方丈記の流布本系統には、
「所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。」
と有るが、
「庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。」
とも有る。
大福光寺本、前田家本等の古本系には当該部分は無い。
この為、流布本のこの部分は後人の付加説を最近見た。
日野周辺の山々を登って行くとあちらこちらに、道を掘り返したような場所が見かける。イノシシがミミズを探した跡のようである。又、牡鹿が妻問ふ声を聞く。
最近京都府では、農作物の鳥獣被害が多発し、拡大しているとのことである。
方丈記には又、「峰のかせぎ(鹿)の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る」とも有り、近くに鹿が多くいたと記している。
方丈の庵は、誰盗人が入ろうと構わないが、薬草を栽培しようとすれば、シカ、イノシシ等から作物を守る必要が有り、地を囲ってしまわないと全滅してしまう。
この方丈の庵の薬草園の存在は、現在の方丈石の場所を否定するには十分な理由となる。
国文学の文字だけ追いかけても、農業の常識を知らなければ、意味を成さない。
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