大喜町の名付け寺に違いない、「大喜寺」に出会いました。
瑞穂区の高台にあり見晴らしが大変良いところです。
創建は正保元年(1644年)とのこと、境内に鎌倉時代の石仏としては市内唯一という地蔵座像石仏を祀る堂があります。
大喜町の名付け寺に違いない、「大喜寺」に出会いました。
瑞穂区の高台にあり見晴らしが大変良いところです。
創建は正保元年(1644年)とのこと、境内に鎌倉時代の石仏としては市内唯一という地蔵座像石仏を祀る堂があります。
鎌倉街道を抜け、【「為麿塚」ー 長岡為麿、元禄期熱田祠官と言われた人が老後職を辞して閑居したところとのこと。
地名は井戸田という、案内から想像すればこの坂の下あたりは古代は海岸縁であったであろう。
瑞穂区の史跡散策路で、堀田から旧東海道の北、龍泉寺という寺辺りの細い路地で、「鎌倉街道」の立て看板に出会う。
源頼朝により当時の文化の中心地京都と鎌倉を結ぶ道路としてつくられ、この辺りでは「海部郡萱津」から此処「井戸田村」そして、桜、古鳴海へと続くその一部である道幅一メートル程の小道である。
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梅雨も、漸く開けうだるような熱いひがきました。
亀城町辺りの細い路地がくねくねと、坂を下りたりと巡っています。
瑞穂区を歩くで、神之内八幡社から細い路地を伝いそこを抜けた角地で、こんなポストのある重厚な家に出会いました。