八雲抄巻第一 正義部
連哥
昔は、五十韻百韻とつゞくる事はなし。たゞ上句
にても、下句にても、いひかけつれば、いまながらを付け
るなり。今の樣にぐさる事は、中比よりの事也。賦物など
も、中比よりの事歟。万葉㐧八、尼がしたるを、家持卿付也。
さほ川の水をせきあげてうへし田を
家持曰
かるはついひはひとりなるべし
是、連歌根源也。其後、或先下後に付上。又普通に
も、是をいふ。多は、一句に付は秀句にてのみある也。或人
ひと心うしみつ今はたのまじよ
といへる。宗貞朝臣曰、
夢に見ゆやとねぞすぎにける
又、天暦
さよふけて今はねふたくなりにけり
小貳命婦
滋野内侍 也云々
夢にあふべき人やまつらん
是等は、上古の事也。非朝夕事。而次㐧に多連之。近
代は、如法事也。古は、是をせんとすることに、あらざれば、
不及口傳故実。近年こそ繁多事なれば、付之有少々
故実。又禁制事及末代尤可存知事也。
一 發句は、猶當座可然人得之。無何人すべからず。或又
付執筆は、連句入韻与連哥發句は事躰同。尤可然人
すべき事也。
一 發句は、必いひきるべし。なにの、なには、なにを、などはせぬ
事也。
一 初三句中は、可顕賦物也。あらはすとは、たとへば物の
名をかくしてはせぬ也。こがらと云鳥を木がらしとい
ひ、さめといふ魚をはるさめなどいふ躰也。
一 三句が中には、病をさるべし。四句五句が内にも同
事は、用意すべし。されどそれまでは云べきにあらず。
すべて、一座の連哥にいたく同事のおほかるは悪事也。
一 上句に、あしびきのなどいひはてゝ、下句に、山といはで
は、いひにくきやうなる事、すべてせぬ事也。足引にか
ぎらず。しもといふなどして、かづらと人毎に案ず
る事、尤悪事也。ひさかたは、月にかぎらず、雲とも
なにともいひつべけれども、すべて始にいふがごとく、い
ひきりたる樣なるべし。百韻の中、いひきらぬ句の五
六句などに、あまりたらんは、連哥おもてあしかるべ
べきなり。よく/\心えてすべし。
一 是は、下句せんをり思べし。上句に山櫻などし、は
てたらん人に、花のなにかくと付る事は、わろき也。又つけん
人の同さまに、あんずるやうが、すべてわろき事なり。
一 かまへて、連哥をばあらぬ樣に、ひきなし/\つくる
なり。春にて久しく、秋にてひさしきは、連哥せぬもの
のあつまりたるおりの事也。
一 いたく、いとしもなき連哥、おもひ出ずをせんに、はやく
する事、返々みぐるし。連歌を入にしばし案ぜさせ
てすれば、人もかんずる也。いまだ誰も案じいれぬ
さきにしつれば、よしあしをも思ひわかで、したるしる
しもなし。さればとて、せられたらんを、猶いはざるべ
きにあらず。
一 いたく、まさなきふし物し、いりたちたる魚鳥名などは、
若からん人などは、返々すべからず。世に悪く聞ゆる也。
一 まさなき事は、よく/\心得てつくべし。栗下と云
ものまじりたるには、一定ありぬべき事也。昔、無心が「す
にさしてこそ」といふ連哥をしたりしに、有心より「あは
びがひ」と付たりき。又、「なましきとほしたる」といふこと
の有しに、有心の中より「わらび」などしたりし。それは、
其人から、さもと覚ゆればこそあれ。わかき人、又かみ
ざまなどには、よく/\とふべき事也。
一 一字有物の名は、あらはしては、いづくにもす。唯、一
字をするとは、句のはじめにする也。
一 さきの上句に、春くればなど、いひはてたるに、下句
ばかりをへだてゝ、なにすればなどはもじあるていの
事は、尤すべからず、あしくきこゆるなり。
一 傍の賦物をする事は、わろく聞ゆるなり。たとへ
ば、賦禽獣にけだものゝたぐひ、賦物にはあらで、郭公
などする事は、よく/\思べき事也。是はつねの事、
深き難にはあらねど、ふし物にすぎざらんには、さう
にをよばず。すぎなんにも、いたくはつくまじ。されど
すぎなんは、あながちのことにあらず。連句の韻におなじ。
一 両方に兼たる賦物は、一方にまづしつれば、又する事
なし。たとへば、なぎといふ物は、木にもくさにもあり、
それは、まづ一方にしつれば、又せぬ也。
一 國と源氏とを賦物にみゆきとして(源氏名)、国のゆき
に用事あしきなり。又、草を賦物に、しのぶ草として、
しのぶ草は、さきに候へば、是はしのなどいふ事、返々見
ぐるし。白菊などしてしらに用は、猶いかゞはせん。しら
といふくさなければ、きくばかりは、ゆるすかたもあり。
無風情物をふたかたにする尤可止。又、かくしたるに
てはなくて、名物をあらぬ物になす事わるき事
也。玉かづらとして、桂などいふ風情也。かやうの事
数不知多し。みな心をうへし。俊頼抄曰、「句中にい
ふべき事を、いひはつる也。心のこりて、すゑ付る人に
いひはてさするわろしとぞ。たとへば夏の夜を、みじ
かき物といひをきしといひて、人は物をや思はざり
けんとはするは、わろし。此哥を連歌にせば、みじか
き物と思かなといふべし。さてぞ、かなふべき。さほ河の
水をせきあげての連哥は、万葉集の哥にも、をろか
なる事にては、あらじとおもふに、心のこりて、末につけ
あらはせり。いかなる事にか」といへり。誠に可然。但、近代
百句、五十句とせんには、さのみやは、いひきるべきな
れば、たゞかゝる事と思ふべき也。大かた連哥は、
いたく風情をつくし、哥などのやうになけれども、よ
きほどに、すこし人に案ぜさせて、つくればよき也。
秘蔵の詞などは、付べからず。一句連哥のなにとな
く、つくべうもなきは、きはめたる大事也。道信朝
臣が、款冬枝をもちて、上のつぼねの前をすぐるに、
上東門院女房あまたゐて、いかになどいひければ、
「くちなしにちしほやちしほそめてけり」といひた
りけるに、多くの女房それ/"\といひけるに、伊勢大輔
が「こはえもいはぬ花の色かな」とつけたるは、殊勝事
也。尤有がたし。東三条に四条宮おはしける比、良暹が
「紅葉ばのこがれてみゆるみふねかな」といへるに、殿
上人、皆逐電も真実には、にくからぬ事歟。昔も今も、
よくしかけられぬれば、にげたることおほし。哥よ
りも、大事なる事なり。凡、今にいひかけなどする
連哥は、先例文字のかず樣々也。或初五文字を略し、
或、上下を略す。又云、下句妙此事濟。
※読めない部分は、国文研鵜飼文庫を参照した。
※さほ川の…かるはついひは 万葉集巻第八 佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 尼/苅流早飯者 獨奈流倍思 大伴家持 1635
※ひと心…夢に見ゆやと 拾遺和歌集巻第十八 雑賀 女/良岑宗貞 1184
※さよふけて…夢にあふべき 拾遺和歌集館第十八 雑賀 天暦御製/しげののないし 1183
※賦物 ふしもの。連歌、俳句の用語。句の中に物の名を賦(くば)り、詠み込むもの。
※くちなしに…こはいはぬ 俊頼髄脳。十訓抄にもある。