メドレーは「混泳」と訳されるとおり、混合レースのこと。個人メドレーはバタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由形の順に、4人で泳ぐところを1人で泳ぐ競技である。
水泳の万能選手向きで「水泳の王様」と称される。
五輪でも世界選手権でも、東京五輪から登場したこの競技の金には日本人はこれまで縁がなかった。その400mで13年8月4日、スペイン・バロセロナで開かれた世界選手権で、19歳だった瀬戸大也選手(JSS毛呂山)が日本人として初めて金メダルを獲得した。
初出場の早大一年生が、本命の日本のライバルをラストスパートで引き離して宿願の金を手にしたのは、日本の水泳界に大ニュースとなった。
埼玉県の毛呂山(もろやま)出身だとあって、県も県人も大喜び。上田知事はさっそく、「彩の国スポーツ功労賞」を贈呈すると発表した。この賞は、県出身の五輪メダリストら55個人・団体に贈られている。
井上健次町長は、「『けろやま』と読まれることが多いが、もう間違った地名では呼ばせない」と喜びを語った。
毛呂山町は、埼玉県民でもどこにあるか知らない人もいる。鶴ヶ島、坂戸、日高、飯能市、越生町などに囲まれ、人口約3万6千人。農業用灌漑貯水池「鎌北湖」があり、武者小路実篤がつくった「新しき村」が現在も細々と残っている。埼玉医科大学の所在地でもある。
ゆずは日本で最古の産地のひとつで、江戸後期の『新編武蔵風土記稿』に、滝ノ入地区(当時は瀧野入村)の土産として「桂木ゆず」の銘柄で全国に名を売ったという記録がある。昭和30年代には全国有数の産地となった。最近、復活の取り組みが始まっている。
スポーツ万能の両親の間に毛呂山町で育った大也選手は、5歳の頃から「JSS毛呂山スイミングスクール」に通い始め、泉野小、毛呂山中、水泳の強豪・埼玉栄高校(さいたま市西区)を卒業するまで、週6日通い続けた。埼玉栄では3年で競泳部の主将を務めた。大阪市に本社があるJSSは現在、全国に86のスイミングスクールを持ち、150万人の会員実績があるという。
大也選手は小学6年だった06年、浜松市で毎年開かれている「とびうお杯全国少年少女水泳競技大会」に招待選手として、50m背泳ぎで優勝した。
全国から小学生の強豪が集まる大会で、これまで五輪金メダルの岩崎恭子、北島康介選手も出場している。
ロンドン五輪選考会となった12年の日本選手権で、400、200mとも3位に終わり、五輪出場はならず、人目をはばからず泣いた。
この2種目で優勝したのは、小学校時代からのライバル荻野公介選手(18歳 東洋大1年 栃木県小山市出身)で、ロンドンで銅メダルを得た。
大也選手は15年8月9日、ロシアのカザニで開かれた水泳世界選手権の400m個人メドレーでも4分8秒50で優勝した。日本選手が世界選手権で連覇したのは史上初めて。16年のリオデジャネイロ五輪代表に内定した。ライバルの荻野選手は開幕前に右腕を骨折し、出場しなかった。
大也選手は、身長174cm、体重70kgと水泳選手としてはやや小柄で、手足も短いが、バタフライと平泳ぎに強い。
16年のリオ五輪では、400m個人メドレーで念願の銅メダルを獲得した。荻野選手は金メダル。競泳の同一種目で日本選手二人が表彰台に立つのは、60年ぶりの快挙だった。
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