御伽草子 酒呑童子
どうじあまりのうれしさに、ゑいほれ申けるやうは、
それがしがいにしへをかたりてきかせ申べし。ほんごくはゑちごのもの、やま寺そだちのちごなりしが、法しにねたみあるにより、あまたのほうしをさしころし、そのよにひえの山につき我すむ山ぞと思ひしに、傳教といふほうしほとけたちをかたらひて、わがたつそまとてをひいだす。力をよばず山をいで、 又此みねにすみしときこうぼう大しといふゑせもの、ふうじてこゝをもをひいだせば、力をよばぬ處に、今はさやうのほうしもなし。かうやの山ににうぢやうす。今又こゝにたちかへり何の子細も候はず。都よりもわがほしき上らう達をめしよせて、思ひのまゝにめしつかひ、ざしきのていを御らんぜよ。るりのくうでんたまをたれ、いらかをならべたておきて、ばんぼく千そうまのまへに、春かと思へば夏も有、秋かと思へば冬も有。かゝるざしきのそのうちに、鐵の御所とてくろがねにて屋かたをたて、よるにもなればそのうちにて、女房たちをあつめおき、足手さすられおきふし申が、いかなる諸天わうの身なりとも、これはいかでまさるべき。
され共心にかゝりしは、都の中にかくれなき、らいくわうと申て大あく人のつはものなり。力は日本にならびなし。又らいくわうがらうとうに、さだみつ、すゑたけ、きんとき、つな、ほうしやう、いづれもぶんぶ二だうのつはものなり。これら六人の者どもこそ心にかゝり候なり。それをいかにと申に、すぎつる春の事なるに、それがしがめしつかふいばらきどうじといふ鬼を、都へつかひにのぼせしとき、七条のほりかはにてかのつなに渡りあふ。いばらきやがて心えて女のすがたにさまをかへ、つながあたりにたちより、もとどりむずととり、つかんでこんとせしところ、つな此よしみるよりも、三じやく五すんするりとぬき、いばらきがかたうでをみづもたまらずうちおとす。やう/\武略をめぐらして、かいなを取かへし、今はしさいも候はず。きやつばらがむつかしさに、われはみやこにゆくことなし。
※わがたつそまとて
巻第二十釈教歌
比叡山中堂建立の時 伝教大師
阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ
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