街道を離れて、秀吉に縁のある処です。
下中八幡社を北に中村中町の街並みは、秀吉の実父木下弥右衛門の屋敷(弥助屋敷)があったところだそうです。
街道を離れて、秀吉に縁のある処です。
下中八幡社を北に中村中町の街並みは、秀吉の実父木下弥右衛門の屋敷(弥助屋敷)があったところだそうです。
依然として、鎌倉街道を離れ中村中町の「下中八幡社」に至りました。
此処は平安末期の強弓の腕のある「鎮西八郎為朝」の創建とされる神社でした、その横手にあるグランドで少年たちが野球をしています。
鎌倉街道を外れて、中村は秀吉の誕生地故そこをまわりました。
千成通りの日の宮町に、日吉公園がありその一角に「日吉権現」の神社が祀ってありました、秀吉の母親が日参し「日吉丸」名に因むところでした。
名古屋市中村区の「鎌倉街道」を辿ってきましたが、大門通り6丁目を南に直ぐで大宮町に「中村郵便局」がありその辺を南東に進んだがその道を辿りにくくここまでとします。
郵便局のよこに橙色のシートが目立つ食品店がありました。
中村公園を東南に進みますが、碁盤目の対角線上で街道が通った様で跡を辿り難いこの辺りです。
「中村日赤病院」を見かけ、街道はこれより右奥のようですが横丁の風景です。