日野原重明先生 が2017年7月18日にご逝去されました。心よりご冥福をお祈りします。
先生の講演を2回聴く機会がありました。
一度目は約10年前に、神戸市で開催の学会での特別講演でした。張りのある声でした。今でも覚えているのは、10年分の予定が書ける手帳を持ち歩いているということでした。講演会や仕事の依頼を受けるから、10年先まで予定を入れるということです。その時の年齢は、およそ95歳ということです。これを聞いた時、腰を抜かすほど驚いたことを覚えています。常識外れの楽天家で、超前向きです。
二度目は約5年前に、「新老人の会」の地方会の設立記念講演でした。入場時、会場後方から約50m歩いて、飛び跳ねるように舞台に上がり、立ったままで1時間の講演をされました。お元気でした。加齢しても、明るく、ひたむきに生きる大切さを訴えていました。
先生の著作物を読むたびに、生きる元気をもらったと思います。若輩者がご年配に勇気づけられた感じですかね、叱咤激励、喝を入れられた感じもします。何歳になっても、新しいことに挑戦することで若さを保てることも、私は学びました。ご自分が実践している姿を我々にお見せになるのですから、説得力が抜群です。
先生に翻訳された、オスラー・ウイリアム教授の講演集「平静の心」も、臨床家としての心構えを教えてもらったと思います。
先生の著作物を読み返して、改めて追悼しようと思います。お疲れ様でした。いろんなことを教えてくださり、有り難うございました。
先生の講演を2回聴く機会がありました。
一度目は約10年前に、神戸市で開催の学会での特別講演でした。張りのある声でした。今でも覚えているのは、10年分の予定が書ける手帳を持ち歩いているということでした。講演会や仕事の依頼を受けるから、10年先まで予定を入れるということです。その時の年齢は、およそ95歳ということです。これを聞いた時、腰を抜かすほど驚いたことを覚えています。常識外れの楽天家で、超前向きです。
二度目は約5年前に、「新老人の会」の地方会の設立記念講演でした。入場時、会場後方から約50m歩いて、飛び跳ねるように舞台に上がり、立ったままで1時間の講演をされました。お元気でした。加齢しても、明るく、ひたむきに生きる大切さを訴えていました。
先生の著作物を読むたびに、生きる元気をもらったと思います。若輩者がご年配に勇気づけられた感じですかね、叱咤激励、喝を入れられた感じもします。何歳になっても、新しいことに挑戦することで若さを保てることも、私は学びました。ご自分が実践している姿を我々にお見せになるのですから、説得力が抜群です。
先生に翻訳された、オスラー・ウイリアム教授の講演集「平静の心」も、臨床家としての心構えを教えてもらったと思います。
先生の著作物を読み返して、改めて追悼しようと思います。お疲れ様でした。いろんなことを教えてくださり、有り難うございました。