同じく、新茶屋5の街風景です。 田んぼが広がる中 工場、家家が立ち並んでいます。
名古屋市も一番西のあたり、「新茶屋5」にきました。延宝年間(1673~1681)「茶屋長意ー茶屋四郎次郎の三男」により開墾された処だとおもいます、市内とは思われない青々とした水田が一面に広がります。
名古屋市を東の「徳重」から西に横断する「東海通」で、此処 戸田川の「東福橋」に来ました「農業文化園」を右手奥に見た処です。
此の辺りは、寛永17年(1640年)尾張藩主「徳川義直」の命により「鬼頭景義」により福田新田として開拓された場所でそのために勧請された神社もよく見かけます。
前回の「鬼頭勘兵衛址」を西に、戸田川に出て隣接する「戸田川農業文化園」にきました。名古屋の農業に関する資料など展示があるところで広い公園も整備されています、近隣の農家で採れた 茄子 小さな西瓜 を売店で買いました。
七反野地蔵堂を西に歩いて、国道302号線の脇、春田野に 寛永8年(1631)から明歴3年(1657)まで此の辺りを開拓した「鬼頭景義・勘兵衛」宅址が長屋門だけ残っていました、南陽中学校の校庭に隣接しています。