東西に延びる中馬街道を北に折れ丘陵地を登る、蓮教寺等を過ぎ「高針5」で、家の門の前に一抱えを越える様な幹の「ヤマモモ」の木が現われた。
その木の下を潜り坂の小道を上がると生産緑地地区の畑に出た、其処から振り返り「黒々と茂るヤマモモ」の木を見下ろした処です。
東西に延びる中馬街道を北に折れ丘陵地を登る、蓮教寺等を過ぎ「高針5」で、家の門の前に一抱えを越える様な幹の「ヤマモモ」の木が現われた。
その木の下を潜り坂の小道を上がると生産緑地地区の畑に出た、其処から振り返り「黒々と茂るヤマモモ」の木を見下ろした処です。
デッチョ池から東に、高針で「中馬街道」の地図案内がありました。
知多の海から、塩付け街道を通り「飯田街道」を「足助」そして信州まで、馬を変えながら塩等を運んだルートの名残です。
今は、名古屋の「TV塔」の下から東南に伸びる「国道153号」がそのバイパスでしょうか、その道はここより少し南を通っています。
星ケ丘からバスで高張方面に向かい、山ノ神でおりました。
坂を上り降りた処神岡町で「神岡公園」がありそこの池を「デッチョ池」というそうです、出っ張った丘陵のことだそうでアパートが立ち並ぶ処ですが、池を取り巻く道に桜が植えられ静かな雰囲気です、池には亀がゆっくりと泳いでいました。
一社を降りてから山坂の多い処である、東に「陸前町」で「明徳寺」に来た。
明徳2年(1391年)の創建だそうです、織田氏の宿老であった「柴田勝家」の生誕地の石碑がありました、又「下社城址」の碑もあります。
此処は、天正12年(1584年)秀吉と織田、徳川の戦いがあった「長久手」に近いところで城も多く、戦の余波があったようです。
名古屋市名東区を歩きます、地下鉄「一社」で降り北にむかいます家々の中 坂道の先石段の上の鐘楼で丁度正午の鐘を撞く音が響きました。
「神蔵寺」です、大阪の陣で武功を上げ、徳川の「家康」「秀忠」「家光」の三代に仕えた「柴田勝重」の15世紀の創建だそです。
名古屋市指定保存樹の黒松がみあげられます。