「わざわざお金を払って、旗を持ったリーダーに率いられ、集団で長い列をつくって、ぞろぞろ歩道や山道を歩くなんて」。人嫌いでへそ曲がりな性分だから、こんな催しに参加するなんて思いもよらないことだった。
「だが、待てよ。一度やってみようか」と思ったきっかけは、年をとり、飯能の魅力に取りつかれてからだ。
奥武蔵の玄関口として知られる飯能を、初めて訪ねたのはもう何十年前のことだろう。たしかあの時、天覧山に登って、四代将軍綱吉の生母桂昌院が、綱吉の病気平癒のお礼に寄進した十六羅漢像を眺め,能仁寺を訪ねたのだった。
訪れた当時、埼玉にこんなに立派な寺があるのかと感心した。日本の名園百選にも選ばれている。上野の寛永寺が官軍の手に落ちた後も、逃げ延びた振武軍が本陣にしたため焼失した。1936(昭和11)年再建されたという。
。私は薩摩出身だが、時の流れに逆らって、敗北を覚悟で「飯能戦争」を戦って切腹した渋沢平九郎(22)(渋沢栄一の養子)ら埼玉人の心意気に感じている。
「飯能ツーデーマーチ」もあるのは知っていた。飯能が「エコツーリズム」に力を入れていると聞き、講演を聞きに行った時である。
今回は大地震の「復興支援」がテーマというのも気に入った。歩いてささやかながら貢献できるなら一石二鳥である。
11年は第9回。5月21日の初日は、天覧山・多峯主山・南高麗ルートで、20、10、5kmの3コースがある。前回、多峯主山に登っていないので、この山を登る10kmに参加することにした。
10kmだと、この山を登って、入間川の飯能河原に抜け、飯能を代表する景観の一つの赤い割岩橋を渡って帰ってくるだけのコース。午前9時半、中央会場の飯能市役所を最後尾で出発、散歩がてらにのんびり歩いたら、終着の市役所まで3時間かかっていた。
考えてみれば、「多くの峯の主の山」――多峯主山とはすごい名前である。「とうのすやま」と読むらしい。「この山はなんと読むのかしら」という声も聞こえた。山頂に経文が書かれた約1万2千個の河原石を埋めた経塚があるとかで霊山なのである。はやりのパワースポットとして売り出してみてはどうだろう。
標高271mとたいしたことはない山なのに、山頂真近はちょっと急登で、二十年来の運動靴の底が平らになっているので滑った。そろそろ買い替え時かと痛感した。
下りは、源義経の生母常磐御前が、あまりの美しさに振り返り、振り返った「見返り坂」を通ったはずなのだが、杉檜林の中で展望はなく残念。
これも常磐御前がらみの「よし竹」は、ちょっぴりだけ残っていた。『源氏再び栄えるなら、この杖よし竹となれ」と、持っていた杖を地に突き刺したら、根付いて一面の竹林になったといういわれの竹である。近くに病にかかり亡くなった御前を供養する五輪塔もあったという。ところで御前はなぜ、はるばるこの地まで来たのだろうか。
歩いた後、市役所の広場で舞台を見ていたら、フラダンスを習っている人が多いようで、幼稚園の子まで踊っている。三線(さんしん)こそなかったものの、地元の駿河台大学の沖縄県人会の太鼓と踊りも楽しめた。地元の伝統芸能も披露された。
売店もずらり並んでいて、地元の名酒「天覧山」もあったから、二杯も飲んだ。元気が出て四里歩けるという「四里餅(しりもち)」もあったので、お土産に買った。
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