新古今和歌集の部屋

尾張廼家苞 羇旅歌9

尾張廼家苞 三



 の深きを見よといへるにて、例の紅の涙也。下句は此袖の色に
 くらぶれば、木〃の梢のもみぢしたる色はいと浅りけりと云
 事を、しぐれざりけりといへる也。よく説えられたり。一首の意、立田山を
                         秋ごろ行人の袖の色をみよ。袖のあはれ、
 に血のなみだをおとしてみなくれなゐ也。木〃の梢もよほど染
 てはあれども、これにくらべてはもちつとしぐれそうな物となり。又袖
 をみよ、を、たゞ涙のおつる事の甚しきよしとて、それに
 くらぶれば時雨は物の数ならずといふ意ともすべし。さやう
 にみる時は、木〃の梢といへるはかろくして、たゞ時雨のあへ
 しらひのみ也。猶前の意なるべし。かくみる時は梢用なく、秋
                         行といふう意うすし。此歌
 旅の意なきを、物のついで
 にふとこゝに入たるにや。
   百首歌奉りし時旅


さとり行まことの道に入ぬれば恋しかるべき故郷もなし
(まことの道とは、佛道也。故郷は、こゝは娑婆世界を云。佛道に入てみれば、
 心の残る故郷もなしと也。百首の旅の題の哥なれど、尺教に入べきにや。)
   東の方へまかりける時  西行
年たけて又こゆべしとおもひきや命なりけりさ夜の中山
 古今に年ごとに花のさかりはありなめどあひみんこ
 とは命なりけり。(此哥を本哥にしたるにあらず。一首の意
              は、まへど此佐夜の中山をこえた時に、老年
 のうへに、又もこゆるであらうとはおもひし事が、思ひも、よら
 なんだ事なるに、けふ又こゆるは、命といふ物であるなあと也。)
   旅哥とて
おもひおく人のこゝろにしたはれて露分る袖のかへりぬる哉
 思ひおく人とは、故郷人をいふ。のはがの意也。心も我心



 なり。袖のかへるとは、色のかはるをいひて、故郷かへると
 いふ縁なり。一首の意は、故郷に残し置たる人が心にしたは
          れて、我身こそかへられね、露分る袖がかへつ
 と也。初句は残し置
 たる人をおもふなり。野べ草葉などなくて、露分ると
 いふことよせなく聞ゆ。旅ゆく人は、野山くがぢも草木を
                 分る道なり、ければ、露分るとよめり。
 かやうの事、たしかに野山草木とあるべきは、為家卿により
 の規矩なり。ほのかなるは縦横にて、此集のころの氣骨也。
   熊野へまゐり侍しに旅の心を
               太政天皇御製
みるまゝに山かぜあらくしぐるめり都もいまは夜寒なるらん
(上句は、まことニしかぞ有けんとおもはるゝけしきなり。
 下句はまことニしかぞ思しけんとおもはるゝ折から也。


料なるべし。のはがの意とは二ノ句のゝもじの事なるべし
それもがの意。又四ノ句のもじもがの意なり       心は我心なり。
袖のかへるとは色のかはるをいひて故郷にかへるといふ
縁なり。のもじおもし。自はかへ
       らずして袖かへりし也。袖のかへるとは色のかはるを
いひて故郷にかへるといふ縁なり 一首の意都のおもひ残す人
                       が心にしたはしくてかへらばや
とおもへえど行脚の身にて自はえかへらずして
野べの草葉の露分る袖がかへりしと也。野べ草葉などなくて
露分るといふ事よせなく聞ゆ(野べの草葉の露分る
                    事とは一首のうへにて
よくきこえたれば題詠にても難なし。ましてこれは紀行の実事なる
べき物をや。むかしより題詠はさだかに実事にはほのかなるが多かり
行脚斗藪の折からかゝる真境ありし
なるべし。あはれに心ぐるしき歌也。)



尾張廼家苞三 了
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