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新古今和歌集の部屋

青獬眼抄 安元の大火

一 大燒亡事

後録記云。安元三年丁酉四月廿八日丁酉。天晴。今日亥剋燒亡。

積百十餘町。

先大學寮。次應天門并東西樓。此間眞言院燒亡。自應天門移會昌門。次移大極殿燒亡。其間東西廊燒亡。大極殿焼亡。神祇官大膳職共燒亡。此間又式部省又民部省焼亡。又右兵衞府典藥寮門等四足燒亡。此後朱雀門燒亡。
勸學院大學寮(但廟堂并門許所殘也)同時燒亡。大内結政一本御書所陰陽大炊寮官廳等財遁了。中和院先年燒亡。
惣遭火灾公卿侍臣等。

關白殿御所。錦小路南・大宮東。此間御坐于松殿北政所御所也。火間有御出也。
内大臣御所。五條坊門万里小路西角。寝殿葺比皮。自餘屋假葺。長押足固板敷。未被移徒。
大納言實定卿。三條南西洞院西町御所。彼生西洞院西。
大納言實國卿。爲聟公同宿油小路西
大納言隆季卿。四條北大宮東町彼坐。厘西四條南西門。
二位中將兼房卿。同宿大宮西聟君。
大納言邦綱卿。綾小路南西洞院西角。
中納言資長卿。綾小路北西洞院。
別當中納言忠親卿。三條北堀川西門。
中納言雅頼卿。三條南猪隈東角。
藤中納言實綱卿。五條南大宮西角。
右大弁三位俊經卿。六角南大宮西角。
藤三位俊盛卿。四條南朱雀西角町。
已上十三家也。
侍臣。可尋記。
大夫史隆職宿。綾小路南壬生西。

檢非違使

別當忠親卿。
權左光長朝臣。俊經卿聟公同南宅。當時五條坊門東洞院彼坐。同燒亡了。
志資成。押小路南。大宮東角。
重成四條坊門北大宮西面。
府生經弘。六角北大宮東面。
兼康。資成東。
此外可然人家不遑毛擧。

向官人

白河大夫尉康綱。 平尉資行。 新宗尉信房。
平尉康頼 中録事基廣。明法博士。 予。

先參向大理。次參大裡。閑院。可參大内之由蒙仰。引參向大内。凡不得滅付大極殿。風起吹覆火焔之間。官人依勝引退出。然間出待賢門。先康頼資行相竝。次康綱等已欲出額間之間。予云。爭出額間哉。可出他間之由云々。而開額間天差他間仍可令打開之由。予加下知。然而依不相叶。出額間。予不騎馬。自餘乍騎馬出了。爭難歩出額間哉。而乍騎馬出之條。且不便不知故實歟。希代之例也。額間者御輿之外不通也。然而廷尉多通額間哉。基廣參向勸學院大學寮。頼爲博士歟。兼綱朝臣留大内云々。前右京權大夫頼政者守護大内者也。仍兼綱朝臣令留大内了。予上○着淺沓。依大内燒亡也。康綱朝臣康頼内々間云。可上○否事。予答云。爭大内燒亡不上○哉。仍兩人上○自餘着毛沓。尤以不便々々。

※○糸片に舌。せつ

群書類従 巻第百八 青獬眼抄

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