東大「逆転合格した人」に共通する“なるほど”な動機 周囲の反対を押し切る「わがままさ」が実は必要
11/8(火) 10:01配信
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逆転合格する人が持っているモチベーションについて解説します(漫画:©︎三田紀房/コルク)
記憶力や論理的思考力・説明力や抽象的な思考能力など、「頭がよい」といわれる人の特徴になるような能力というのは、先天的に決められている部分があり、後天的に獲得している能力は少ないと考える人が多いのではないでしょうか。 その考えを否定するのが、偏差値35から東大合格を果たした西岡壱誠氏です。漫画『ドラゴン桜2』(講談社)編集担当で、MBS/TBS系『100%! アピールちゃん』でタレントの小倉優子さんに大学受験の指導もする西岡氏は、小学校、中学校では成績が振るわず、高校入学時には東大に合格するなんて誰も思っていなかったような人が、一念発起して勉強し、偏差値を一気に上げて合格するという「リアルドラゴン桜」な実例を集めて全国いろんな学校に教育実践を行う会社「カルペ・ディエム」を作っています。
【漫画を読む】「ドラゴン桜」で桜木先生が、勉強する理由を熱弁するシーン
そこで集まった知見を基に、後天的に身につけられる「東大に合格できるくらい頭をよくするテクニック」を伝授するこの連載(毎週火曜日配信)。第36回はカルペ・ディエムに所属する現役東大生の黒田将臣氏が、東大に逆転合格する子に共通する「動機」について解説します。 この連載のほかの記事はこちらからご覧ください。
僕たちが所属するカルペ・ディエムは「逆転合格」を支援する会社です。偏差値の低い高校出身の生徒や、東大合格者が過去0人の高校出身の生徒など「普通だったら東大を受験することすらしないはずの生徒」を指導しています。
そこには「本当にすごいな」と思う子が多くいます。例えば、
「自分の通っている高校は東大に合格した先輩は1人もいない学校で、自分のクラスの3分の2は一般受験をしません。東大を受ける友だちなんていないどころか、東大に合格した人と会ったこともないのですが、東大合格を目指して独学で高校3年間勉強してきました」
と言う子です。こういう子に会うと「よくここまで1人で頑張ってきたね!」とほめたくなります。学校がまったく受験モードではない環境で、上を目指し続けるってすごく大変なことですからね。
そして、カルペ・ディエムでこうした子を指導しているのは、
「逆転合格した東大合格者」です。自分と一緒に指導している東大法学部の友だちはその学校で10年振りの東大合格者ですし、かくいう僕も自分の母校初の東大合格者です。
■共通する「自由になりたい」という動機
さて、そんな「逆転合格した人たち」&「逆転合格を目指す東大受験生」たちには、1つの共通点があるように感じます。
それは、「東大に行きたいという動機」です。実は逆転合格する東大生たちは、同じ動機で、周囲の反対を振り切って東大を目指している場合が多いのです。その動機とは「自由になりたい」というものです。『ドラゴン桜』で桜木先生がこの動機について語ってくれているシーンがあります。
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いかがでしょうか。ちょっと脱線しますが、桜木先生というキャラクターはなかなか言っちゃいけないようなことをどストレートに語ってくれることがいいところですよね。
「馬車馬になりたくなかったら勉強しろ」だなんて、なかなかストレートには言えないことです。
でも、確かにそうなんですよね。自分の頭で考えて行動できるようになるためには、勉強が不可欠なのです。
■福沢諭吉「学問のすすめ」の真意
福沢諭吉は『学問のすすめ』で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といいました。「人間は平等だよね」という意味ですが、この一説ばかりが有名になってしまった結果、福沢諭吉の真意がわかっていない人も多い印象を受けます。
この一説の後、学問のすすめでは「平等に生まれるけれど、勉強をしている人間が上に立ち、勉強していないと下に行ってしまう」という話につながっていくのです。つまり、言いたかったのは、
「勉強している人間が人を扱う立場になり、勉強していない人間は人から使われる立場になってしまう。だから、勉強しよう!」ということなのです。
逆転合格する東大生に共通の要素である「自由になりたい」というモチベーションは、まさにこの話なのです。人間は、勉強すればするほど、自由になっていきます。
例えば、頑張っていい大学に入って会社で管理職になれば、人を動かす職業になります。逆にいつまでも成長しない人は「この人には、人を動かすことはできない」と判断されて、部下を持つことができないでしょう。上の立場になればなるほど、自分の裁量が増えていくわけです。
学校も同じです。偏差値がすごく高くて頭のいい子どもたちばかりの学校は、とても自由な校風な場合が多いです。それは、自由にやらせてもきちんとその与えられた自由の意味を履き違えることなくしっかりそれと向き合う頭のよさがあるだろうと学校側から考えられているからでしょう。
逆に、偏差値があまり高くない学校では、ルールや校則で縛らないと生徒たちの成長を促せないからそうなっている場合が多いです。その是非は置いておいて、自由という権利は、努力して学んだ経験のある人が勝ち取っている場合が多いのです。
だから、逆転合格した東大生たちは、「自由になるために勉強している」生徒がほとんどです。もっと自由に、自分の思ったとおりに世の中を動かしてみたい。漠然と、そんな思いがあったから東大受験をしているという人がとても多いのです。
■「自由になりたい」飢餓感が努力の源泉になる
僕は高校時代、自分の学校の校則が厳しかったことに対して大きな反発をしていました。学校の先生とけんかすることも多かったです。でも、だからこそ僕は、その閉塞感を打破したいと思って東大を目指しました。
ある意味でそういう、ちょっとわがままで、
「もっと自由になりたい」と思うような人のほうが、モチベーションを持って努力することができるのかもしれません。
この記事を読んだ人たちが、何を感じるかはわかりません。それでも1つ、僕から言えることがあるとするならば、「もっと貪欲に、自由を求めていいのではないか」ということです。
今の環境に閉塞感があって、もう一歩、外に出たいというような飢餓感があるのであれば、それをしっかりと形にすることも必要なのではないでしょうか。
そうやって努力して、自由を得るためのものとして勉強をしてみる。そういう姿勢も、きっと価値があるのではないかと僕は思うのです。