一 家の百首の哥合に、餘寒のこゝろを
摂政太政大臣 家の哥合とは、摂政
家の事也。天子のに對してかく書事也。
餘寒とは、春のいまだ冬のごとくにさむ
さのあまりてあることなり。
一 空は猶かすみもやらず風さえて雪げにくもる春のよの月
増抄云。雪げにくもるとは、冬の雪のふりし空
のやうに、かぜさえてくもるなり。やらずとは、十分
にかすまぬ心なり。春にてあるほどに、かすみ
にくもるべき事なるに、雪げにくもるとなり。
けとは氣也。雪のふる氣有にとなり。すで
にゆきのふりたるにはあらず。
頭注
月 准南子云。月者
陰之精。
釈名云。月ハ闕也。
満則鈌也。晦則
灰也。月死為灰
月光盡似之也。
朔ハ蘇也。月死
後蘇生也。
※准南子云 淮南子(えなんじ/わいなんし)は、前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。その巻第三天文訓に「積陰之寒気為水。水氣之精者為月」、「月者陰之宗」とあり、若干違っている。
※釈名 後漢末の劉熙が著した辞典。全8巻。 その形式は「爾雅」に似ているが、類語を集めたものではない。声訓を用いた説明を採用しているところに特徴がある。著者の劉熙については、北海出身の学者で、後漢の末ごろに交州にいたということのほかはほとんど不明である。「隋書」経籍志には、劉熙の著作として「釈名」のほかに「諡法」および「孟子」の注を載せている。なお、釈名巻之一 釈天には、「月缺也。満則缺也」、「晦灰也。火死為灰。月光盡似之也」、「朔蘇也。月死復蘇生也」とあり、多少違っている。