大高城址の北にいちする本町通りの旧家が残る処です、過っては賑わう商店街であったと。
公会堂として使用された家の屋根の庇に以前使われていた「鬼瓦」2体も展示されているところもある通りです。
大高城址の北にいちする本町通りの旧家が残る処です、過っては賑わう商店街であったと。
公会堂として使用された家の屋根の庇に以前使われていた「鬼瓦」2体も展示されているところもある通りです。
大高城址の北側の街並みを歩きました。
細い路地が入り組む城下町らしい名残を感じる処です、醸造所が3軒ほどありました、その1軒「萬乗醸造」の一画です。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの時「松平元康ー後の家康」が今川方で守っていた「大高城址」を大高小学校門前より垣間見たところです。
城址には小さな社があるだけでしたが、四方を見渡せる所です。
前回、丸根城址から大高城があった方面を望みましたが、反対に「大高城址」から凡そ1キロ東の「丸根城址」を眺めた処です。
真中に見える黄色の丘がそのはずです。
鷲津砦の直ぐ南に「丸根砦跡」に上った、桶狭間の戦いの時(永禄3年5月19日)佐久間盛重を将として立てこもったが、「松平元康の軍」に全滅させられたといわれている。
その松平元康軍の居城であった「大高城址」を見た処で、絵の右手に見える丘である。