○惟喬親王の墓
一、洛北大原野邉に陵(ミサゝギ)と云傳へし所あり。孰(イズレ)の陵とも知人なし。苔むしたる石塔有しが此傍ら崩れし時所の者共其の所を掘て見るに石櫃有り。小さくして棺ほどの物に非ず。蓋をひらけば内に一つの箱有り。段々三重の箱有りて内に銀にて作れる器あり。茶入の中次のせいにて少し大き成る物なり。此の内に一巻の書あって惟喬親王の御一生の事を委く記せり。容易の物に非ずとて公儀へ訴訟する処に東武へ伺ひに成り東武より其の書を織田家へ被下。其の被下たる所以は不知。其の掘出せし時見たりとて相国寺の僧の物語なり。按るに花鳥餘情に山城に小野と云処二所あり。宇治郡に小野あり。また愛宕郡に小野の里あり。此の小野は愛宕郡の名所なり。ひえの山横川の麓高野と云所なり。井蛙抄に云惟喬のみこの御ぐしおろして住せ玉ふも源氏に浮船の隠れて住しも此所なり。松ヶ崎なども小野なり。深養父が補陀落寺も小野なり。又真言小野流といふは山科の小野なり。小野の古郷は伊勢の國なりと云々。此の洛北小野郷の内大野上野村の東北の山際に大なる杉あり。土人一本杉と云。此の所に古き搭あり。是則惟喬親王の御墓なり。中頃徹書記惟喬の住玉ふ御跡をしめて庵作りして住し時、
我すまば雪踏分ん人もなくくやしといはで目をや經なまし
参考文献
資料京都見聞記 第四巻
編集:駒敏郎他
180ページ
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