風俗博物館
りなり。またたぐひおはせぬだにさう/"\しくおほ
しつるに、そでのうへの玉のくだけたりけんよりもあ
さましげなり。大゛将のきみはにでうのゐんにだにも、
あからさまにもわたり給はず。あはれに心ふかく
思ひなげきて、をこなひをまめにし給ひつゝあ
かしくらし給。所々゛には御ふみばかりぞ奉り給。かの
ゐのくまと云所と
みやす所は、さいくうのさゑもんのつかさにいり給
にければ、いとゞいつくしき御きよまはりにことつ
源心
けて、きこえもかよひ給はず。うしと思ひしみにし
よもなべていとはしくなり給て、かゝるほだしだ
にそはざらましかば、ねがはしきさまにもなりな
ましとおほすには、まづたいのひめ君の、さう/"\し
くてものし給らんありさまぞ、ふとおぼしやらる
る。よるはみちやうのうちにひとりふし給に、とのゐの
人ゞはちかうめぐりてさふらへど、かたはらさびしく
て、√ときしもあれとねざめがちなるに、こゑすぐれ
たるかぎりえらひさふらはせ給。ねんぶつのあ
かつきがたなどしのびがたし。ふかき秋のあはれま
さりゆく√風のをと身にしみけるなど、ならはぬ
御ひとりねにあかしかね給へる、あさぼらけのき
りわたれるに、きくのけしきばめるえたに、こき
あをにびのかみなるふみつけて、さしをきていにけ
り。いまめかしうもとてみ給へば、みやす所の御手な
宮ノ詞
り。きこえぬほどはおぼししるらんや。
御息所
人の世をあはれときくもつゆけきにを
くるゝ袖を思ひこそやれ。たゞいまのそらに思ひ給へ
あまりてなんとあり。つねよりもいうにもかい給へる
かなと、さすがにをきがたうみ給物からつれなの
御とふらひやと心うし。さりとてかきたえをとなひ
きこえざらんもいとおしく、人の御なのくちぬこ
とをおぼしみだる。過にし人はとてもかくてもさるべ
きにこそは物し給けめ。なにゝさることをさだ/"\と
けさやかにみきゝけんと、くやしきは、わが御心ながら、
りなり。又、類ひおはせぬだに、騒々しくおぼしつるに、袖の上の玉の砕
けたりけんよりも、浅ましげなり。
大将の君は、二条の院にだにも、あからさまにも渡り給はず。哀れに心深
く思ひ嘆きて、行ひをまめにし給ひつつ、明かし暮らし給ふ。所々には御
文ばかりぞ奉り給ふ。彼の御息所は、斎宮の左衛門の司に入り給ひにけれ
ば、いとど厳(いつく)しき御きよまはりに託けて、聞こえも通ひ給はず。
憂しと思ひしみにし世も、なべて厭はしくなり給ひて、係るほだしだに添
はざらましかば、願はしき樣にもなりなましとおぼすには、先づ対の姫君
の、騒々しくてものし給ふらん有樣ぞ、ふとおぼしやらるる。夜は御帳の
内に独り臥し給ふに、宿直の人々は近うめぐりて侍へど、傍ら寂しくて、
√時しもあれと寝覚めがちなるに、声優れたる限り選び侍はせ給ふ。念仏の
暁方など忍び難し。
深き秋の哀れまさりゆく√風の音身に滲みけるなど、習はぬ御独り寝に明か
しかね給へる、朝ぼらけの霧渡れるに、菊の景色ばめる枝に、濃き青鈍
(にび)の紙なる文付けて、さし置きて去にけり。今めかしうもとて、見給
へば、御息所の御手なり。
聞こえぬ程は、おぼし知るらんや。
人の世を哀れと聞くもつゆけきに遅るる袖を思ひこそやれ
ただ、今の空に思ひ給へ余りてなん。
とあり。常よりも優(いう)にも書い給へるかなと、流石に、置き難う見給
ふ物から、つれなの御弔ひやと心憂し。さりとて、書き絶え、音なひ聞こえ
ざらんもいとおしく、人の御名の朽ちぬ事をおぼし乱る。過にし人は、とて
もかくても、さるべきにこそは物し給ひけめ。何にさることを、さださだと
けざやかに見聞きけんと、悔しきは、わが御心ながら、
和歌
御息所
人の世を哀れときくもつゆけきに遅るる袖を思ひこそやれ
意味:人の臨終を、この世の無常と哀れに聞くにも涙がちですのに、残された貴方様の涙で溜まった袖を、どんなかとお察し申し上げます。
備考:露は、涙の比喩。聞くと菊の掛詞。
引歌
√時しもあれ
時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを(古今集哀傷歌 壬生忠岑)
√風の音身に滲みける
月はよし激しき風の音さへぞ身にしむばかり秋は悲しき(後拾遺集秋歌下 斎院中務)
風の音の身にしむばかり聞ゆるは我が身に秋や近くなるらむ(後拾遺集恋歌二 よみ人知らず)
※両歌とも後拾遺と言う事で、紫式部の同時代以降であるが、斎院中務は、共に大斎院に仕えた姉の斎院中将が、藤原惟規(紫式部の兄)の恋人といわれる事から、紫式部の知り合いの可能性もある。