけたわけです。なかなかその辺のところ教員としては困難を感じております」 

服部教授は自らの正当性を主張し、学生の訴えを「落書き」呼ばわりしたのだ。 

 群馬大医学部に尋ねると、救済措置を認めたのが3年生8人だけだった点については「カリキュラム導入の過渡期であること」や「全国的にみて新たな授業内容であったこと」などを理由とした。多くの学生が、絶対的な評価基準がない科目で恣意的な評価を下される可能性に不安を抱いていることについては「科目責任者が恣意的に評価を決定できるものではありません」と回答した。 


 だが、服部教授や大学当局の姿勢に納得できない学生たちは、さらなる救済措置を求める署名活動を行っている。 


 2月21日(火)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および2月22日(水)発売の「週刊文春」では、学生のアンケート内容の詳細や、服部教授の女子学生に対する“セクハラ発言”、紛糾した定例懇談会の様子などを報じる。また、「 週刊文春 電子版 」では服部教授の“釈明音声”を公開する。


「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年3月2日号




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医学部入試で“女子受験生差別”を行った大学の学長が語った「男子優遇」の理由

2024年01月12日 03時03分01秒 | 医学部と医師の育成のこと
女性の場合は……」 医学部入試で“女子受験生差別”を行った大学の学長が語った「男子優遇」の理由

1/18(水) 7:03配信
28コメント28件



>女性の場合は結婚、出産、育児などのライフイベントで、どうしても途中で研修が中断したり、医師としての活動をやめたりしてしまう人が一定数います。医学部には卒業生全員が医師になる職業学校の意味合いがあるので、そうした理由から若い男性を優遇した意識はあると思います

photo by gettyimages

「医者という職業は女性に不向きなのか」「女性差別の最たるものではないか」、そんな論争がいまから4年ほど前に沸き起こったのを覚えているだろうか。国立を含む複数の有名大学が、公平公正を期すべき大学入試で露骨に女子受験生を差別していた問題は、実はある事件捜査で偶然明らかになったものだった。その事件を描いたノンフィクション『東京医大「不正入試」事件 特捜検察に狙われた文科省幹部 父と息子の闘い』から、連載第1回前編に引き続き、女子受験生差別の実態をレポートする。

 『東京医大「不正入試」事件』の全貌(1)後編 【漫画】死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由


合格を不合格にされた代償は100万~150万円


 東京医大の不正入試事件を機に実施された文科省の実態調査によって、東京医大だけでなく国立の神戸大学、私立の昭和大学、金沢医科大学、岩手医科大学、福岡大学、順天堂大学、北里大学、日本大学、聖マリアンナ医科大学の合計9校(東京医大を含めると10校)で受験生の不正な選抜が行われていたことが発覚した(聖マリアンナ医科大は否定)。  


特に女子受験生への差別的な扱いが、複数の大学医学部(医科大)で当たり前のように行われていた事実は世の女性の憤激を買い、不合格にされた元医学部受験生の女性たちが集団で大学を訴える損害賠償請求訴訟が各地で起きた

。いずれも裁判所は大学側の不法行為責任を認め、原告らに対する損害賠償を命じている。 

22年9月に判決が言い渡された東京医大の場合、受験1回につき20万円、得点調整がなければ合格またはその可能性があった元受験生に対しては、これに加えて100万~150万円の支払いを命じるという内容だった。 

 この不正入試自体が罪に問われることはなかったものの、東京医大理事長(役職は当時、以下同)の臼井正彦被告と東京医大学長の鈴木衞被告は公判で、「厳正・高邁な入試でコンプライアンスを逸脱した行為をして非常に申し訳なく、心からお詫びしたい」(臼井被告)、

「個別の受験生の点数調整以上に、男子を女子より優先したり、男子のなかでも若い人を優先させたりしたほうが大きな問題だった」(鈴木被告)と、ともに反省の弁を述べた。

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全国の医学部で女子合格率が急上昇


 14年7月に学長に就任した鈴木被告は、17年度の全入学者に占める女子の比率が半分近くに達した事実に強い衝撃を受け、医師を養成する医科大の責任者として対策を講じる必要があることを痛感。学務課と話し合い、

小論文の配点比率を高くしておくと、2次試験後の加点幅が大きくなり、点数調整がやりやすくなる」との意見を容れて、2次試験での小論文の配点比率引き上げに踏み切った。鈴木被告は公判でこう説明した。 

 「医学部の卒業生全員が医師として働き始めるので、できるだけ医師になって、社会や我々の大学病院でしっかり働いてもらいたいという気持ちが根底にあります。ただ女性の場合は結婚、出産、育児などのライフイベントで、どうしても途中で研修が中断したり、医師としての活動をやめたりしてしまう人が一定数います。医学部には卒業生全員が医師になる職業学校の意味合いがあるので、そうした理由から若い男性を優遇した意識はあると思います。小論文(の配点比率変更)に関しては、そういう理由がありました」 


 ちなみに22年2月19日に公表された文科省の調査によると、全国に81ある国公私立大の医学部医学科の21年度入試で、女子の合格率が13・6%と、男子を0・09ポイント上回った。データのある13年度以降で、女子の合格率が男子を上回ったのは初めてで、女子が男子より合格率が高い大学の割合も初めて半数を超えた。これは紛れもなく、この事件が社会に与えた影響の一つだ。




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専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑

2023年12月19日 15時03分21秒 | 医学部と医師の育成のこと

専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース 






専攻医の過労自殺、病院側と院長ら書類送検へ…休日取らせず長時間労働させた労働基準法違反容疑
12/19(火) 5:00配信


読売新聞オンライン
研修で派遣されていた北海道の病院で、患者の治療にあたる高島晨伍さん(遺族提供)


 「甲南医療センター」(神戸市東灘区)の専攻医が過労自殺した問題で、西宮労働基準監督署(兵庫県)は19日にも、運営法人「甲南会」と具英成(ぐえいせい)院長、直属の上司だった医師を労働基準法違反容疑で神戸地検に書類送検する方針を固めた。関係者への取材でわかった。病院は勤務医の労働時間を適切に把握しておらず、労基署は不十分な管理体制が、長時間労働につながったと判断した。(田中健太郎)


【写真】「限界です」…高島さんが両親に宛てた手書きの遺書


 関係者によると、具院長らは2022年4月、専攻医だった高島晨伍(しんご)さん(当時26歳)に労使協定で定められた範囲(月95時間まで)を超える時間外労働(残業)をさせたほか、休日を取らせずに連続勤務させるなどした疑いがもたれている。


 高島さんは20年4月、センターの研修医となり、22年4月以降、より専門的な研修を受ける専攻医として診療に従事していた。同年5月17日の退勤後、神戸市の自宅で亡くなっているのを訪ねた家族が見つけ、兵庫県警が自殺と断定した。


 西宮労基署は今年6月、自殺は長時間労働などが原因だとして労災認定。認定によると、死亡直前1か月間の残業は207時間50分で、休日は100日連続で取得しておらず、労基署は上司からの指示があったと判断していた。


 一方、センターによると、高島さんが自己申告した残業時間は、月30時間程度だった。センターでは残業時間は自己申告に任せ、客観的な方法で把握していなかったという。


 遺族が昨年12月、甲南会や具院長を刑事告訴。労基署は、電子カルテの記録などを改めて精査し、高島さんの残業時間を算出した。その結果、労使協定の範囲を超えていたと判断した。


 センター側は今年8月、労災認定について「すべてが労働時間ではなく、『自己研さん』の時間も含まれている。長時間労働の指示はしておらず、指示の範囲では業務量は適切だった」と説明していた。


「死を無駄にしたくない」母と兄の思い
(写真:読売新聞)


 高島さんが労災認定された今年6月以降、母親の淳子さん(60)と兄(32)は、医師の労働環境の改善を国や自治体に働きかけ、各地で講演を重ねてきた。

 2人は8月、厚生労働省を訪問し、「自己研さん」の名目で若手医師らに長時間労働が課されているとして、客観的に労働時間を把握できる仕組みづくりなどを求める嘆願書を提出。地元の兵庫県や神戸市の議会にも陳情し、講演や記者会見は計9回に及んでいる。


 遺族にとって講演で話すことは、家族を失った悲しみに向き合うことだった。淳子さんは登壇するたび、涙を流した。それでも講演を続けてきたのは「晨伍の死を無駄にしたくない」との思いからだという。


 高島さんが両親に宛てた遺書には「おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど限界です」と書かれていた。淳子さんは、早朝から深夜に及ぶ業務で疲弊する高島さんの姿を何度も見ていた。死後、息子を守ることができなかった自責の念にかられている。


 淳子さんは「晨伍は生前、『後輩を守れる優しい指導医になりたい』と話していた。その希望はかなわないけれど、晨伍の死が医師の働き方を変えるきっかけになれば、すべての後輩を守ることができる」と話す。


 過労死した医師の遺族との連携も進めている。家族会を結成し、20日には東京都内で初会合を開く。


 淳子さんは刑事告訴について「なぜ息子が死ななくてはならなかったのか、センターからは説明がない。再発防止のためにも何があったのか捜査してほしい」と話していた。


医師の働き方に関するご意見や情報をお寄せください。


メール  osaka2@yomiuri.com


LINE  https://lin.ee/FROjZBRd



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