源氏物語の帯
源氏物語に出て来る帯を調べました。なお数値は、帯が記載されている新体系のページ数と行数。
紅葉賀
249-12
つとめて、出で給ふ所に、さし覗き給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、手づから持たせて、渡り給ひて、御衣の御うしろひき繕ひなど、御沓を取らぬばかりにし給ふ。
参考 三位は白玉
264-1
「さらば、もろともにもこそ」とて、中将の帯を引き解きて、脱がせ給へば、脱がじとすまふを、とかく引きしろふほどに、綻びは、ほろほろと絶えぬ。
264-9
君はいと口惜しく、見つけられぬる事と、思ひ臥し給へり。内侍はあさましう覚えければ、落ちとまれる御指貫、帯など、つとめて奉れり。
264-15
荒だちし浪に心は騒がねねど寄せけん色を如何うらみぬとのみなん有ける。帯は中将のなりけり。我が御直衣しよりは色深しと見給ふに、端袖も無かりけり。
※我が御直衣しよりは色深し
帯と直衣は同色を用いるのが普通。この場合季節と年齢から二人はともに二藍(紅花と藍で染めた色)を着ているが、その濃さが違う。官の低い者は濃い色の直衣を着用する。源氏は自分に比べ色濃いところから中将の帯と察した。
(全集 注)
265-4
この帯を、得ざらましかばとおぼす。その色の紙に包みて
265-6
中絶えばかごとやおふとあやうさに縹(はなだ)の帯は取りてだに見ず
とてやり給ふ。
265-8
立ち返り君にかく引き取られぬる帯なればかくて絶えぬる中とかこたん
え逃れ給はじとあり。
参考 催馬楽 石川
石川の高麗人に帯を取られてからき悔いする
いかなるいかなる帯ぞ縹の帯の中はたいれなるか
かやるかあやるか中はたいれたるか
賢木
288-2
「など御気色の例ならぬ。物の怪などの難しきを、修法延べさすべかりけり」と宣ふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて、引き出でられたるを、見付け給ひて、奇しとおぼすに、又畳紙の、手習ひなどしたる、御几帳の下に落ちたりけり。
参考 薄ニ藍なる帯 男物で、青みがかった紫色の帯。
須磨
32-1
前栽の花いろ/\咲き乱れ、おもしろき夕暮に、海見やらるゝ廊に出で給ひて、たゝずみ給ふ御樣の、ゆゆしう清らなること、所がらはましてこの世のものと見え給はず。白き綾のなよゝかなる、紫苑色など奉りて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れ給へる御さまにて、「釈哥牟尼仏弟子。」と名のりて、ゆるゝかに読み給へる、また世に知らず聞こゆ。
朝顔
268-14
をかしげなる姿、頭つきども、月に映えて、大きやかに馴れたるが、さまざまの衵乱れ着、帯しどけなき宿直姿、なまめいたるに、こよなうあまれる髪の末、白きにはましてもてはやしたる、いとけざやかなり。
常夏
4-11
「いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに、暮らしがたきこそ苦しけれ。宮仕へする若き人びと 堪へがたからむな。帯も解かぬほどよ。ここにてだにうち乱れ、このころ世にあらむことの、すこし珍しく、ねぶたさ覚めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁びたる心地して、世間のこともおぼつかなしや」
参考 他本「をびゝも(帯紐)」、書陵部本「なをしひも(直衣紐)」
若菜上
265-11
装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀など、故前坊の御方ざまにて傳はり參りたるも、またあはれになむ。古き世の一の物と名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。昔物語にも、もの得させたるを、かしこきことには数へ続けためれど、いとうるさくて、こちたき御仲らひのことどもは、 えぞ数へあへはべらぬや。
参考 名高き帯は、石帯
椎木
375-5
帯はかなげにしなして、数珠ひき隠して持たまへり。いとそびやかに、様体をかしげなる人の、髪、袿にすこし足らぬほどならむと見えて、末まで 塵のまよひなく、つやつやとこちたう、うつくしげなり。
浮舟254-11
明朝も、あやしからむまみを思へば、無期に臥したり。ものはかなげに帯などして経読む。「親に先だちなむ罪失ひたまへ」とのみ思ふ。
※はかなげに帯 読経の作法で掛け帯にする。
蜻蛉
正倉院 斑犀偃鼠皮御帯 残欠
292-14
御使に、なべての禄などは見苦しきほどなり。飽かぬ心地もすべければ、かの君にたてまつらむと心ざして持たりける、よき斑犀の帯、太刀のをかしきなど、袋に入れて、車に乗るほど、「これは昔の人の御心ざしなり」
※よき斑犀の帯 五位用