もう一つ観音堂を過ぎて荒子川に架かる「小碓中橋」から水道橋が架かる川面を望みました、遠くウミウが浮かぶのもみえました。
あおなみ線港北駅(旧名 名古屋競馬場前えき)で降りて北二直ぐ「正徳町」の「20番割観音堂」」です。
此の辺りは、正保4年(1647)藩営で始められた熱田新田干拓地で、慶安2年(1649)に完了し、慶安4年(1651)検地がおこなわれ、その土地を一番割から三十三番割まで区画して、区画地に各番割毎に観音を配置、守護佛としたのが番割観音ということです。
茶屋後神明社の横の道です、「延宝5年(1677)茶屋後新田開発に当たり、延宝7年(1679)築提成功に際し三十番神を氏神として祀る」との神明社です。
左手の堤防が「福田川」になりその先西が「蟹江町」となる処です。
新茶屋の街も名古屋市西端に来て、福田川畔の「福田川河口排水機場」を見た処です。
ここで、福田川 日光川 善太川 宝川 等が合流し藤前干潟から伊勢湾に注ぎます。