城跡から東に突然家家の中に現れた「守山瓢箪山古墳」である樹木が生い茂る中には柵があり中に入ることはできなかった、5世紀末から6世紀初頭に築かれた「前方後円墳」と、その後円墳側からのスケッチである。
この辺りから東方には古墳がかなり沢山ある。
城跡から東に突然家家の中に現れた「守山瓢箪山古墳」である樹木が生い茂る中には柵があり中に入ることはできなかった、5世紀末から6世紀初頭に築かれた「前方後円墳」と、その後円墳側からのスケッチである。
この辺りから東方には古墳がかなり沢山ある。
名古屋市守山区市場です、庄内川支流「矢田川」の右岸ー瀬戸街道に面した高台に「守山城跡」がー築城年不詳ながら大永年間(1521~1528)築城らしい、ここの一画にアパートがあり庭の奥に表示が、3メーター程の小山を登って城跡であった、そこから東への眺めである。
前回の水屋から、庄内川を西に「水分橋」まで来ました。
そのすぐ南で水門があります、明治43年に改築された木曽川 庄内川を経て水を引くための樋門で「庄内用水元杁」と名称がありました。
門は2門で辻町から「名古屋城」の堀端を通り「堀川」として、名古屋港に至っています。
「善光寺街道」を進んで、「瀬古」で19号線に交わる手前に酒造会社の酒店「東龍」があった、その裏にある「水屋」である。
木曽三川にあるだけと思っていた「輪中」が此処にもあった、酒造会社のものらしいが現在は使われていないらしい。
わが家の東を国道19号線が通る、その角に昔からの道標がそれに「善光寺街道」「京大阪道」と指さす方向に掘りこんである。
その道に名古屋の守山区で「善光寺街道」に出会いました、やはり19号線に沿った道である、旧道らしくやはり曲がりくねる通りである。