『書紀』の神話の中に「天の鈿女」と「猿田彦」の話が出てきます。天下りの前に地上界を調べに来た「雨の鈿女」の前に「猿田彦」が立ちふさがり問答する場面がありますが、そこに一見ストーリー展開と関係のない描写があります。
『書紀』「巻第二神代下第九段」の「一書」
「…已而且降之間。先驅者還白。有一神。居『天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺餘。當言七尋。且口尻明耀。眠如八咫鏡而赩然似赤酸醤也。』即遣從神往問。時有八十萬神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往問之。『天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑噱向立。』是時、衢神問曰。天鈿女、汝爲之何故耶。對曰。天照大神之子所幸道路。有如此居之者誰也。敢問之。衢神對曰。聞天照大神之子今當降行。故奉迎相待。吾名是猿田彦大神。時天鈿女復問曰。汝將先我行乎。將抑我先汝行乎。對曰。吾先啓行。天鈿女復問曰。汝何處到耶。皇孫何處到耶。對曰。天神之子則當到筑紫日向高千穗槵觸之峯。吾則應到伊勢之狹長田五十鈴川上。因曰。發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。天鈿女還詣報状。皇孫、於是、脱離天磐座。排分天八重雲。稜威道別道別、而天降之也。果如先期。皇孫則到筑紫日向高千穗槵觸之峯。其猿田彦神者。則到伊勢之狹長田五十鈴川上。即天鈿女命隨猿田彦神所乞遂以侍送焉。時皇孫勅天鈿女命。汝宜以所顯神名爲姓氏焉。因賜猿女君之號。故猿女君等男女、皆呼爲君此其縁也。高胸。此云多歌武娜娑歌。頗傾也。此云歌矛志。…」
ここには「雨の鈿女が胸をあらわにむき出して、腰紐を臍の下まで押し下げてあざ笑った。」というような描写があります。このような描写がどのような意味を持つのかは従来不明でした。さらに「猿田彦」の顔などの描写が異常に詳しく出ており、唐突な印象を受けます。
しかし、これらの部分については「天空の星の配列をなぞったもの」という解釈により「解決」したのです。以下は「勝俣隆氏」の研究に準拠します。
私がこの「勝俣氏」の研究に接したのは『星の手帖』という天文雑誌が昔あり、それに載っていたものを見たものです。当時非常に面白いと思ったことを覚えています。その後「氏」の『星座で読み解く日本神話』(大修館書店)を購入し読んでいましたが、現在ではその多くが「長崎大学」のデジタルリポジトリで読むことができます。
それによると「猿田彦」の描写の部分は「牡牛座」の「ヒアデス星団」付近のことであり、「其鼻長七咫。」という部分の「鼻」とは「V字型」をした「ヒアデス星団」の両目とおぼしき星の部分から下方に続く星の列を結んだものであり、「口尻明耀」とされ「似赤酸醤」と書かれているのが「牡牛座」α星の「アルデバラン」のことと考えられるようです。「アルデバラン」は「赤色巨星」であり、その赤く大きく輝く姿は「冬の星座」の中ではかなり目立ちます。
この「ヒアデス星団」は大きく広がった明るい「散開星団」であり、「牡牛座」の「顔の部分」を形成しています。肉眼でもその「星団」の中に多数の星が数えられるほどであり、古代の人々にもなじみの星達であったと考えられます。
この「猿田彦」が「牡牛座」であるとすると、「天鈿女」の部分は「オリオン座」のことではないかと考えられます。
この「オリオン座」と「牡牛座」は「向かい合っている」形になっており、「ギリシャ神話」でも「突進する雄牛」とそれを迎え撃つ「オリオン」という見立てになっていますが、このように「互いに向かい合った」姿を想像するのはそれほど難しくありません。
このように特徴のある星達(星座)が向かい合っていることから、この「天上」から下りてくる「天鈿女」とそれを迎える「猿田彦」と言うことに話が組み立てられたものと考えられます。その場合、「臍の下」まで押し下げられた「腰紐」というのが「オリオン大星雲」(M42)だと考えられます。オリオン座のいわゆる「三つ星」のすぐ下に「ぼうっ」と輝く「オリオン大星雲」はかなり空の明るいところでも肉眼で容易に認められるものです。それを「腰紐」と形容したものと思われるわけです。
このように「天鈿女」を「オリオン」とするには別に徴証があり、この「天鈿女」は「瓊瓊杵」から「汝是目勝於人者」と言われており、それは「天鈿女」の「目」が「猿田彦」の「赤酸醤(ほうずき)」のように輝く「光」(星)に負けない光と色であるという意味であり、これは「オリオン座」のα星「ベテルギウス」についての表現であると考えられます。「ベテルギウス」の方が「アルデバラン」よりも明るくて、同じように赤く輝く星ですから、それが「瓊瓊杵」の言葉に現れていると思われます。
また、上の「神話」の記事の中に「猿田彦」のいた場所として「天八達之衢」という名称が出てきます。
「衢」(ちまた)というのは「交差点」を示す言葉であり、「天上世界」とこの世界を繋ぐところが「天八達之衢」であり、その「通路」となっているのが「星」であり、またその集まりである「星団」であるとされています。
その様なものが実際に「オリオン」と「ヒアデス」の至近になければなりませんが、それは同じ「牡牛座」に存在する「プレアデス星団」であるとされます。
この「プレアデス星団」は「すばる」と呼称され、その「語義」としては「集まっている」或いは「統率する」という意味であるとされていますが、各地域では「むつらぼし」を始め多くの呼び名がありますが、それは六個しか見えないという意味ではありません。「普通」の視力でも少なくとも「六個」程度の星が集まっているように見えるというだけであり、目が良ければ数十の星が見えるとされます。(私の場合は近視と乱視があるため裸眼では「雲の切れ端」のようにしか見えませんが、眼鏡をかけると確かに五-六個の星に分離して見えます。)このようなものを「天八達之衢」と呼んだと考えるのはあり得る話です。
「西欧」では「ギリシャ神話」に基づき「セブンシスターズ」と呼び習わされていますが、名前がついているのは「九つ」あります。それは「両親」+「七人姉妹」の構成となっているためで、星図で確認すると、この九個のうちで一番暗い星は「アステローペ」の5.77等の様です。
このように基本的には、天空の状態や本人の視力などにより左右されるものの、特に明るい六個以外はその神話の構成上「九」になったり、あるいは「八」という数字に意味を持たせて「八衢」としていたというようなことかもしれません。
更に「瓊瓊杵尊」は「天鈿女」に案内されて天降ってくるわけであり、それに立ちふさがるように「猿田彦」がいるとされていますから、「瓊瓊杵」は「猿田彦」から見て「天鈿女」の背後(向こう側)にいると考えられます。星座で言うと「牡牛座」から見て「オリオン座」の向こう側とすると、該当するのは「おおいぬ座」のα星「シリウス」ではないでしょうか。
「全天第一」の「輝星」であるシリウスはギリシャ語で「光り輝く」という意味であり、また「中国」では「天狼星」という名がつけられていますが、周囲を圧するように青白く輝くその姿は神々しいほどであり、「火(ほ)」の「瓊瓊杵尊」という名にふさわしく明るく輝く星です。
「おおいぬ座」の「おおいぬ」は「オリオン」が引き連れていたお供の犬(「猟犬」)であるとされていますから、「オリオン座」のすぐ背後に位置しており、位置関係的にも不自然はありません。このような特徴ある星が「瓊瓊杵尊」として「神格化」されていたとしても全く不思議はないと考えられます。
ただしこの考えには一つ問題がありました。それは「火(ほ)」という表現が基本的に「赤」を意味するものだからです。それに対しシリウスの色は「白」あるいは「青白」であり、整合していないように見えるのです。