全国的に人口減少の折、埼玉県では合併によらず、自然増で単独の新しい市が誕生した。ナシの産地として知られる「白岡市」である。
市のマスコットキャラクターは「なしべえ」「なしりん」で、今回、特別住民票を交付された。
町になったのは1954(昭和29)年。県内で市に昇格したのは吉川市に次いで16年ぶり。鳩ヶ谷市が川口市と合併したため39になった埼玉県内の市の数は、再び40に戻った。日本の都道府県の中で一番多い。
50年近く埼玉県に住んでいながら、一度も訪ねたことはなかった。地図をみると、北に久喜市、東に東武動物公園のある宮代町、西に蓮田市、南にさいたま市(岩槻区)に挟まれた所である。
さいたま市から行くには東北本線、それとも「東京スカイツリーライン(東武伊勢崎線)」がいいのかなと迷った。東北線の方が市役所に近そう。町だったにしては、東北線に白岡と北白岡の二つも駅があることも分かった。
開市に立ち会った経験はないので、2012年10月1日、前日の台風一過、新市の将来を祝うように晴天に恵まれたこともあって、列車に飛び乗った。
白岡駅から市役所まで、歩けばけっこう距離があるので、残念ながら開市式典は終わっていた。
小島卓市長らが市役所入り口の「白岡市役所」の名盤を除幕、小中学生らがクス玉を割ったという。記念撮影をしていたので、とったのがこの写真。
記者会見があり、ブログ記者として紛れ込んでみると、NHKの女性記者が市に昇格できた理由について質問した。市長は「都心から40kmの地にあり、東北線に二つの駅、11年に圏央道の久喜白岡JCTと白岡菖蒲ICの間が開通するなど交通の便がいい」と、地の利と交通の便、それに伴う人口増を理由に挙げた。
東北自動車道が南から北へ貫通していて、南の蓮田SAや北の久喜ICにも近い。
都心からJR線で約40分。三つの土地区画整理事業がほぼ終わり、1987(昭和62)年に開業した新白岡駅周辺にニュータウンができるなど、戸建てやマンション建設が進み、ベッドタウンとして人口が増えたほか、西部の白岡菖蒲ICの側に工場が集積し始めた。
国道122号線沿いで、釣りの名所「柴山沼」にも近い「白岡西部産業団地」には市販医薬品、化粧品、日用品などの国内最大手の卸「PALTAC」(大阪市)の物流センターの進出が決まっている。
人口は12年9月1日現在で5万860人で、県内の40市のうちで最も少ないとはいえ、隣接市の人口は減少しているのに、白岡は増加している。
すでに10年の国勢調査では5万272人で、市になる条件の一つ5万人をクリアしていた。
人口や企業進出の増加で、税収にも恵まれる。「白岡美人」の名で親しまれたナシの栽培は、後継者不足から栽培農家が減り、県内一を誇った収穫量もトップの座を譲ったようだ。
東洋経済新報社の14年の「全国都市住みよさランキング」では、県内1位、関東地域10位、全国70位に選ばれた。
全国790市を安心度、利便度、快適度、富裕度、住居水準充実度の5つの観点から比較したもので、県内ではふじみの市、羽生市が白岡市に
続いた。
江戸時代中期、6代将軍家宣の政治顧問で「正徳の治」を指導した新井白石は1709(宝永6)年)、白岡市の野牛村500石の領主となり、水路を掘り、収穫を向上させた。今でも「白石堀」、「殿様堀」と呼ばれる水路が残っている。