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知床の名画>地の涯に生きるもの>森繁久彌 主演:1960

2024年09月24日 03時06分00秒 | 文化と芸能

この映画のラストで森繁扮する彦一が知床の海に転落して、亡くなるという衝撃のシーンがありました。

>森繁プロダクションを立ち上げて初めての作品。ラストで氷塊から落ちて死ぬシーンで久松監督は森繁をスタジオのプールに4メートルの雪の上から実際に落ちる指示を出したという。

今回の知床観光船の被害者の方の状況を拝察するに余りある場面でした。
ご冥福をお祈りしたいと思います。



地の涯に生きるもの
1960年10月16日公開,125分









[Drama]
製作滝村和男
監督久松静児
脚本久松静児
原作戸川幸夫
撮影遠藤精一
美術北猛夫
音楽團伊玖磨
出演森繁久彌 / 草笛光子 / 織田政雄 / 船戸順 / 司葉子 / 西村晃 / 山崎努 / 由利徹 / 浜村純 / 稲葉義男 / 左卜全

厳冬のオホーツク海。知床半島の先端にある漁師小屋でたった一人留守を守る老人・村田彦一(森繁)が過去を追想する。今やソ連の占領地となってしまった第二のふるさと国後での青春、最愛の妻(草笛光子)との出会い、息子達のこと…。 動物文学者戸川幸夫の原作「オホーツク老人」に感激した森繁が自ら制作に乗り出し映画化。監督は久松静児。現地人との交流の中から森繁自身が作詞作曲した主題歌「知床旅情」はベストセラーを記録。 

<東宝=森繁プロ/125分/カラー/スコープ>


ストーリー

オホーツク海は秋になると荒れ始める。九月に入ると、まず昆布採りの漁師たちが知床半島から去っていく。次に、漁期を終えた鱒漁師たちが引揚げる。十月の末になると、最後に残った鮭漁の人たちも帰ってしまう。その原始の世界の中に、たった一人残っている人物がいた。留守番さん--というのがこの老人村田彦市に与えられた名前だった。人々の去ったあとの番小屋の中には、漁網が残されるが、それが飢えた鼠を呼んだ。その網を鼠から守るために猫が必要とされ、猫に飯をくわせろために人間が必要なのである。言葉では言えない孤独は、彦市に過ぎ去った人々を回想させる。--彦市はオホーツク海に直面するウトロ港に近いオシンコシン岬の番屋で生まれた。三十のとき、小さくて古くはあったが一艘の船を買って独立した。飯たきの娘おかつと、他の若者と決対のあげく、強奪する形で結婚した。おかつは、次々と三人の子供を生んだ。しかし、長男の与作は流氷にさらわれて死に、二男の弥吉は戦争で倒れた。おかつも、急性肺炎で死んだ。彦市は東京の工場で働いていた三男の謙三を呼びよせて船を与えた。その船で漁に出て行った謙三は、嵐に会ってそのまま帰ってこなかった。彦市は謙三の死を信じることができなかった。エトロフ島の見える番小屋の留守番さんを志願したのも、謙三の帰りを待つためでもあった。ある夏、都会の娘がこの地の涯を訪れた。謙三という恋人が死んだ場所を一度見たかったという。--彦市にとっては、こうした思い出と猫だけが無聊を慰めるものであった。猫たちはそれを知ってか、彦市に甘えた。だが、その猫さえもが大鷲にさらわれることもあった。彦市は老いた身に鉄砲をかまえて後を追った。たくましかった若き日のように。




最後に、森繁が出演した監督とのコンビで忘れてはいけないのが冬のオホーツクで撮影した『地の涯に生きるもの』だ。森繁プロダクションを立ち上げて初めての作品。ラストで氷塊から落ちて死ぬシーンで久松監督は森繁をスタジオのプールに4メートルの雪の上から実際に落ちる指示を出したという。「主役兼プロデューサーは、この監督に遂に命まで取られるのか」と、思ったそうだ。ちなみに、森繁のヒット曲“知床旅情”が生まれたきっかけとなった(撮影の合間に口ずさみながら作った地元の人々との思い出の歌なのだ)のがこの作品なのだ。
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