
本多静六 明治神宮の森
遠山益氏の話を続けよう。
本多静六が残した造林で、最大の遺産は東京の「明治神宮の森」であろう。静六は1915(大正15年)、明治神宮造営局の参与に任命された。静六は東大の教え子たちと協議の末、「自然状態の森にしたい」と考えた。はっきりと言えば「ヤブのような森に」というのである。
モデルは仁徳天皇の御陵だ。前方後円のこの御陵は、江戸時代に前方が崩れて修復した以外は、一切手つかずで青々とした森に覆われている。
「明治神宮の森」は、昔からの森の延長と考えている人が多い。ところが実体は「100%の人工林」。世界でも珍しい人工都市林なのである。仁徳御陵も人工林で、長い年月を経ると、自然林と見紛う森になる格好の実例だった。
実生から育てるには時間がかかるので、全国から献木を受け付けた。関東近辺からは、大八車に巨大なクスを運んでくる姿も見られた。北は樺太、南は台湾と全国各地からの献木を中心に約12万本、365種が植えられた。約11万人の青年団員が勤労奉仕した。
現在は約250種に樹種は減り、逆に本数は17万本に増えているという。
当時の総理、大隈重信がイメージしていたのは、伊勢神宮や日光東照宮のような杉や松の針葉樹を主とした荘厳な森だった。
ところが、皇室の御料地(所有地)だった約70万平方mのこの地は、畑がほとんどで荒れ地のような関東ローム層の乾燥地で、調査の結果、針葉樹には適さないことが分かった。
そこで、針葉樹ではなく、日本列島の森の原風景であるクスやシイ、カシを中心とする常緑広葉樹(照葉樹林)を主材にすることに大隈もやむなく同意した。
シイやカシなら、おなじみのドングリで、世代交代が可能で、その循環で人手をかけなくとも「天然更新」で原生林のような「永遠の杜(もり)」づくりが可能になる。
静六らは、なるべく早く境内の雰囲気をつくるためアカマツなどの針葉樹を植え、その下にシイ、カシ、クスノキなどの広葉樹を植えた。そのうち広葉樹が伸びて、森林を支配していった。
森林総合研究所の群落動態研究室長正木隆氏は、11年8月川口市のSKIPシティの講演で、「静六氏が考えていた森林の極相(永遠の杜)は常緑広葉樹を主体とした針葉樹との混交林だった」と語っていた。これは最近の研究成果とも合致する。
明治神宮の森は、人工林でありながら、このような理念に裏付けされた森なのである。植栽してから10年で90周年。神宮の森は静六や弟子たちが想定した林相状態に近づきつつある。
静六は、巨万の富を得ても、子孫には美田(遺産)を残さなかった。その代り、後世の我々に、いかにも日本的な美林を残したのだった。この森には年間1千万人が訪れる。
遠山益氏の話を続けよう。
本多静六が残した造林で、最大の遺産は東京の「明治神宮の森」であろう。静六は1915(大正15年)、明治神宮造営局の参与に任命された。静六は東大の教え子たちと協議の末、「自然状態の森にしたい」と考えた。はっきりと言えば「ヤブのような森に」というのである。
モデルは仁徳天皇の御陵だ。前方後円のこの御陵は、江戸時代に前方が崩れて修復した以外は、一切手つかずで青々とした森に覆われている。
「明治神宮の森」は、昔からの森の延長と考えている人が多い。ところが実体は「100%の人工林」。世界でも珍しい人工都市林なのである。仁徳御陵も人工林で、長い年月を経ると、自然林と見紛う森になる格好の実例だった。
実生から育てるには時間がかかるので、全国から献木を受け付けた。関東近辺からは、大八車に巨大なクスを運んでくる姿も見られた。北は樺太、南は台湾と全国各地からの献木を中心に約12万本、365種が植えられた。約11万人の青年団員が勤労奉仕した。
現在は約250種に樹種は減り、逆に本数は17万本に増えているという。
当時の総理、大隈重信がイメージしていたのは、伊勢神宮や日光東照宮のような杉や松の針葉樹を主とした荘厳な森だった。
ところが、皇室の御料地(所有地)だった約70万平方mのこの地は、畑がほとんどで荒れ地のような関東ローム層の乾燥地で、調査の結果、針葉樹には適さないことが分かった。
そこで、針葉樹ではなく、日本列島の森の原風景であるクスやシイ、カシを中心とする常緑広葉樹(照葉樹林)を主材にすることに大隈もやむなく同意した。
シイやカシなら、おなじみのドングリで、世代交代が可能で、その循環で人手をかけなくとも「天然更新」で原生林のような「永遠の杜(もり)」づくりが可能になる。
静六らは、なるべく早く境内の雰囲気をつくるためアカマツなどの針葉樹を植え、その下にシイ、カシ、クスノキなどの広葉樹を植えた。そのうち広葉樹が伸びて、森林を支配していった。
森林総合研究所の群落動態研究室長正木隆氏は、11年8月川口市のSKIPシティの講演で、「静六氏が考えていた森林の極相(永遠の杜)は常緑広葉樹を主体とした針葉樹との混交林だった」と語っていた。これは最近の研究成果とも合致する。
明治神宮の森は、人工林でありながら、このような理念に裏付けされた森なのである。植栽してから10年で90周年。神宮の森は静六や弟子たちが想定した林相状態に近づきつつある。
静六は、巨万の富を得ても、子孫には美田(遺産)を残さなかった。その代り、後世の我々に、いかにも日本的な美林を残したのだった。この森には年間1千万人が訪れる。
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