(「河北新報」令和6年5月15日付記事引用)
東北一の歓楽街、国分町(仙台市青葉区)で最も古い飲食店ビルの地下一階に、耳の不自由な人たちが集うバーがある。「仙台にろう者が気軽に飲める場をつくろう」と、手話を操るマスターやアルバイトが接客する「セイム」。店名には「みんな同じ」という意味を込め、障害者と健常者が分け隔てなく交流できる夜の社交場を提供する。 (せんだい情報部・伊藤卓哉)
障害者と健常者気軽に交流
5月上旬の午後8時過ぎ。男女7人の客が酒やジュースを口に運んではグラスを置き、手話でコミュニケーションを楽しんでいた。「昭和レトロな感じで、すてきな所ね」。静かな店内に笑顔が咲く
昨年8月下旬にオープンした。店主の加賀高陽さん(66)は、宮城県立聴覚支援学校(太白区)などで勤務した元教諭。教員時代の同僚で、教員退職後に酒類卸売などのカネサ藤原屋の社長を務めた佐藤裕司さん(61)と思いが合致し、一緒に店を営む。
加賀さんは、仙台市出身で 「手話の父」とも呼ばれた高橋潔(1890~1958年)に感化された。東北学院英文科卒で「大阪市立聾唖学校」の校長を務め、手話教育の普及に尽力した人物だ。
「東京や大阪、札幌にも手話バーがあるのに、手話の父を生んだ仙台にそうした場がないのは恥ずかしかった。だったら、自分で作ってしまえばいい」。加賀さんは開店の動機を振り返る。
「手話を教えてよ」。聞こえる客がリクエストすると、加賀さんらが表情や身ぶりで説明する。聞こえない客には、話し言葉を即座に文字起こしするスマートフォンアプリを駆使。店内では程なく会話が弾み出す。
今年2月にアルバイトを始めた尚絅学院大4年の三橋絡さん(21)は、生まれつき耳が聞こえない。日常生活で声をかけられても、ろう者だと分かった瞬間に謝られ、やりとりが途切れてしまう経験が少なくないという。
「この店で会う大はみんな対等に接してくれる。ありのままの自分を出せる場所」。三橋さんは目を輝かせる。
初めて来店したろう者で宮城県亘理町の会社員川崎俊寿さん(40)は「今度は他の人を誘って来てみたい」と満足げに笑みを浮かべた。店を足場に、新たな輪が広かっていく。
昨年8月下旬にオープンした。店主の加賀高陽さん(66)は、宮城県立聴覚支援学校(太白区)などで勤務した元教諭。教員時代の同僚で、教員退職後に酒類卸売などのカネサ藤原屋の社長を務めた佐藤裕司さん(61)と思いが合致し、一緒に店を営む。
加賀さんは、仙台市出身で 「手話の父」とも呼ばれた高橋潔(1890~1958年)に感化された。東北学院英文科卒で「大阪市立聾唖学校」の校長を務め、手話教育の普及に尽力した人物だ。
「東京や大阪、札幌にも手話バーがあるのに、手話の父を生んだ仙台にそうした場がないのは恥ずかしかった。だったら、自分で作ってしまえばいい」。加賀さんは開店の動機を振り返る。
「手話を教えてよ」。聞こえる客がリクエストすると、加賀さんらが表情や身ぶりで説明する。聞こえない客には、話し言葉を即座に文字起こしするスマートフォンアプリを駆使。店内では程なく会話が弾み出す。
今年2月にアルバイトを始めた尚絅学院大4年の三橋絡さん(21)は、生まれつき耳が聞こえない。日常生活で声をかけられても、ろう者だと分かった瞬間に謝られ、やりとりが途切れてしまう経験が少なくないという。
「この店で会う大はみんな対等に接してくれる。ありのままの自分を出せる場所」。三橋さんは目を輝かせる。
初めて来店したろう者で宮城県亘理町の会社員川崎俊寿さん(40)は「今度は他の人を誘って来てみたい」と満足げに笑みを浮かべた。店を足場に、新たな輪が広かっていく。
加賀さんは「人間に特別な違いなんてない。これからも人の優しさ、思いやりに触れられる店でありたい」とほほ笑んだ。
開店は午後7~8時ごろ。定休は月曜と日曜祝日。連絡先は080(5577)0698=電話、ショートメール
開店は午後7~8時ごろ。定休は月曜と日曜祝日。連絡先は080(5577)0698=電話、ショートメール