一 五十首哥たてまつりし時 宮内卿
右亰太夫師光ノ女。後白河院女房安藝
琴弾繪師出羽権守巨勢ノ宗義女。十九首入
宮内とは八省の官也。それを女房の名とかり
用るなり。後鳥院の官女なり。
○かきくらし猶ふる郷の雪のうちに跡こそみえね春はきにけり
古抄云。跡こそみえねとは、春のあとの事を云に
又人跡の心あり。雪中に人の跡こそ見えね
かゝるふる里にもはるはきにけりとなり。
引とふ人はなき宿なれどくる春は八重むぐらにもさはらざりけり。
増抄云。春になりたらば、雪が晴んとおもひ
しに春猶ふるといひかけたり。かきくらしとは
五文字心をつくべし。春のくるは空の日影や又は
かすみなどにてしらるゝに、かきくらしふりて
あとかたもみえぬとなり。あとゝはしるしなり。
頭注
職源ニ云ク宮内者
卿 一人 相當四位
下唐名工部尚書
殿中監光禄少
卿 司農
四位已上任之雖
公卿又任之。
※後鳥院 後鳥羽院の脱字
※宮内者 宮内省の誤字
※四位下 正四位下の脱字
※司農 司農卿の脱字