ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

埼玉県のクイズ王は? 

2010年10月01日 15時16分18秒 | 県全般

 

テレビを見ていると、クイズだらけである。真面目そうな番組にもクイズが組み込まれている。

このクイズの時代に、埼玉県のクイズ王を決める「埼玉クイズ王決定戦」が13年の春分の日、大宮ソニックシティの階段広場で開かれるというので、「埼玉について何をどれだけ知っているのだろう」と確かめるため、見に出かけた。

隣の鐘塚公園では、「自治体では初めて」が売り込みの「埼玉サイクリングショー」も同時に開かれているので、一石二鳥だ。

このクイズ大会は県観光課などが企画、これも自治体初めての試みだという。行く気になったのは、司会者とは別に壇上で出題役に当たるのが、県庁職員だということだった。

その人が問題を監修したという。埼玉新聞の特集記事には「県庁が誇るクイズ王」とあって、好奇心をそそられた。

環境部環境政策課放射線対策担当主査(当時)の能勢一幸さん(44 当時)。越谷市出身でさいたま市在住。

日本テレビの第15回アメリカ横断ウルトラクイズで優勝、フジテレビのクイズ$ミリオネア全問正解など多くのクイズ番組で優勝した経歴の持ち主という。

このクイズは3人1組で、予選が埼玉スタジアム2002など4か所で開かれ、県内外(岡山からも)から439チーム、1317人が参加した。決定戦には、予選を勝ち抜いた12チームが臨んだ。

驚いたのは、この日最初の子どもの部で勝ち進んだ、埼玉大付属4年生の「大中小」チームが、全体で見事6位に食い込んだことだった。秩父事件の発生の年を、早押しクイズ方式で「明治17年」と先んじたのである。

接戦の末、優勝して「埼玉博士」の栄光を獲得したのは、秩父市役所の職員3人でつくる「チームくろちゃん」だった。(写真は優勝の瞬間) 地元の「秩父検定」で鍛えられたのだろう。

出題は、歴史、文化 社会、芸能、スポーツ、ゆるキャラ・・・と埼玉県に関するあらゆる問題に及んだ。

けっこうな頭の体操になった。テレビ埼玉でも放映するという。

表彰式で、この企画の言いだっしぺだった上田知事は「(他の県のようにテーマは)一つだけではなく、埼玉にはいくらでもあるのだ」と述べた。

700万県民がまずそれを知り、訪ね合うことが埼玉の観光の始まりだろう。その意味で、この「埼玉クイズ」は大成功だった。

ミスユニバース県代表の麗姿も拝めて、視力も良くなった。

第2回決勝戦は14年2月16日(日)、さいたま新都心のスーパーアリーナで開かれた。大雪のため秩父の「チームくろちゃん」は、3人そろわず失格、県庁の3人組が優勝した。

3回目の大会には3人1組の314チームが参加した。15年3月8日(日)のアリーナの決勝戦には、予選を勝ち抜いた12チームが出場、大接戦の末、「三度目の正直」チームが、文字通り3回目の出場で念願の優勝を果たした。会社の元同僚でテーマを分担して勉強した。

4回目は275チームが参加、予選を勝ち抜いた9チームが16年2月14日の決勝に参加、前回3位の武南高校同窓の男性3人組「武南3A}が優勝した。

5回目は17年2月26日、12チームがアリーナの決勝に参加、第1回優勝の「チームくろちゃん」が優勝した。能勢さんは交通政策課に移っていた。

6回目は18年2月18日の決勝には12チームが参加、秩父市役所の「チームZ」が優勝した。リーダーの金田幸宏さん(48)は、昨年に続き、3度目の優勝。予選には227組681人が参加した。

7回目は越谷市のイオンレイクタウンMORI 木の広場で開かれた。

いずれもよく聞いていると、埼玉についてまだまだ知らないことが多く、いい勉強+になった。