新古今和歌集の部屋

源氏物語 湖月抄 手習 眺むる袖に

 
 
  泊瀬へ人々したひまいるべしと也
ど、みな人したひつゝこゝには人ずくなに
 手習のおはさん事と也
ておはせんを心ぐるしがりて、心ばせある少
      女ばう也
将のあま、左衛門とてあるおとなしきひと、
わらはばかりぞとゞめたりける。みない
        手習のさま也
でたちけるをながめいでゝあさましき
ことをおもひながらも、今はいかゞせんと
尼君也
たのもし人゙におもふ人ひとりものし給はぬ
は、心ぼそくもあるかなといとつれ/"\なるに、
           少将尼詞
中将の御ふみあり。御らんぜよといへど、き
手習の也
きもいれ給はず。いとゞひともみえず、つれ
 
 
 
頭注
左衛門とてあるおとなしき
は  左衛門は尼に
あらざる歟。わらはとも
に三人ある歟。
                   少将の尼の詞也
づれときしかた行さきを思くし給。くるしき
                 ご
までもながめさせ給ふかな。御碁うたせ
       手習君の詞也。碁も下手なりしとの心也
給へといふ。いとあやしうこそはありしか
                       少将尼
とはのたまへど、うたんとおぼしたれば、ばん
               姫君に先させ侍
とりにやりて、我はと思て、せんせさせた
しが少将尼まけしかば手をなをしたる也
てまつりたるに、いとこよなければ、また
         少将の尼の詞
てなをしてうつ。あまうへとうかへらせ
給はなん。この御碁みせたてまつらんかの御
            是も碁の上手也
碁ぞいとつよかりし。僧都のきみはやう
               よくうつと僧都の思ひ
よりいみじうこのませ給てけしうはあら
給ひしと也
ずと覚したりしを、いときせい大゙とこ
になりて、さし出てこそうたざらめ。御ごに
 
 
 
 
 
 
 
 
頭注
きせい大どこ 橘の良利
事也。に見えたり。
には碁勢云々如何。
聖の字可然草聖類
也。碁勢大德也。
頭注
前ノ掾橘良利は肥前ノ國藤津郡ノ大村の人也。出家して名寛蓮ト為亭子院殿上法師ト
亭子法皇山ぶみし給ふ時御供しけるよし大和物語にのせ侍り。碁の上手なるにより
て棋聖といへり。延喜十三年五月三日奉勅作碁式ヲ献ズ之云々。抱朴子曰圍碁ヲ者ヲ世ニ
謂之テ碁聖ト故巖子卿馬綏明有ル碁聖之名者也。
さしいでゝこそたざらめ 天下の碁とはいはね共也。さやうに名をこそ知れずとも
尼君にまけじと僧都の給ふよしを語也。されども猶尼君はかち給と也。
はまけじかしと聞え給しに、つゐに僧都な
             手習の君の碁をほむる也
んふたつまけさせ給し。きせいが碁にはま
さらせ給べきなめり。あないみじとけうず
    手習君の心也        不見付也。めにつかずう
れば、さだすぎたるあまびたひのみつかぬに、物
とましき也   いはれぬ碁をうちそめしと也
ごのみするに、むつかしきこともしそめてげ
るかなと思て、こゝちあしとてふし給ぬ。時々゙
尼の詞也
はれ/"\しうもてなしておはしませ。あた
      手習君のうちこもりておはする事也
ら御身を、いみじうしづみてもてなせ給
こそくちおしく、玉にきずあらん心ちし
 
 
 
 
 
頭注
むつかしきこともしそめ
碁を又もうたんと
いはん事を思ふ也。
 
 
 
玉にきずあらん 毛詩
曰白圭ノ之砧尚可磨也。
頭注
の説に及ばず只玉のきず
と心得べし。
侍れといふ。夕ぐれの風のをともあはれなる
  浮心
に、思いづることおほくて
 浮舟
  心には秋の夕をわかねどもながむる袖
に露ぞみだるゝ。月さしいでゝおかしき程に
                  手習君の心也
ひる文ありつる中将おはしたり。あなうたてこ
              手習君おくに入給也
はなぞとおぼえ給へば、おくふかくいり給を、
少将の詞也              時節の感
さもあまりにもおはします物かな。御こゝろ
をおぼしめせと也。中将のおはせし志を哀と也
ざしのほども、哀まさるおりにこそ侍めれ。ほ
のかにもきこえ給はむこともきかせ給へ。
しみつかんことのやうにおぼしたるこそな
      手習君の心也
どいふに、いとうしろめたくおぼゆ。おはせぬよ
しをいへどひるのつかひの一所など、とひき
 
 
頭注
おもひいづることおほくて
さま/"\の人々を思た
まふ也。其心尤哀也。同。
心には 何事も分別
せざる身なれどもと也。
卑下の心也。秋の夕を
も思ひわかぬ心なでど
もとよめり。
ひる文ありつる中将
此事まへには見えず。
 
 
 
 
しみつかんことのやうに
物いふ事きゝたる斗
に身のきずにはならじ
と也
おはせぬよしをいへど
手習君も初瀬へ諸共に
頭注
おはしてと少将尼が中将にいへる也。
ひるのつかひの一所など 中将の使ひの手習は独留守にましますなど問聞たる也。
  

ど、皆人慕ひつつ、ここには人少なにて御座せんを心苦しがりて、
心ばせある少将の尼、左衛門とてある大人しき人、童ばかりぞ留め
たりける。皆出で立ちけるを眺め出でて、淺ましき事を思ひながら
も、今は如何せんと、頼もし人に思ふ人一人ものし給はぬは、心細
くもあるかなと、いと徒然なるに、中将の御文有り。
「御覧らんぜよ」と言へど、聞きも入れ給はず。いとど人も見えず、
徒然と、來し方行先を思ひ屈し給ふ。
「苦しきまでも、眺めさせ給ふかな。御碁打たせ給へ」といふ。
「いとあやしうこそは有りしか」とは宣へど、打たんとおぼしたれ
ば、盤取りに遣りて、我はと思ひて、先せさせ奉りたるに、いとこ
よなければ、又手直して打つ。
「尼上、疾う帰らせ給はなん。この御碁見せ奉らん。かの御碁ぞ、
いと強かりし。僧都の君、早うよりいみじう好ませ給ひて、けしう
はあらずと覚したりしを、いと碁聖(きせい)大徳になりて、指し
出でてこそ打たざらめ。御碁には、負けじかしと聞え給ひしに、遂
に僧都、なん二つ負けさせ給ひし。碁聖が、碁には勝らせ給ふべき
なンめり。あないみじ」と興ずれば、さだすぎたる尼額の見つかぬ
に、物好みするに、難しき事も、し初めてげるかなと思ひて、心地
悪しとて臥し給ひぬ。
「時々、晴れ晴れしうもてなして御座しませ。惜ら御身を、いみじ
う沈みて、もてなせ給ふこそ、口惜しく、玉に瑕あらん心地し侍れ」
と言ふ。
夕ぐれの風の音も哀れなるに、思ひ出づる事多くて、
 浮舟
  心には秋の夕をわかねどもながむる袖に露ぞ乱るる
月差し出でて、おかしき程に、昼、文有りつる中将御座したり。あ
なうたて、こは何ぞと覚え給へば、奧深く入り給ふを、
「さも余りにも御座します物かな。御志の程も、哀れ勝る折りにこ
そ侍るめれ。仄かにも聞こえ給はむ事も聞かせ給へ。しみつかん事
のやうにおぼしたるこそ」など言ふに、いと後ろめたく覚ゆ。御座
せぬ由を言へど、昼の使の一所など、問ひ聞
 
 
抱朴子 晋の葛洪の著書。内篇20篇、外篇50篇が伝わる。特に内篇は神仙術に関する諸説を集大成したもので、後世の道教に強い影響を及ぼした。
 
白珪尚可磨 はっけいなおみがくべし。
 
 
和歌
浮舟
心には秋の夕をわかねどもながむる袖に露ぞ乱るる
 
よみ:こころにはあきのゆうべをわかねどもながむるそでにつゆぞみだるる
 
意味:秋の愁いの風情など分からない私の心ですが、物思いして、ずっと景色を眺めていると、袖に露のような涙が零れ、乱れ落ちております。
 
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄  九条禅閣植通
※河 河海抄  四辻左大臣善成
※細 細流抄  西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄  牡丹花肖柏
※和 和秘抄  一条禅閣兼良
※明 明星抄  西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
 
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